Accueil Notre-Dameノートルダムもてなしの施設

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ツアーの最初の活動はルルドー Accueil Notre-Dame [もてなす施設]の見学から始まった。Accueilは病院でもホスピスでもない。ルルドを訪れる世界各地からの巡礼グループの患者さんのための宿泊施設といった方がよいだろう。

 所長のジャクリーンさんが出迎え、施設の内容を話してくださった。質疑応答する時間も十分にいとった後、院内を案内していただいた。

 言うまでもなくルルドはカソリックの聖地であり、所長もその敬虔な信者の小児科医である。しかし、この施設は、世界のあらゆる国、あらゆる宗教の患者さんを、貧富、人種、職業、身分で差別することなく受け入れているという。私は、それでこそ、スピリチュアルな施設であるといえるだろうと考えたが、カソリックの信者さんの間にはこのことに対する不満はいのであろうか。

 前ローマ法王ヨハネ パウロ2世がここに泊まられたことがある。ジャーナリストの関心は、もっぱら法王がどんな部屋に泊まられたかという低俗なものであったという。実際に法王が泊まられた部屋の中まで見せていただいた。そこは、6床のベッドが置かれている普通の大部屋であり、他の部屋に比べてドアや内装なども特別に変えた様子もない。

 もう、100年以上が経過しているルルドの患者収容施設として、身分や貧富を分かたず受け入れようとしてきたことが、この病院の設計からも理解することができる。そうでなければ、新しい施設にする際に特別室を設けていたであろう。病者を差別しないという姿勢は、所長の話からも明確に伝わってきた。

 私は、自分の日本での限られた経験から受けた印象や米国のブッシュ大統領の言動などから、キリスト教徒は富裕な人を尊び優先する、あるいは富裕者同志で特権意識を持つ土壌があるかのような誤解を持っていたが、この施設の見学だけからでもその誤解から解放される思いがした。

 スピリチュアルケアとは本来人と人との関わりである。そこにはいかなる差別も偏見も排除しようとする姿勢がなくてはならない。勿論、ローマ法王が他の人と全く同じ処遇であるはずはない。しかし、ローマ法王が宿泊したという部屋をみただけでも、この施設の姿勢は理解できる。

 ジャクリーン所長は、この新しい施設は素晴らしいが、それ以上にここを訪れる人が素晴らしいし、学ぶことが沢山あると話された。ここでは人間とは何かを発見し、同じ種として共に生きることを考える。ルルドのメッセージがここで実現されているのだと、静かに語られた。

 私は確かに素晴らしい施設であるがこのような施設を世界の各地に作ることが可能であろうかと質問した。所長の返答は否定的なものであった。しかし、私はここで創られたケアの姿勢が世界の医療のモデルになるのではないかと考えた。


この記事へのコメント

2005年10月08日 06:35
 おはようございます。
 ヨーロッパの歴史には宗教と切っても切れない面が多くあって、それに建物も大陸的などことなく包容力を感じさせる深閑とした感じを受けます。
 日本も立派な建造物が多くあり、すばらしいと思いますが、なぜこうも感じが変ってくるのでしょう?
 深く考えられない私ですが、宗教面の違いはあるのでしょうが、木や石の用い方の文化の違いもあるのでしょうか?
水井
2005年10月08日 09:43
聖地ルルドにあるこの施設で、100年にわたって続けられているケアの姿勢こそが、今後望まれる医療のあるべき姿である。とおっしゃるのですね。

もてなす施設とは、どういうことを意味するのでしょう?
またあらゆることにおいて差別や偏見がないというのは、どういうことからこのようにできるのでしょう?

ここはじっくり考え、そして緻密に感じていきたいと思います。スピリチュアル・スポットの
解き明かし・が、このあたりにありそうです。
megu
2005年10月09日 11:39
こんなに素晴らしい施設なのに、
ここではもう100年も続いているのに、
そしてしんぞう先生が今後望まれる医療の姿
というくらいなのに、
どうして所長さんは、世界中にひろまることに
否定的なのでしょうか。
これを逆から考えると、それほど希少?な所だから、癒しのスポットとしての価値や秘密があるということかしら...。
しんぞう先生、スピリチュアル・ケアのこと、もっと考えます。

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