診療録(カルテ)はそのまま第三者に理解できるか?
つまり、情報開示をスムースにするためには、カルテは第3者が見ても解るようなものであることが前提条件になるが、必ずしもそうはなっていない。診療者のメモ程度になってしまっていたり、書いた本人にしかよく解らない内容の場合も多い。内容の問題だけでなく、読めない字であることも多い(これは私も含めてですが)。
それがそもそもいけないと言われるかもしれないが、事はそれ程簡単ではない。実際には診療録を十分に書くだけの時間をとれないというのが医療の現場にいる者の本音だ。つまり、日本では余りにも多くの仕事が医療者に課され、記録にまで手が回っていないのだ。
例えば、病床あたりの医師や看護師の数は、日本は米国の5分の一から7分の一程度しかいない。その人数で同じ事をやろうとすれば、どこかにひずみは生じる。それでは医療者数を増やせばよいかというと、人を増やせば必ず医療費は高騰する。日本の医療は世界的にみても安価な費用で済ませていながら、比較的高いレベルを維持しており、そのためには色々な面で犠牲にしていることも多いのだ。
犠牲にしていることの一つに、診療録への記載があげられる。あるいは、患者さんとの会話だ。研修医には、患者さんのベッドサイドにはよく行き、診察し会話もしているのに、診療録の記載がおろそかな場合がある。一方、患者さんの所には殆ど行かないし、会話もしないのだけれども、検査のデーターや他の人が聞いた病歴だけを要領よくまとめて、形だけは整った診療録にしている医師もいる。
大体後者の方が優秀と思われているが、私はやはり前者の医師の方が好きだ。前者のような医師が十分にカルテを書けるようにするには受け持ちの患者さんの数を減らさなければいけないし、いわゆる雑用も減らして医師としての仕事に集中させてあげなくてはならない。
それは望ましい方向ではあるにしても、結局は医療費の高騰につながる。あるいは、どこかで仕事を減らさなくてはならない。その一方で、専門医は自分の対象の患者さんを増やすことを望んでもいるのだ。自分の領分や後に続くものを増やすためにも。メリットにも専門医の論理として取り上げたが、専門医は専門の範囲にしか興味を示さなくなり、その分野が伸びることを最優先する。
この構造は一体どこから改善されるのだろうか
この記事へのコメント
にのちか
私はドクターの数を増やすよりも優秀なコメディカルを増やして、病気の説明、薬の説明、食事の説明などはぜんぶそれぞれナースや薬剤師や栄養士に任せてドクターのしゃべる時間を減らす/ドクターの診察を減らす/ドクターにしかできないことだけをドクターさせるという方向がいいのかなあとおもいます
「病院に行く=ドクターに見てもらう」のではなくナースの経過観察だけの日があったり薬剤師さんからの服薬指導だけであったりしてもいいと思うのです
そのかわりドクターはチームのキャプテンとしてチームのup to date や監督、教育を効率よく担うようになればいいなあと思います
GALANT's Cafe
今の日本の医療制度?では、医師がすべての責任を負う仕組み?のせいか、過度に医師へ仕事がのしかかっているように思えます。
やはり、専門性の色が濃い仕事、分担は不可能なのでしょうか...?
しんぞう
それは専門分化の進む医療の一つの流れではありますが、本当にそれが理想の医師像なのかとの疑問を私はもっています。一種のノスタルジーかもしれませんが。
macoto
医学生に限らず,介護・看護・厚生省事務官の実習…etc.
単純すぎる解で、守秘義務の問題,あまりオープンにしたくはない諸慣習などが筒抜けになってしまう.。。徹底した情報と態度のオープン思想が根付かないと無理ですね。
しんぞう先生とは違う観点かも知れませんが、徹底した単純でキレイではない現場からたたき上げずに監督扱いしてリーダーシップを要求しても難しい気がします。
みこしに乗っただけの裸の王様というのか…
帝王学だけ伝授しても下々(過激表現で失礼します)の顔色を伺ったり、摂政政治ならぬ操り人形医師っていうのは医療をスポイルしてゆく結果とならないか?と。。
・・・これ,大げさなだけの杞憂かも(笑)
しんぞう
理論や技術だけが先行していたのでは、患者さんの顔は見えてこない医療となってしまいます。
私は記事の中に取り上げた研修医であれば、前者を支援したいと思います。
たまき
私も、にのちかさんやGalantさんのコメントに基本的には賛成なんですけれども、専門分野の医学知識をもった科学者と医療技術専門者に分かれるのは、診療の責任者が不透明になってしまう危険があり、それをどう克服するか悩みますね。現状では診療の最高責任者は医師でありますし、他の医療従事者に勝手なことをされたら困ってしまいますものね。
略語については、患者さんの理解が得られれば使ってても良いのかもしれません。そういう辞典が販売されても不思議じゃないですし、それこそコメディカル単位での患者説明ができれば良いかなと。
たまき
医科大学の教育に診療録の教育があったらいいですね。今は大学であまり教えないみたいですし。研修医になっても「マネしないほうがいいよ」と教えてくれない先生もいるとか。記録を統一するには「診療録とはなんぞや?」から始まる教育があったらいいなと。電子カルテ普及に伴って診療情報処理を基礎知識として教育することになったら、大学病院にも浸透してくると思いますし、これから世の中に出る医師達が明るい未来を築いていただけるのかなって思います。
body&soulⅣ
医師の仕事・経験の記録の面もありますよね。
この二面性が「理想的なカルテ」の方向性を難しくしていると考えます。
誰にでも理解しやすい綿密・丁寧な記載が
はたして医師にとって「個別に、かつ連続する患者個々との関係性維持」という仕事を助けるものなのでしょうか?
効率という言葉は関係性構築では、マイナスイメージですが、、メリハリの利いた「話す・聞く・書く・考える」の混在作業には適切なリズム&テンポがあるように思います。
body&soulⅣ
じっくり診たい、その一方で数をこなし次に繋げる道を作りたい・・背中合わせの願いを提示されていますが、お一人で二方向を目指すのは困難極まりないのでは?産科医と助産婦の連携プレーを提案されたのですから、他の専門でも
近似の分担・連携医療が望ましいと思います。
身近でじっくり話しを聴いてくれる「なんでもドクター」とそこから枝分かれして専門的な治療をしてくれるドクター。専門ドクターにはたくさんの症例が集まるでしょうし、患者の的を絞りきれない話のままの訴えは「なんでもドクター」のフィルターを通して整理され、届くというのは夢でしょうか。
専門ドクターの初診時に「お孫さん、歩き始めたそうですね。一緒に散歩できるように、しっかり治していきましょう。」などと開口一番言われたら、不安を挑戦者の勇気に変えられそうです。
雪ウサギ
医療ミスが、この雑な字の書き方から起こる率の多さを指摘し、改革に望んでいた某病院のドキュメントをTVでみたことがあります。
もしかしたら医療改革のひとつの手段がこのカルテの扱いにあるのではないかと思います。
どなたかがご指摘のように、カルテ学ではないのですが、カルテに対する哲学、意味すること、ポリシー、扱い、書き方などをきちんと確立し、書き方も決めるべきだと思うのです。
そしてそれをそれぞれの専門で教育科目にきちんと入れることが必要かと思います。
雪ウサギ
ぶつかり合いを恐れていては、次の何かは決して生まれないと信じます。
しんぞう
しかし、統一化を視野に入れて開発されることが望ましいと思います。
しんぞう
雪ウサギさん。 これから電子カルテに向かって色々な試みがなされていくことだと思います。そして、そのような学会も立ち上がっているようです。
処方のミスは手書きでなくなったために随分減りました。
一方で、電子カルテにばかり気を取られていると、患者さんからはディスプレーばかりを見ていて、私の方をちっとも見てくれないという自体も生じているのです。
body&soulⅣ
にのちかさん、GALANT's Cafeさんが提案するところを、病院内でなく地方行政サービスと連動させれば、専門的閉鎖性に風が通りませんか?
方法論には至りませんが、病院のネットワークの一パーツとして「なんでもドクター」を組み込むことはできないでしょうか。行政は市民の生活環境を内外から整える使命があると思いますし。地域性の濃さが秘密保持という点で裏目にでないことが前提ですが・・。しんぞうさんの問題提起はカルテ開示の流れを受け、診察の実態と願望のギャップに改めて医師側からスポットを当てたものと考えます。診察室に入る前に、患者がどんな下準備ができるか・・考えてみたいです。カルテは一つの事例ですよね?
GALANT's Cafe
専門分化しすぎると、“担当”しかできない(全体を見渡すことができない)人になってしまいますね。
が、大きな組織において、一人ですべてを抱え込むと、その人が倒れたときにすべてが止まるというリスクも発生します。
医院やかかりつけ医のような場合にはしんぞうさんの提唱で、スタッフの多い大病院では分業体制で、医師は何年かに一度、双方を行き来すると、いい経験になるかもしれません。
昼行灯
ところが人員不足でも、看護師の間から本来の看護を求めてプライマリーケアナーシング(受持ち制)を試してみることになりました。
四苦八苦しながら、ぎりぎりの人員で頑張りました。何よりも弱っている患者さんには、同じ人の看護師は入れ変りの激しいチームナーシングよりかなり安心感を持ってもらえました。
医師も担当看護師に連絡すればいいので呼び出しに時間がかからなく、その患者さんのすべてを把握しているのでやりやすくなりました。ただ看護師ひとりに8~10人の受持ちはとにかく忙しく、記録が時間外になりじっくり患者さんと話す時間が思うほどありませんでした。
やり始めは患者さんを受け持たせていただくので責任重大で重荷でしたが、治療が終わって退院される時の喜びは家族と同じ感覚になれましたし、慣れて来ると患者さんと気持ちが通い合う良さがわかりやりがいがありました。
昼行灯
チームナーシングをしていて仕事を分担にすると、どなたかおっしゃっていたように、責任の問題があります。それぞれの職種が患者さんのカルテを持ち回ることととなり、情報のまとめ役は医師だとしてもいつもチームでカンファレンスをしないと患者さんを同じ視点で見れなくなります。
弱っている患者さんに次々と違う職種の医療従事者が接することとなり、人間嫌いの患者さんは疲れ果ててしまうでしょう。
チームで動くと人員不足の場合はとてもスムーズで仕事も速く済みましたので、私が若い時はこれが仕事だと思ってました。
でもよく考えると人を扱う仕事で、人をベルトコンベアに乗せてるような気持ちになったこともあります。
人員不足でも私達は患者さんと人間らしく接したいという思いは、スローな受け持ち制を最終的に選びました。
そうすると患者さんもカルテもあちこちしなくてすむと思うのです。
私自身、プライバシーの問題から自分のカルテを参照する人はできるだけ最小人数にしてほしいと思っています。
macoto
むしろ完全に読めていると思います。
(先生のおっしゃているのとほぼ同内容かと)
単純に対比する考え方を並べるなら,
立場優先よりも → 患者優先で
形式(マニュアル)よりも → 中身の充実
パーツよりも → 全体のバランス
(カラダだけとかキモチだけでは不可)
無茶な精神主義よりも → 合理的な心身主義
医療を施術するより → 病苦回避するを優先
(神業よりも あたり前の"手当て"を)
って感じかと、勝手に感じています。
私は医療が「(人間の)科学である」為には、
神話的(ドグマ)な計算よりも
→ 実務な事例収集(ケーススタディ)
このことこそ 大切だと思う一人です。
*フォーム(ひな型や形式)優先だと、言葉にならない(単純な言語化は相応しくない)ような事実や症状を手探りで探り当てる感覚って育ちにくい気がするのです。
にのちか
本来ならもっと責任のある、例えば血液検査の結果を知らせるとか、医師の話の補足をするとか、包帯の交換をするとか、もっともっと医者と同じ事をしてもいいのになあと思っていたのです。医者よりもうまい説明ができるひとも多いと思います。B&Sさん提唱のなんでもドクターはしんぞう先生のおっしゃるとおり看護師さんは向いているのではないかと思います。
水井
カルテの筆記に限らず、他の場面でも看護師さんの充分な能力が発揮されていないように感じます。
医師は過大な要求にあえぎながら、勤務時間も延長して遅くまで孤独に頑張っている印象が強いです。もう少し分担がスムースに為されるといいのに・・と、感じます。
昼行灯
最近優秀な看護師になる進学コースが増えましたが、まだまだ現場では医師の足元にも及ばないでただ医師の言うとおりしか動かない看護師は多いと思います。
主任・師長級でやっと中堅の医師の能力に追い付くレベルと感じています。
医療チームを考える時、現在の看護師が専門職として自立でき互角に医師と渡り合うには相当教育の時間かかると、体験から感じています。
ですから、実際看護師が医師から任されることにはケア部門以外は難しいと思います。
なにせキリの方が多くて、ピンは少数ですから。
PINE
前後の記載等から判断するか、どうしても判らなければ医師に見てもらうことになります。
カルテというのは、患者さんが受けた医療行為を後から確認できる非常に大切な資料だと思います。
ミミズ文字カルテにあたったときは、簡単な記載でもいいので、せめて判読できる文字で書いてほしいと切に願います。
雪ウサギ
雪ウサギ
k
たまき
ですよね!!完全なビジネス化しちゃってて、すべてが後手後手に回っている気がします。電子カルテ登場から個人情報保護法が適応になったりと。郵政民営化じゃないけど、民間に頼りすぎるのもどうかと思うんですよね・・・。
カルテの共有も、医療の正確性を求めると、電子カルテのように特定データの引き出しが簡単なら良いですけど、紙カルテでは難しいものがありますね。やっぱり分業にふみ切らないと、医師の負担は減らないのかもしれません。
たまき
眞三
医療における分業と専門化と統合の関係は永遠のテーマでしょうね。専門分化は時代の要請で避けられないことであり、それを統合するにはよいチームワークが必要となります。
職種を超えたチームワークが今までは余り育っていないのが現状だと思います。
眞三
眞三
のりこ
気がつけば、カタカナや略語だらけになっていますね。
医療技術や考え方がすべて輸入されているということですね。
日本人のアイデンティティが失われつつあることが懸念されます。
米国にかぶれすぎているような気がします。
いつも愛読しているブログも、このような本質について書かれていますので、ご紹介させていただきます。
http://blog.melma.com/00096386/
しんぞう
その文章が誰に向かって書かれたかにより判断すべきことで、専門家の間では専門用語で話す方が効率も良いし伝わる内容の間違いも少ないのです。
それではカルテは誰のために書かれていたかというと、今までは専門家の間だけで理解されればよいという了解の下に書かれて来ました。あるいは書いた本人だけにという場合もあったかもしれません。
ところが今度一般の人にもわかる内容で書くとなると大変な労力が必要となるのです。その労力は今までの考えから言えば無駄なものです。それをどこからもってくるかを考えないとますます医師の負担は重くなり、ますます患者と会話をする時間はなくなっていくのです。
雪ウサギ
たまき
よいチームを作るためには、昼行灯さんが仰っているような問題点を解決しなければなりませんし、その解決の糸口があっても、実現は10年以上先の話になりそうですね。
>医療はどこへ向かっているのか
>何を目指しているのか
私は逆に、患者さんがどこに向かっているか、何を目指しているかわからなくなることがあります・・・。医療は常に個人の尊厳を大切にしようと努力していますから、患者さん次第のような気がします・・・。