医者は理系か文系か?

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そんなところでブラブラさせていると当たってしまうよ。と心配顔なタヌキ。(写真 金長たぬき@小松島市)
「しんぞうのおんな」 http://absinth.exblog.jp/i0 という刺激的なタイトルにひかれて、たどったブログから面白い話題があったのでそれを紹介し、私の考えを「患者の生き方」より引用します。「しんぞうのおんな,」は、やはりいいおんなのようですが、残念ながら私のおんなではありませんでした。ブログの大先輩です。この写真とは関係ありません。
http://blog.goo.ne.jp/g-cafe/e/9f0cc0475ffe05ff8a3ca70ee899a782

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「患者の生き方」より
日本では医者はなぜ愛想が悪いといわれるのか

 医師は「診察室でもむっつりとし、無口で愛想の悪いのが多い。」と言われます。なぜでしょうか。医師が患者さんに無愛想な原因として、三つあげたいと思います。それは、①仕事が忙し過ぎること、②他人との会話が元来苦手であること、③患者さんと対話をするための教育をうけていないことです。①については後述することとし、ここでは後二者の②、③について考えます。

 日本の医学校は明治時代より、理数系の学部として位置づけられて学生を募集してきました。医学部には数学や物理の成績の優秀な人が受験し、入学しました。医学部卒でなくても、工学部卒の技師や理学部卒の研究者など理数系の学部の出身者が、文科系出身のセールスマンに比べて、愛想が悪く付き合い下手が多いことは、皆さんも当然のことと受け止められると思います。
 医療では、理数系だけではなく文科系的なアプローチも必要です。そのため、カナダのある大学の医学校は文科系と理数系の学生を均等に受け入れているのです。日本では前記のような歴史的背景により医学部に理数系の人が多く、まじめであっても、患者さんとの会話が余り得意でない口下手な医師が多い原因の一つになっているのです。

 さらに、わが国の医学教育は、今まで知識と技術に偏重し、態度の教育が欠けていたことが認識され始めています。患者さんとコミュニケーションのとれる医師を養成しようとする意識が、教育の現場に芽生えています。日本では態度の教育やコミュニケーション技術の教育はまだ始まったばかりです。そんなものは学問に関係ないとばかりに、バッサリ切り捨ててきたのが、今までの医学校での医学教育でした。ところが、最近診察態度や診察技術をみるOSCE(客観的臨床能力試験)という試験が全国の医学校で開始され、近い将来国家試験にも取り入れられようとしています。

 医学教育の変化も、患者さんや社会の要求に応じておきたいものです。今変わろうとしている医療や医学教育の方向性が過っていないかを、厳しく、そして温かい目で見守って欲しいと思います。医師の態度がひどければ、患者さんから医師へ注意をうながすことも必要です。患者さんからのフィードバックが有効にはたらいてこそ、医師も学習し、よい医療が築かれていくのです。
患者の生き方―よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ

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この記事へのコメント

GALANT's Cafe
2005年03月10日 10:30
トラックバックありがとうございました。
加藤様が指摘されている問題は、医療界だけでなく、工学理学薬学...等々の理系全般にわたる問題ではないか?と私が思っているところです。
手前味噌なのですが、私の記事「奴は理系か?文系か?(番外編)http://blog.goo.ne.jp/g-cafe/e/fa2722f825941887cd109d7488bc1f90」でも触れているように、理系専門家は、自分が取り扱う専門分野の理想を深く追うことばかりに意識が行き過ぎ、「社会が求めている理想」から乖離している(気がついていても、専門細分化が激しく進んだ現状では、そこまで手をまわす余裕が無い)ように思います。
GALANT's Cafe
2005年03月10日 10:34
(続き)
これが権威主義にうつったり、高い壁を感じさせる要因になっているのではないかと。

これを解消する一つの手として、工学分野ならば社会人学生を増やし、まだ社会に出たことがない若い学生さん達に「社会が求めている人とはなんぞや?」を伝えることも必要不可欠だと思います。

医療界(いくら医師の友人知人が多いといえど、私は工学の人間ですので、未体験ゾーンです)でも、同じなのではないかと。

どこの日本の大学でも、医学歯学部は独自(6年制という独自システムゆえでもありますが)の習慣を持ち、総合大学ですら、サークルやクラブ活動さえ医薬系に閉じた世界になっている(=他の学部や社会との接点が少ない)ことが多いように思います。
GALANT's Cafe
2005年03月10日 10:35
(続き/最後)
(理系人間との間にある)この壁を崩し、(社会との)溝を埋めること。

今、このような能力を有する理系人間(文系人間)が、社会から要求されていると私 六藤雄一は考えています。

この話、また議論させていただければ、幸いです。
眞三
2005年03月11日 00:08
昔は医療の世界にも文系の人がいる余裕があったのでしょうが、だんだんそのような余裕もなくなってきている気がします。医療の情報は増える一方でありその情報洪水の渦の中でアップアップしているのが現状です。
その一つの逃げ道として専門家になるという方法があるのです。
専門家になれば、その専門の領域以外では責任を感じなくてすむからです。
GALANT's Cafe
2005年03月11日 00:52
逃げ道の一つとしての専門家...これは考えたこともなかった視点です。
新しい視点を頂きました。
この視点も取り入れ、再考してみたいと思います。
ありがとうございました。
眞三
2005年03月11日 06:00
医者、特に内科医、は、そこに来た患者さんの病気の診断を下す必要がありますから、何でも知っていることが理想とされるのです。神様のように。
ところが、これだけ医療の細分化と専門化が進むと、すべてに通暁することなど不可能なのです。そこで、この臓器の病気ならと、専門分野を決めてしまえば、その人はとりあえずその臓器の病気さえ見逃さなければ責任を感じなくてすんでしまうのです。
眞三
2005年03月11日 06:05
これは、診断に限ったことではありません。
例えば、がんの治療を専門とする医師は、がんはとれたけれども、患者さんは亡くなってしまう、あるいはひどい後遺症に悩むなどの、話が聞かれるのは、その一つのあらわれなのです。

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