ブログ加藤眞三 新しい時代の医療のための患者学

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zoom RSS 大好きな皆様へ 死にゆく人からの最期の挨拶

<<   作成日時 : 2005/06/01 12:36   >>

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長い間大変お世話になりました。
皆様と知り合うことができて、
本当にうれしかったです。
人生の半ばで、
まだまだ頑張らなければならない時に、
このようなことになってしまい、
心苦しく思っております。
ご心配をおかけして大変申し訳ありませんでした。
皆様のご親切と励まし、
ご好意に心から感謝いたします。

私は、病をもってからの方が、
以前より自分らしさが表現でき、
自然な姿の私でいられました。
大勢の方々に囲まれて、
家族に愛されていることを感じ、
幸せな日々でした。
健康で活動している頃は、
他人と自分を比較し、高い目標を持って
それに向かうように努め、忙しく余裕もなく、
自分のおかれている状況に満足することなく、
日々を過ごしていました。
自分に咲いている花に気がつきませんでした。

病になってから、
やっと私にとって何が大切かわかりました。

ありのままの私でいればいいということ。
友人と語り合うこと、交わり合うこと、
お互いを思いやりあうことが、
私の心をほっこり暖め、
生きることが楽しいと思えること。
時には耐えることも必要であるということ。
心配の先取りはしないで、
神様のご計画に従っていればよかったということ。
そのために、
週にたった一度の平安な神様との時間を必ず持てばよかった。
力を入れる必要はなにもなかったのです。

私はこの短い人生の中で、神様を忘れて、
自分の道を行こうとしている時がありました。
でも神様は、
いつ、どんな時でも私を見つめ、
見守ってくださり、
こんな私の罪もすべて許してくださいました。

小さい子供を二人遺すことは、
やはり悔やまれてなりませんが、
私の思いは
彼らに届いていると思います。
子供たちは母親がいなくても、
神様の守りの中で、強く優しく育つと信じ、
心配しておりません。

しかし、もし聖と基が困っていることがありましたら、
言葉をかけて頂けたら幸いです。
もし、聖と基にうれしいことがありましたら、
ともに心から喜んであげてください。
彼らの目には皆さんの中に母親がだぶって見えてくると思います。

楽しい思い出をたくさんありがとうございました。
また、おしゃべりをしたいですね。
いつでも私のことを思い出して下さい。
すぐに心のそばに飛んでいきます。

最後に、神様のもとに帰ることができることを喜んでいます。
だからどうぞ寂しがらないで下さい。
私はいつまでも家族や皆様とともに生きています。
どうぞお元気で、私の分まで長生きして下さい。

本当にありがとうございました。


柳澤恵美

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
先生の本をめくるとき、このページに目がいかない様にして居るんです。
自分がずいぶん長い間涙を流したままで居たことを思い出すから。
胚性幹細胞と癌幹細胞。性質は同じなのに。
消失させることが出来たヒトはどこが違ったのだろう。何の意味を知ればその転換スイッチを入れることが出来るのだろう。
邦之
2005/06/01 23:38
何度読んでもストレートに心に届き
ぐっと喉がつまるようです
にのちか
2005/06/02 18:22
過去に「マイライフ」という映画を見たことが
ありました。末期ガンに冒された主人公が、
自分の死後に生まれてくるであろう我が子に向けた
メッセージや、父親として教育しておきたいことを
毎日ビデオレターにして綴っていく、
というストーリーです。そこには、死を前向きに
とらえ、残された時間を精一杯生きようという、
実に生き生きとした人間の姿が描かれています。

柳澤夫人の手紙を読んで、その映画を見た後の
ような爽やかな気持ちになりました。
亡くなった人のコメントを読んで「爽やか」とは
ちょっと不適当な表現かもしれませんが、
手紙を読んでそう感じたということは、本人が
悔いや恨みを残さず、満足して旅立つことができた
証でもあると思うのです。

私も、逝くときはこのような心境になれたら
幸せだろうなと思いました。
GORO
2005/06/03 04:42
このお手紙を記事にアップなさられるとは・・

「死」の問題を目を逸らさずに考えていこうという取り組みに、敬意を表します。

個人的には、親友の死が契機となって自分のなかで大きな転換が起こりました。自分も含め全ての人に必ずおとずれることとして、これからもずっと考えていくつもりです。
水井
2005/06/03 09:02
邦之さん。 私もこの文は人前で読むことはできないので、そのような時には他の人に読んでもらうことにしています。

にのちかさん。 これだけ冷静に自分の死を見つめられると素敵ですね。実際には色々悩まれた時期ももちろんあったのでしょうが。

Goroさん。 若く二人の子供を残して死を迎えるのに、このような心境になれたことはすごいことだと思います。

水井さん。今、終末期病態学の授業で死に関する話題が多く、このようなものまでアップしてすみません。
眞三
2005/06/03 19:03
バンバンさんのブログにも紹介され随分コメントがでています。一度訪れください。

http://blog.livedoor.jp/CXQ02002/archives/23817717.html
眞三
2005/06/03 19:11
ターミナルケア(終末期を看る)心構えは、知識としてよりも 感情で本能で涙で感じ取るほうが身につくのだと思います。
正当な医療行為の最適化を目指すcureの論理は若くて身につきやすく,その一方で終末期を迎える方を心静かに看護る情動は、教えられるより機会を得て学ぶよりほかは手がないのだと思います。
いい先生を得られた学生さんは幸せでしょうね。
(その幸福に気付くのはずっと後でも ^^)
macoto
2005/06/04 14:49
macotoさん。 医学生の間では、スピリチュアルケアなどに興味を持つ人は少ないのですが、看護の学生さんは、素直に興味を持ってくれる人が多いことに驚いています。これは何の差なのか、というのが今の興味です。医学生も教育が変われば、そのようになるのか、入試の段階で既に異なるのか?
眞三
2005/06/05 06:11
キュアの担い手は看護師だろうという感を、最近強くしています。
眞三
2005/06/05 06:13
キュアは、MD / ICUのNs
ケアは、ナイチンゲール型Ns

単純にステレオタイプにこう考えていました。(苦笑)
macoto
2005/06/06 23:44
前のコメントは、単純にキュアとケアの入力ミスでした。 失礼しました。
眞三
2005/06/07 03:34
日野原重明先生の「テンダーラブ」(ユーリーグ)という本を書店で立ち読みしていると、上記の柳沢夫人の手紙が出てきて(日野原先生は夫人の主治医だったのですね。)また涙が溢れ本を汚した為、買う羽目になりました。(結構そうやって買う羽目になった本は多いです。)93歳の日野原先生が、自分が今まで多く与えられてきた「愛の証し」として書いたのがこの本だということです。(この本をぜひお薦めします。厚くないのですぐに読める本ですよ。)
柳沢夫人も「愛の証し」としてあの手紙を残していかれたのですね。どうしてこんなに読む人のこころに響いてくるのだろうと思います。
悲しいのだけれど爽やか、淋しいのだけれど温か、残念なのだけれど満ち足りる、というとても不思議な気持ちの組み合わせに心が揺すぶられるのです。日野原先生の、最後にタゴールの詩からの引用の言葉が印象的です。
「いくらかの愛と、いくらかの赦し(ゆるし)が得られるなら、私はそれらのものをたずさえて行こう。 「愛とゆるし」、それはすばらしい死への旅の道連れである。」   
この本を、慎三先生の本と共にぜひ皆様にお薦めします。
一時的に降りてきた雪ウサギ
2005/06/07 06:30
そうでしたか。安心しました。< 思考の修正に骨が折れるタイプなのです(トシかも…w)
医療機能の単純なたてわけとして、
 医師:父性を示し、あるべき姿へ指導する
 Nurse:母性(いかなる姿も受容し、癒し補う)
こう考えている人間でして … クリアカットにはゆかないですけどね ^^)ヾぽりぽり
若い頃は 医師的な看護職や 看護的な医師に憧れたものです。
この頃は、(分業の弊害=セクショリズムや職能限局は思わしくないものの)あるていど自分の本分をきっちりとやるのに他職種に職務限定を求め過ぎないタイプをかっこよく感じます。
macoto
2005/06/07 23:21
雪ウサギさん。 そうですね。私が色々と悩んでいた頃、日野原先生と中川米造先生の本を読みふけっていました。中川先生の著作により共感を覚えたのですが。今はもう亡き人となりその本も手に入りにくくなってきました。

Macotoさん。 外科的な内科医(最終的には物事を単純化して考えられる熟慮型の人)や内科的な外科医(メスはよく切れるが手術適応やその方法に慎重な外科医)なども私の好きな人です。
眞三
2005/06/08 09:32
偶然ここにたどり着きました。
前後を読まず、いきなりこのお手紙を読んでしまったので、現在癌で余命1,2ヶ月と宣告された父の未来からの手紙かと思いました。育ちあがっていない子供二人を残していけないと必死に闘っています。生きがいだった仕事が出来なくなりましたが、父は丸い穏やかな人間らしい性格に変わりました。しかし「無念」を感じずにはいられません。最期の時、父は何を思うのか、このお手紙を読んで、涙が止まりません。
ay
2005/06/08 20:39
ayさん。お父さんとの時間を、どうか大切にしてください。1,2ヶ月というのには、それ程こだわらず、一日一日をお過ごしください。癌にも自然退縮ということもあります。3月19日の記事をお読みください。2月24日の
http://katos.at.webry.info/200502/article_24.html の詩も是非一度お読みください。

できましたら患者の生き方も一度お読みください。
眞三
2005/06/09 06:12
初めまして。
私は病院で看護助手のような、ヘルパーのような仕事をしています。
6年ほどしか勤めていませんが、この方のように、死をしっかりと見つめて、前向きでしっかりと生きておられる方々とたくさん出会い、お別れしました。
自分の死を実感しないと、そんな風に生きられないのはダメだと思い、つい忘れがちですが毎日を恥ずかしくないように、「思い立ったが吉日」を思って生活していっています。
この方のように、感謝とともに神さまのところへ行きたいと思っています。
病気と闘っている方の前向きさ、見習わないと、申し訳ないです。
直子
2005/10/06 17:06
直子さんコメントありがとうございます。 死を前にしながら、それをしっかりと受け止められながら生きていかれる人をみると頭が下がります。

そんな時に、果たして自分はどうなることやら。それにしても一秒一秒と死に近づいていることはどんな時であっても事実なのですよね。
しんぞう
2005/10/08 02:29
ほんとうですね。
一秒一秒、死に近づいていますよね・・・自分の死を現実に考えなくてはならない事が、わかってしまうというのは、幸せなことなのか、不幸なことなのか・・・死が近づいているなら、知りたいとは思います。みんなに恥ずかしくないよう、受け止めて生きたいと思います。
直子
2005/10/09 00:59
二人の子供さんを残し逝くのはかなりキツい現実を与えてしまうと私は思います


ですが、二人の子供さんが健やかに育つように私たちは見守っています

ですから安心して下さい

この文を何回も読み直してみると必ず涙がボロボロとこぼれます

何故でしょう、何も関係無くただ通りすがりで読んだだけなのに、それは人は皆共有してるからです。必ずしも何かの弾みで巡り会うため他人の死でも心に残るのです


いつでも話しかけてくださいね
御冥福をお祈りします
山下
2009/08/25 01:31

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