すがすがしい北海道の秋

先週末、札幌の研究会で講演があり、北海道を訪れた。 本年は北海道づいていて3回目の訪問であった。北海道は自然に恵まれていて、空気もよいし、食べ物も美味しい。福岡と並んで訪問の楽しみな地である。 北海道は、秋の訪れもはやく、既に紅葉が真っ盛りであった。アルバムにアップしたので、どうぞご覧ください。

続きを読む

ブログ8ヶ月  自由の広場

早いものでもう一ヶ月がたってしまった。振り返ってみると、8月の記事の更新は5件、9月は6件とやや停滞気味だ。 その理由の一つはMELITの開設がある。MELITの記事とこのブログの記事の書き分けを模索中だ。もう一つの理由は、締め切り遅れの原稿を抱えていることだ。締め切り遅れの原稿をかかえながらのブログの記事の更新は気が引ける。書きたいことはあっても書くだけの時間が取れないという悩みもある。もう一つは、インターネットに少し距離を保ちながら付き合いたいと思い始めたことがある。 フランス、ドイツへとホスピスの見学研修旅行をしていた時に、環境の理由でインターネットから離れる時間があった。その時に気がついたのは、自分がインターネット依存症になっているのではないかということと、インターネット上には依存症の人があふれているということである。 やはり、本来は現実の世界を大切にすべきである。インターネットにどっぷり使っている人には、そのような現実世界からの逃避の場を求めている人もおおいように思える。自分の好きなことだけを書いて、好意的な人だけを回りにおいてインターネットの世界にひたっているのは、健康な姿とはいえまい。 現実の世界の中で生き、現実の世界とかかわり、現実の世界をどう変えられるか。 現実の世界で傷ついた人が一時的な癒しの場として求めるのであれば、そのような場を提供できればと思う。そして、回復されれば現実社会に戻られると良い。そして、時々ここにも顔を出してくれるとうれしい。m…

続きを読む

夜のローソク行列

夜になってローソクの行列に参加した。ルルドの街中に並ぶ土産物屋で、長いローソクとその先に紙製の被いを買った。紙被いは提灯のような役目を果たし、賛美歌の詞が、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語などでそれぞれの言葉で書かれている。 聖堂と川の間にある広場には、ロウソクを手に持った人が次々と集まってきた。車椅子にのった患者さんが大勢参加しているのもルルドならではのことであろう。ヨーロッパ各国やアフリカからの黒人など、それぞれの巡礼団の地区の名前を表したプラカードをもってあつまる。 やがて、午後9時になるとスピーカーから賛美歌が流れ、行進が始まる。クリスチャンの間の有名な賛美歌ばかりなのだろう。それぞれの人は自分の国の言葉で一斉に合唱しながら一歩一歩と進んでいく。歌が終わるとウオッーという歓声と共にロウソクをひときわ高く掲げる。川沿いの道を歩き、正面の玄関まで行き、そして最後に聖堂の前まで1kmほどであろうか。聖堂の左にはひときわ大きい灯がみえる。 世界の各地から集まった人が、言葉は異なっていても同じ歌を合唱し、希望の灯を手にかざして歩くさまは感動的だ。周りの人との一体感が得られる。このような行列が特別の祭りの日だけではなく、毎晩毎晩2万人から3万人が参加して行われていることは驚異的なことだ。 宗教のもつ一体感とはこのようなものなのだろう。共通の歌をもち、声を合わせてそれを歌うだけでも、人は心を許しあうことができるのではないだろうか。カソリックの人々がキリストの教…

続きを読む

Accueil Notre-Dameノートルダムもてなしの施設

ツアーの最初の活動はルルドー Accueil Notre-Dame [もてなす施設]の見学から始まった。Accueilは病院でもホスピスでもない。ルルドを訪れる世界各地からの巡礼グループの患者さんのための宿泊施設といった方がよいだろう。  所長のジャクリーンさんが出迎え、施設の内容を話してくださった。質疑応答する時間も十分にいとった後、院内を案内していただいた。  言うまでもなくルルドはカソリックの聖地であり、所長もその敬虔な信者の小児科医である。しかし、この施設は、世界のあらゆる国、あらゆる宗教の患者さんを、貧富、人種、職業、身分で差別することなく受け入れているという。私は、それでこそ、スピリチュアルな施設であるといえるだろうと考えたが、カソリックの信者さんの間にはこのことに対する不満はいのであろうか。  前ローマ法王ヨハネ パウロ2世がここに泊まられたことがある。ジャーナリストの関心は、もっぱら法王がどんな部屋に泊まられたかという低俗なものであったという。実際に法王が泊まられた部屋の中まで見せていただいた。そこは、6床のベッドが置かれている普通の大部屋であり、他の部屋に比べてドアや内装なども特別に変えた様子もない。  もう、100年以上が経過しているルルドの患者収容施設として、身分や貧富を分かたず受け入れようとしてきたことが、この病院の設計からも理解することができる。そうでなければ、新しい施設にする際に特別室を設けていたであろう。病者を差別しないという姿勢は、所長の…

続きを読む

ルルドに到着

フランクフルト空港で降りると、直ぐに乗り継いで、南フランスのツールズ空港に向かった。ルルドーはそこから更に南に向かいスペインの国境近くにある。 空港には大型のバスが待っており、快適なバスツアーとなる。バスの中ではマイクを使って参加者20人の自己紹介がおこなわれた。皆さんはそれぞれに色々な思いをもって、この研修旅行に参加されている。 牧師さんやシスターの方もいらっしゃり、クリスチャンの方が多いことは確かであるが、他宗教や無宗教のかたも多数おられた。看護師や助産師の方、ボランティアとしてスピリチュアルケアに興味を持っている方、大きな病気をもち手術をおえて参加した方など、様々な背景を持った人が参加している。医師の参加は、長崎のXX病院から派遣された山口先生と私の二人だった。 更にバスに揺られて2時間余り、古い街並みに入りバスがようやく通れる程の細い道をたどって目的のホテルに着いた時は、もう21時を過ぎていた。関西空港の集合時間から計算すると、もう20時間以上が経過している。古いつくりのホテルであり、私の部屋にはコンピューターを充電するためのコンセントもなかった。電話線をコンピュータにつないでみたが、インターネットにつなぐことができない。昨年の学会でフランスボルドーとドイツハイデルベルグに来た時には簡単につながったのに。一昨年はインドでさえも苦労しなかったのにと思うと、ホテルが古い建物であることがうらめしい。 フランクフルトからの飛行機の中で軽食のサンドイッチが出ていたが、何だか…

続きを読む

帰国

昨日、ルフトハンザ機によりフランクフルトから関西空港に着き、フランス・ドイツでの癒しの研修旅行より帰国した。 宿泊には、マリアフリーデンのエイズホスピスでの宿泊施設、スツッツガルトの修道院の宿泊施設、アウグスブルグの神学校の寄宿施設などを利用したため、ドイツ滞在中に殆どインターネットにアクセスができなかった。 朝の6時30分には活動が始まり、夜も9時過ぎまで研修があり、バスの中でもその時間を利用して反省会などがあり、文章もほとんど書くことができなかった。 これから、ルルドを皮切りに研修旅行記を書こうとおもうが、とりあえずは、ルルドでの写真をアップした。左の下のアルバム一覧の中の癒しの旅に入っている。写真の方も徐々にアップして行きたい。

続きを読む

ブログ7ヶ月 ルフトハンザ機より (自由の広場)

現在、関空からフランクフルトに向かう飛行機の中にいる。ルフトハンザ機には機内の無線LANが備えられており、インターネットにも快適にアクセスできる。 こうやってブログ7ヶ月の記事を機内で書きアップできるとは思ってもいなかった。 8月にはウェブリーブログのお薦めブログとしてとり上げていただいた。メリットの方も中では色々な問題は生じているが、順調に社会的にも認知されてきている。 このブログではプライベートな感想を写真を豊富に交えて書き、メリットでは公的に訴えるものを書きたいと現在は考えている。このブログのタイトルは公的に訴えるものであり、タイトルにそぐわないかもしれないが、メリットのブログとあわせて読んでいただきたい。 これからドイツでのホスピスを見学するツアーが始まる。日本はドイツから近代医学を導入したが、そのドイツと日本では病院の成り立ちも異なる。生活や医療における教会(宗教)の影響や文化も大きく異なるであろう。 しかし、わが国においてもスピリチュアルケアが必要とされていることは自明のことであると、私には思える。そして、それがどのような形で日本に生まれるのか。どの職種の人が担うのか?などあれこれと考えながら研修旅行を楽しみたい。

続きを読む

心と魂のケアの研修旅行へ

7日、日本アルコール薬物医学会の理事会ために金沢に着いた。台風のために、予約していた飛行便は朝6時にあきらめ、急遽東海道新幹線に乗り、米原経由でたどり着いた。13時前には何とかたどり着いたが、JALホテルの31階で開かれた会議は、船酔いをするのではと思われるほどののゆれを感じた。 明日9日の早朝7時に、関西空港のカウンターで集合し、フランクフルト空港へと向かうため、8日午後のシンポジウムの司会を終えて、金沢から関西空港へと特急で移動し、空港内のホテルに泊まっている。 このブログでも以前に紹介したキッペス先生(http://katos.at.webry.info/200503/article_42.html) が開催する研修旅行に参加することとなった。ルールド、マリアフリーデン、シュツットガルト、アウグスブルグ、ミュンヘンへとホスピスを訪問し、ドイツにおけるスピリチュアルケアを見学する。 このブログでは旅の様子を伝えて行きたい。そして、メリットには医療の雑感を伝える予定だ。 乞うご期待。

続きを読む

「正直なところ、イラクにいたほうがいい。」

9月14日のNews Week 日本版誌のperspectiveに、この言葉は紹介されている。ハリケーン・カトリーナの被災者が避難生活をおくる競技場スーパードームに送られた、米軍軍曹ディフェイスの言葉だ。ディフェイス軍曹は14ヶ月イラクに駐留していた経験を持つ。 避難所では、世界一といわれる文明国の国内の出来事とは信じられないような光景が繰り広げられている。強盗や略奪、強姦、そして暴動、人間不信。台風による洪水は天災ではあるが、その後に続く社会の混乱は、強者優先のブッシュ政権が生んだ人災ともいえよう。 イラクでのイラク国民はもっと強い不安感をもっているのだろうが、武器に守られた組織の中にいる米軍の軍人にとっては、ニューオリンズのスーパードームの方がより危険に感じらたのであろう。 弱者切捨て、強者優先の論理でおし進める市場原理は、日本の医療の世界にも訪れようとしている。 「強者だけが幸福になる世界では、誰一人として幸福にはなれない。」 そんな大切な教訓を伝えてくれる、ニューオリンズの出来事であった。 「文明とは何か?」 「人間は何を目指しているのか?」  あせることなく、じっくりと考えてみたい。 最後に、台風のために亡くなられた被災者の皆様のご冥福をお祈りしたい。

続きを読む

肝と栄養の会

 昨日・今日と二日間、赤坂のキャピトル東急ホテルで肝と栄養の会が行われた。 肝臓病と栄養に関心のある医師や栄養士が40人ほど集まる、こじんまりとした研究会だ。 自由で活発な討論がしやすいようにと、あまり偉い教授連は入れずに第一線で働く若手ばかりで集まった会であるが、若手であった世話人も、そのまま年齢が9歳移行しており、もはや若手ばかりとはいえなくなってしまっている。 それでも、今構成メンバーはお互いに友好的であり、和やかに会話や議論が進み、私にとっても年に一度の集まりを楽しみとしている会である。 会の初期からの世話人のお一人に、このブログをいつも読んでいると言われて、恥ずかしいやら、うれしいやら。 ところが、そのような人でも中々コメントに書くのは躊躇されているようで、ROM(read only mennber)に徹しているそうだ。コメントをいただいている人以上に、読んでいただいている人がいることを改めて実感した。 その人から、メリットMELITがチョッと硬すぎるのではないかと、苦言を呈された。確かに、メリットはやや公的な性格を持ち始めているため、中々、そこには軽い冗談が書きづらい。 執筆陣もそれぞれに緊張しながら書いており、執筆陣の間でも、こんなことは書かないほうが良いとか、こういう書き方は気をつけた方がよいなど、お互いに監視しあっている。 私は、メリットももう少し肩の力を抜いて、サロンに集まるような気楽さで、医療の情報を集めたり、とらえ方、考え方を学べるような場…

続きを読む

浅間山と雲

浅間山の麓でテニスをした。  暑い東京から離れての高原での娘達とのテニスは快適であったが、それ以上に柔らかく美しい山の上に広がる雲に眼を奪われた。 休みをとっては、浅間山とジーコとドラを撮ってばかりいると顰蹙(ひんしゅく)をかってしまった。

続きを読む

阿弥陀堂を訪れて

2003年の小泉堯史監督による映画 「阿弥陀堂だより」 の撮影現場を訪れた。 都会での過酷な勤務医生活の中で疲労しパニック症候群になった女医美智子が、夫の孝夫に連れられて田舎での生活を送ることになり、村人たちとのふれあいの中で回復していく姿が描かれている。 2年前に飛行機の中で放映されているのを見た阿弥陀堂だよりは、何よりも長野県の飯山市の美しい自然の風景が印象に強く残っていた。 緑の稲穂がまぶしい棚田が何段も続き、その先には千曲川がゆったりと流れる。さらに、向こうに青い山と空がひかえている。自然と人との柔らかな触れあいを感じさせられた。 日本人の心の原点が、この景色の中にはある。 冬に、もう一度訪れてみたい。雪の深い飯山の冬景色は、また格別であろう。

続きを読む

応援歌

最近、やや夏ばて気味で記事のアップが遅れていますが、そんな時期にウェブリブログ(biglobeのブログ)のトップページに今週のお勧めブログとして紹介されました。https://webryblog.biglobe.ne.jp/ ウエブリブログの開発担当者のブログにもお勧めブログとして紹介されています。http://osusume.at.webry.info/200508/article_9.html また、介護福祉系のブログ総合リンク集 Helper Town http://tryhost.net/~care/cgi-bin/mt/archives/2005/08/post_287.html にもこのブログとMELITを紹介していただきました。 このような紹介記事により新しい仲間が増え、このブログとMELITがますます活発な交流の場になることを念願しています。 どうかお気軽にコメントを書き込んでください。

続きを読む

学生時代の仲間との集まり

昨夜、私と若林君との教授就任を祝うために、医学部スキー部の先輩と後輩が、就任パーティを開いてくれた。若林君は2年後輩で、9月より岩手医科大学に第一外科教授として赴任する。学生時代からの仲間たちだ。当事者二人の前後5年を含むOB部員に声がかけられ、20名余りが集まった。一年に50日以上を同じ宿で過ごした仲間は、集まるとまるで兄弟かのような気安さだ。 最近は、毎年このようなお祝いの集まりが開かれるが、スキー部仲間の話は、学生時代のバカ話にに華が咲く。野沢の大会では閉会式後の懇親会で大暴れをしてスキー場に出入り禁止になったり、苗場スキー場で、プリンスホテルの正面のナイターのゲレンデを真っ裸で走り回った学生がいて、ホテルよりお咎めを食らったりしたことを昨日のように思い出す。 初夏の合宿で月山に行ったとき、砂利の下り道を無謀にも飛ばして、スピンをしてしまい、コントロールがきかず、道端の大きな石に左の前輪が引っかかって止まった私の失敗談も、いつも思い出話として出てくる。 ガードレールもない山道であり、その石がもしそこになかったら、50mほど谷底へ落ちていた。岩にとめられた左の前輪とその側の後輪だけに車は支えられ、ユラユラとゆれているところを命からがら車から抜け出したのも、今では笑い話だ。顔をひきつらせながら後部座席からかろうじて最後に出てきた2年後輩の高橋君は、今や既に母校の小児科学教室の教授になってしまっている。スキー部には私の同級生が6人いたが、私は4人目の教授となった。 授業にはろ…

続きを読む

ブログ6ヶ月  自由の広場

2月10日にブログを開始してより、丁度半年が経過した。6ヶ月の間に2万件をこえるアクセスがあったことは私にとっても驚きであったが、何よりもこのブログを通じて色々な人と出会うことができたことに感謝したい。そして、その人たちとの協働作業により念願のウェッブサイトMELIT(http://melit.jp/)を立ち上げることができたことも大きな収穫である。 さて、MELITとこのブログとの関係性についてまだ迷っていることも確かであるが、最初に立ち上げたインターネット上の私の島(基地)として、このサイトも続けて行きたい。これからは少し私的な内容をこちらのブログに、公的な内容をMELITのブログにとすみわけを考えている。 7月中旬から期末試験や成績の評価などで時間がとれず少しアップが滞っていたが、これからは少し時間的にも余裕ができるため、定期的なアップを続けて行きたい。 自由の広場はこのサイトに集まってきた人の親睦の場として提供している。ただし、ここでの会話には、あくまでも自由に楽しくが目的であり、他人に返事を強要することのないようお願いしたい。そして、他人を不快にさせる表現をとtったり困惑させる人には、ご退場を願うこともあることをご理解いただきたい。

続きを読む

米国の医療を見本にして良いのか

日本の医療は米国を手本に追っかけています。医学界のトップにいる人も米国で学んできた人です。米国への医療の留学や見学も後を絶ちません。しかし、それは一面の良い点だけを見てきたものです。私は、米国を追いかけることを危惧します。 「患者の生き方」より ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日本の医療はこれからどこへ向かうのか  米国の医療をまるで理想の医療であるかのように考えて、日本に導入することを、そして米国の医療に追いつき追い越すことを、夢見ている人がいます。医療に限らず、米国のやり方が最も進み最も良いと考え、それに統一化することをグローバリゼーションという言葉で正当化する動きがあります。 しかし、果たして米国の医療は、世界で医療の手本となれる程、よい医療を実現しているといえるでしょうか。 米国の医療を国全体として見る時、私は決して成功した医療とはいえないと考えます。米国の医療は、膨大な費用がかかり財政的に破綻をきたしています。保険会社がつぶれたり、大きな病院が合併したりと大きく揺れ動いています。しかも、米国では20パーセントの人には保険がなく切り捨てられており、まともに医療を受けられない人がいる上での話しなのです。  日本人が留学したり見学をして、学んでくる米国の一流施設での医療は、経済的に恵まれた人が受けることのできる、途方もなく高額な医療です。医師の数、看護師の数、コメディカルの数、設備、病院の空間、教育への時間のとり方、スタッフの数…

続きを読む

セカンドオピニオンを求める先の医師をどうやって選択するのか

 セカンドオピニオンをえる時に、どの様な医師にかかるべきでしょう。セカンドオピニオンの目的は、まず安心をえるためです。もう一つは、治療法を自分で選択するためです。  安心のためのセカンドオピニオンは、最初の病院で治療を受けることをほとんど決めており、方針もほぼ決まっています。最終的には自宅から近い病院で治療を受けたいけれども、そこでの診断や治療法が間違っていないかを確かめるために、○○がんセンターでの意見を聞きたいなどという場合です。 この目的であれば、余り、ズバズバと言う医師のところへ行けば、かえって不安になります。安心のためであるなら、セカンドオピニオンを専門医ではなく、かかりつけ医や総合的な判断のできる内科医に相談し、病状や治療方針を聞き、解説してもらうのも一つの方法です。  相談の際に生じる一つの問題は、手術や治療を受ける予定の医療機関のレベルが、セカンドオピニオン医には解らない場合のあることです。そして、実はどの治療法を選ぶべきかどうかは、病院によってある程度異なります。 肝臓がんに針をさしてラジオ波で焼く技術(RF)に優れている施設もあれば、開腹手術の大変上手な外科医がいる病院もあります。あるいは、外科医が腹腔鏡下の手術を得意とし、より体に負担が少ない方法で、確実に腫瘍を取ることが可能な場合もあります。  針をさす治療では、胆道や血管を傷つけたり、感染や合併症を起こす場合があります。しかし、合併症に対処するチームが充実していれば、そのために事なきを得ている…

続きを読む

セカンドオピニオンで開腹をまぬがれる

セカンドオピニオンを求められても、一番目の医師の下でどのような根拠でそう判断されたかが重要です。実は、2番目の方ががんを見落とす場合だってありえるからです。そうであれば、2番目の医師は一番目の医師の情報と総合的に判断する方がより確かになります。 私のところに胃がんだといわれて相談に見えた患者さんがいました。その病変ががんでないというためには、それなりの慎重さが求められるのです。 患者の生き方より ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 開腹手術をすすめられた患者さんの顛末 私の知り合いNさんは、通っている病院で内視鏡検査を受けました。その結果を聞きに言ったところ、「胃がんだったから、入院のうえ開腹手術が必要です。」と言われたというのです。 Nさんより相談を受けた私が、早速、内視鏡検査を再検したところ、胃の折れ曲がるところの胃角部に、潰瘍を繰り返した跡のひきつれが集まっています。粘膜もやや凹凸が強いのです。 その部位の組織をとり、病理検査に出しましたが、「異型性のある細胞」であるとの病理医からの返事でした。私が病理のM先生に直接相談に行くと、「胃がんとは言えないけれども、あやしげな細胞は確かにある。もし他の病院でがんと言われたのなら、やはりその組織を見なくてはならない。」との意見でした。  M先生の意見に私も同意し、Nさんにそう伝えました。程なく、前にみてもらっている病院から病理組織が送られてきました。送られてきた標本を詳細に観察し…

続きを読む

何のための法律か 未成年の飲酒について

NEWSというグループの一人が18歳にもかかわらず酒を飲んで酔っ払い補導された。そして、一緒に飲んでいたフジテレビのアナウンサーまでがマスコミでバッシングにあっている。処分が甘すぎると、国家公安委員長まで登場だ。 一体この法律を世の中の人はどこまで守っているのであろうか? 高校を卒業し、大学生になれば飲酒をすることは、日本の社会では公に認められていると私は思っている。もしこの法律を厳格に適用するなら、大学の新入生歓迎会は全て法律違反になるであろう。それに同行した20歳以上の成人は、全て責任をとらされ、処分されるべきというのだろうか? 今回のこの事件をめぐって、フジテレビのアナウンサーへのバッシングが続いているが、バッシングしている人は、20歳になるまで飲まなかったのだろうか?あるいは、20歳以下のひとと一緒に酒を飲んだことはないのだろうか? わたしは、このような社会に受け入れられていない、あるいは守られていない法律の改正そのものが議論されるべきだと思う。高校を卒業した時点で飲酒を認めることが、むしろ法律の尊厳を守るためにも必要ではないか。そのような議論が全く出てこないところに、マスコミの偽善を感じる。 今回の事例は18歳ということであり、高校を卒業しているかどうかは私には解らないが、20歳の設定では高すぎると思う。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050720-00000018-spn-ent

続きを読む

診療録(カルテ)はそのまま第三者に理解できるか?

都立病院を始めとして多くの病院で情報開示をうたい、情報開示はもう既に時代の大きな流れになっている。ただし、医療の現場では、まだまだ十分に対応ができているとはいえない現状がある。 つまり、情報開示をスムースにするためには、カルテは第3者が見ても解るようなものであることが前提条件になるが、必ずしもそうはなっていない。診療者のメモ程度になってしまっていたり、書いた本人にしかよく解らない内容の場合も多い。内容の問題だけでなく、読めない字であることも多い(これは私も含めてですが)。 それがそもそもいけないと言われるかもしれないが、事はそれ程簡単ではない。実際には診療録を十分に書くだけの時間をとれないというのが医療の現場にいる者の本音だ。つまり、日本では余りにも多くの仕事が医療者に課され、記録にまで手が回っていないのだ。 例えば、病床あたりの医師や看護師の数は、日本は米国の5分の一から7分の一程度しかいない。その人数で同じ事をやろうとすれば、どこかにひずみは生じる。それでは医療者数を増やせばよいかというと、人を増やせば必ず医療費は高騰する。日本の医療は世界的にみても安価な費用で済ませていながら、比較的高いレベルを維持しており、そのためには色々な面で犠牲にしていることも多いのだ。 犠牲にしていることの一つに、診療録への記載があげられる。あるいは、患者さんとの会話だ。研修医には、患者さんのベッドサイドにはよく行き、診察し会話もしているのに、診療録の記載がおろそかな場合がある。一方、患者さん…

続きを読む

セカンドオピニオンの際には 必ず紹介状をもらう

何よりも大事なことは、Ⅰ番目の医師によく聞くことですが、次に大事なことは紹介状をもらうことです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 受け持ち医に紹介状を書いてもらうために セカンドオピニオンを求める際には、今の主治医に紹介状を書いてもらうことが何よりも大切です。それがなければ、セカンドオピニオン(第二の意見)ではなく、セカンドコンサルテーション(第二の診察)になってしまいます。紹介状なしで来られると、今までの主治医(前医)により行われた検査を繰り返すことになります。 それは、患者さんの体にとって負担であるし、日本全体の医療経済を考えても無駄になります。 前医に内緒で紹介状も持たずにくるのは、おそらく前医に遠慮しているためでしょう。患者さんや家族は、前医で聞いた話を何とか伝えようとしますが、それでは医師としての責任ある意見の出しようがありません。 医師としてきちんとした判断を下し伝えるためには、根拠あるデータが必要です。人からの伝聞の話を頼りに病状を判断したり、治療法について意見を言うことは、誤解を生じ、間違える可能性も大きいのです。それでは単なる身の上相談となってしまいます。 最近、私も受け持ちの患者さんから、他の医師によるセカンドオピニオンを受けたいから、と紹介状を書くことを求められることが、時々あります。最初の頃、慣れないことでもあり、自分が患者さんから信頼されていないのか、と戸惑っていました。しかし、今はそれが普通のことと思…

続きを読む

セカンドオピニオンを求める  その3

セカンドオピニオンを求める理由は人それぞれです。実は本人もあまりよく解っていないこともあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー セカンドオピニオンには何を目的に求めるのか セカンドオピニオンを求める経緯はさまざまです。その目的により大きく二つに分けられます。 一つは、最初の主治医の治療方針でよいと考え、そこでの治療の継続を考えているけれども、人生の重要な決定だからと別の医師の見解を参考のために聞きに来る場合です。 もう一つは、前医の治療方針に同意あるいは充分納得することができず、他の病院で別の治療法はないかとセカンドオピニオンを求めたり、自分自身で客観的にいくつもの治療法の中から選択したいと考えてくる場合です。 医師の意見が診療や治療の方針の細かい点まで、100パーセントパーセント一致することはありえません。しかも、医療の現場ではAでもBでもどちらでもよい、それ程結果は変わらないという場合が、しばしばあります。また、どちらの選択も間違いではないけれども、私ならこちらにしたいという場合もあります。そうすべきでないという場合もあります。  私は、セカンドオピニオンを求める患者さんの目的によって、対処の仕方を考えています。 安心のためのセカンドオピニオンであれば、私は前医と同じように考えている点を強調し、前医が病状や病態に合った合理的な診断と治療をしていることを伝えます。そして、患者さんやその家族が、その病院で安心して医…

続きを読む

セカンドオピニオンを求める    セカンドパート

セカンドオピニオンに関しては皆さんさまざまな思いをもたれています。それでは「患者の生き方」より私見パート2を紹介します。ますます議論が盛り上がることを期待します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー セカンドオピニオン;医師の視点から 通常の外来時に、セカンドオピニオンを求める患者さんが来られると、医師として大変苦労します。私の外来では、50から70人の患者さんを、4-5時間で診ています。一人にかけられる時間は、平均してせいぜい5分というのが現状です。 ところが、セカンドオピニオンを求めてくる人は、命に関わる重病であったり、診断や治療の難しい難病であり、病状が複雑なことも多く、病気の診断や治療そのものが難しいのです。さらに患者さんは、何らかの理由で、医療に対して不信感をもっていることも、少なくありません。そのため、病気の説明にも、普通以上に時間と注意を要します。 患者さんが、他院の入院期間中に受けた検査結果や膨大な資料などを紹介状にそえて、持ってこられると、それを全部読むだけでも大変です。とても10分や15分間の短い診察で済ませることはできません。それでも、外来の待合室で待つ多数の他の患者さんのことを考えると、一人の患者さんに30分以上かけることはためらわれます。事実上それは不可能です。 一人に15分から30分をかけるとしても、もし一日の外来に二人から三人の患者さんがセカンドオピニオンで来られると、その日の外来はもうお手上げ状態となります…

続きを読む

セカンドオピニオンを求める

セカンドオピニオンは、これからの医療の中で避けることのできないものとなっている。しかし、まだまだ患者さんも医療者もその制度になれていない。本格的にセカンドオピニオンが日本の医療でシステムとして動き始めたのは、まだほんの5年ほどのことである。以下にセカンドオピニオンについての私見を述べたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー セカンドオピニオンを求める セカンドオピニオンを求めて、病院を訪れる人が増えています。セカンドオピニオンは文字通り、他の医師による二番目の意見です。都内の他の大学病院に入院中の患者さんやその家族が、主治医からの紹介状を持ち、私たちの病院の外来に訪れることも稀ではありません。 私は、これを望ましい変化であると考え歓迎する一方で、無駄も多いことだと否定的にも感じています。セカンドオピニオンがなくても納得できる医療を受けられることが、本来の望ましい姿です。 他方、一生を決める大事な決断であれば、セカンドオピニオンを求めることを、躊躇すべきでないとも考えています。現在は、納得できないままに医療がすすんでいることも多いのだと思います。そのような日本の現状を考えると、セカンドオピニオンを得る習慣をすすめなければならないと考えます。 ただし、先ずは、自分の主治医の意見や治療方針(ファーストオピニオン)を、納得できるまでよく聞くことです。ファーストがあってこその、セカンドなのですから、ファーストをおろそかにしてはなりません。 …

続きを読む

父権主義(パターナリズム)と医療 (その4) 

家族の判断ににまかせることに危険もあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「患者の生き方より」 患者さんの意思はどこにあるのか  大勢の家族に付き添われて、小柄ですがふっくらと柔らかく豊かな表情をした78歳の老婦人Xさんが入院しました。 家族の一人は私を見るなりそっと近づき、「もう年齢も年齢だし、手術を受けさせるのもかわいそうだから、家族の中で相談して手術は受けないことにしました。」と耳打ちしました。 「胃に比較的大きな潰瘍があり、入院の上での治療が必要です。場合によっては、外科的な手術も考えなければいけないかもしれませんが・・。」 外来で私は、Xさんと付き添いでみえた御長男に、胃内視鏡検査の結果を伝えました。その後、入院申し込みの手続きをしている間に、御長男だけを呼び戻し、今回見つかった病変が胃がんであることを伝えていました。入院時に耳打ちされた内容は、外来での私の説明に対する返事であったのでしょう。 「Xさん自身がそう希望されているのですか。」 「はい、手術は受けたくないといっています。でも、本人には、がんとは言わないでください。それを聞くと、きっとガックリしてしまいますから。」  私は開腹手術を受けないのも一つの選択であるとは思いました。しかし、にこやかなXさんを見ていると、手術にまだ十分耐えられそうな体力と気力をもっています。本当にこのままでいいのだろうか、と考えた私は、病室に入った時、ご家族の前で本人…

続きを読む

父権主義(パターナリズム)と医療 (その3) 

父権主義と医療について、色々なコメントをいただいた。その中で自己決定権をどうとらえるかは大切な問題である。以下に、自己決定権と患者中心の医療についての拙文を「患者の生き方」より転載したい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 医療における独立自尊とは 私が外来で診ている慢性の肝臓病の患者さんは、その多くが高齢者です。日本のお任せ文化に親しんできた人達です。このような人に対して、いきなり治療法の選択をと迫っても、戸惑われることも少なくありません。 しかも、現実の問題として、患者さんに提供すべき情報、治療法を選択するための根拠となる情報が、施設ごとに準備できているわけではありません。論文に書かれている治療法の成績は、報告施設のものであり、別の施設での治療の成績は異なっていて当然です。Aの治療が得意な施設もあれば、Bの治療を得意とし、Aの治療には習熟していない施設もあります。 ところが、あらゆる病気に対して、各施設が科学的評価に耐えるだけの十分な症例数やデータをもつわけではありません。また、同じ病名の腫瘍でも、腫瘍の部位や性質によって治療成績は異なります。 肝がんを例に取り上げます。その治療の選択のためには、肝炎ウイルス感染の有無、合併する肝硬変の進行度、腫瘍の大きさ・数・部位・血流状態、超音波での見え方、針が刺しやすい部位か否かなど、いくつもの場合分けが必要です。ところが場合分けを続けると、それぞれのグループの症例数は限りなく小さく…

続きを読む

ブログ5ヶ月 自由の広場

ブログを開設してもう5ヶ月が過ぎた。この間に私の異動もあり、周囲の状況も大きく変化している。また、6月10日に仮オープンした 「患者への医療情報提供のサイト MELIT」 ができたのも、このブログのお陰である。 このブログとサイトを通して、少しでも良質な医療の情報が届くことと、患者やその家族と、医療者の間の意識のギャップを小さくすることを夢見ている。 今後とも皆さんからの活発な意見やコメントをお願いしたい。 毎月10日の記事は、自由なコメントの場として提供している。しかし、この場が、感情的な発言やけんか腰の議論の場にになることは、私の望むところではない。あくまでも議論は冷静に、そしてそれを楽しむものであって欲しい。 また、一人の人が一日に3つも4つも長文のコメントを続けて書かれることはやはり異常なことと感じる。それだけ世の中に発言したいことがある人であれば、それはご自分のブログに書かれるのが本当ではないかと思う。 私はこのブログで知り合えた方を、どの人も大切にしたいと思う。それぞれの人の意見が率直に述べられながらも、感情的になものにならないものであることを切に願う。

続きを読む

父権主義(パターナリズム)と医療 (その2) 

私はこの医療憲章を高く評価し、その方向性を支持する。そして、日本国中の医師がこの医療憲章を知り、そしてそれを遵守しようとすることを望む。 ただし、現在わが国において「医療事故はいかなるものも患者に告げる」ということを全ての人に適応すべきかどうかは、別の問題だ。「そんなことを知らされたら、私は恐くて病院で治療を受けられない。」という人が現実にいるのだとすれば、その意見を尊重することも必要であろう。 医療事故の事実を知らせるかどうかは、がんの告知とも類似する。全てのがん患者に、病名を告知することが絶対ではなく、病名の告知を拒みたいという人の意志も尊重しなければなるまい。 「わたしは、病気の治療についての大事なことはすべて長男にまかせます。」 といっている老婦人に、 「これはあなたのことなのだから、自分で決めなければだめです。」 とばかりに、難解な医学用語で説明し自己決定権をせまるのが、患者中心の医療とはいえまい。 現在の日本では、国民が自己決定を受け入れる過渡期にあるとに思う。そのような過渡期こそ、医療者の対応は一番難しい。自己決定する習慣のある人かどうかを見分けなくてはならないからだ。 医療事故については自分には教えて欲しくないという人には、教えないという選択もたいせつだ。それでは、本人に知らせないからといって、医療者の間だけの情報としてしまってよいだろうか。私は、それでは医療者間の秘密として隠匿されるために、危険だと考える。 非医療者にも必ず知らせ…

続きを読む

自然農法の農園では  その3 

邦之さんは自然農法による農場を営まれ、大地をベースに、日と水と風のなかで生命を育まれています。そこでえられた邦之さんの体験を中心にお話をお聞きしたいと思います。

続きを読む

父権主義(パターナリズム)と医療 1

  一昔前(?今でももちろん?)、医療における医療者患者関係が、親と子の関係性に類似するものであるとして、パターンリズムの弊害がいわれた。  父親と子供になぞらえられるごとく、医師が圧倒的な知識と知恵を持ち、患者は医師に頼り判断も委ねればよいというものだ。患者は余計なことは知る必要もない。  実は、医師だけでなく患者も医師を神格化することを望み、医師は常に清廉潔白で間違いを犯さない存在であるふりしてきた。それによって、患者は安心して医療にかかることができ、その安心感は治療にもよい影響を及ぼすとなる。すると、ますます医療者にとって、間違いは犯さないものとのふりをすることが必要となり、もし犯してもそれを隠さなければならないものとなる。そして、医師がこの治療がよいと決めれば、それが最善のものとなる。  ところが、そのような態度は科学的のものとはいえない。現実の医療では、常に不確実性が存在するし、過誤も人間のやることには必ず伴う。過誤はそれを明らかにし対策をとるからこそ、次の過誤をなくしたり、少なくするための材料となる。もし、それが隠されてしまうと過ちを繰り返すことになる。しかし、医療は医療者が提供するものだから、患者が心配する必要などないとされてきたのだ。  一方、パターナリズムの崩壊は、価値観の多様化と揺らぎの面からも説明することができる。価値観が一定で普遍的なものであれば、その価値観のうえに医師が判断すればよい。ところが、価値観の多様化が叫ばれ、色々な立場の考え方が許容される世の…

続きを読む

「自然農法の農園では」 その2

「自然農法の農園では」について 何と一ヶ月以上にわたりコメントの続く人気記事となりました。と言うより、長友邦之さんのコーナーになっている感があります。 継続を期待して新しい場に移します。

続きを読む

オフカイ仲です。

昨夜、Galantさん、Omori-shさん、fkymhtsさんご夫妻の5人で off 会をもった。ブログで知り合ったという不思議な仲間との会であった。しかし、いざ会ってみるとまるで旧知の友人と会ったかのような不思議な感覚をもった。私が中高時代を過ごした神戸の言葉を話す人達との会であったせいかもしれない。 Galantさんは、その文章より、もっとサラリーマンっぽい人を想像していたが、思ったよりずっと若くて軽い、ノリのいい好青年であった。まだ、独身だと言う。「こんな人ほおっておいていいの、神戸の女性」といいたくなってしまう。 理科系はおくてなのですぞ。 そして、何としんぞぉのおんなの写真まで持っており、はじめてしんぞうはうわさのおんなの顔を拝見することもできたのであった。やはり、私のおんなではなかった。   しんぞうです。 Omori-shさんは、もっとふんわりとした柔らかい感じの人を想像していたが、見た目は硬派でびっくりしてしまった。しかし、話をしてみるとやはり軟派であり、私のことまで無理やり軟派に引きずりこもうとする。(そ--うい-うわけなのです、ニノチカさん) fkymhtsさんご夫妻は誰が見てもうらやむだろう美男美女の医者夫婦。育ちのよさが顔にも出ている。(いえいえ、他の二人が・・・・・ などと決して詮索しないでください。汗!) そういえば、ブログで知り合った人で、実際にあった最初の人はひかわさんである。何とこの人も、私と同じ高校の同窓生であるということを、後で知る奇遇であっ…

続きを読む

簡単な医療ミスでも患者に伝えるべきか

先日、看護医療学部での授業「死後の身体変化について」の最初の30分を使って、以下のような設問のもとにグループ討議をしてもらった。異状死が出てくる授業であり、その報告に関連する設問であった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 看護師Aさん(26歳)は、一般病院の内科病棟に勤務している。ある日、深夜勤で巡回した際に、患者Bさんの名前が書かれた点滴ボトルが患者Cさんに点滴されていることを発見した。急いでナースステーションに戻り、確認したところ同じ勤務帯の看護師Dさん(30歳)のミスであることがわかった。幸い点滴の内容は類似のものであり、患者の容態に変化はない。点滴の交換時にも双方の患者ともによく眠っており、ミスに気づいていない。 看護師Aさんにとって、Dさんは出身校が同じの先輩であり、普段からよく面倒をみてくれた。点滴を指示のものに直した後、先輩看護師Dさんが看護師Aさんにミスのことは誰にも言わないでほしいと頼んだ。 看護師Aさんは先輩Dさんの頼みをいったん受け入れたものの、これでよいのかと悩んでいる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さすがに、次の医療ミス防止のためにも、医療関係者の間ではこれを明らかにし、報告したほうがよいという意見が大半であり、隠す方がよいという意見はほとんどなかった。しかし、先輩との関係性のうえで悩むかもしれないという意見もあった。 さて、問題になったのは、患者さんに、この事実を告…

続きを読む

現代社会の悪魔祓いとは

上田紀行さんの「スリランカの悪魔祓い」には、悪魔に魅入られ体や心の具合を悪くした人が、悪魔祓いという儀式をとおして、村人との関係性を回復していく様子が描かれています。悪魔祓いをうけるのは、病院に行ってもよくならなかった患者さんであり、お父さんが元気をなくし畑にも行けない、子供が学校をこわいと閉じこもってしまう、出産を控えた妻が毎夜悪夢をみるなどを訴える人が対象です。 悪魔祓いというと、おどろおどろした陰湿なものを想像しますが、スリランカでは楽しく陽気なものであり、病気直しの村祭りに相当するというのです。徹夜で行われる活気ある儀式であり、踊りあり、お笑いありの村人の娯楽です。そして、その儀式をとおして、病人は周りの人との関係性を再構築するのです。 この本を読んで、私はアルコール依存症や拒食症の患者さんを思い浮かべました。 患者さんの多くは家族や社会との関係性に問題を抱え、その関係性の修復や回復に悩んでいます。これらの患者さんに対して必要なのは、スリランカの農村部での「悪魔祓い」に相当する、現代風に形を変えた儀式ではないかと思うのです。  私は消化器を専門とする内科医であり、拒食症の患者さんにも何人か関わってきました。多くの人は、父親が不在で存在感が薄かったり、母親は逆に厳格すぎて過度に干渉的であり、家族や周囲の人との関係性に悩んでいます。そして、悪魔に魅入られたかのように、何かのきっかけで拒食症となると、そこからの回復は容易ではありません。 周囲の人との関係性の再構築のため…

続きを読む

現代医療の呪文

何気なく放たれた医師の言葉が、患者さんに大きな影響を及ぼすことがあります。 C型の肝硬変の患者さんに対して、「あなたはそのうちに絶対に肝臓がんになる。」などと予言めいたことを平気で口にする医師がいます。その医師のもつ神経に驚かされますが、この時の絶対の使い方は、明らかに間違っています。 「そのような医師にさえ、絶対に死は訪れるのです。」との表現であれば、間違いではありません。生きとし生けるものが死を迎えるのは、生物学的に唯一絶対といってよい真理なのです。時間の指定さえなければ、それは予言でも占いでもありません。 「胃の調子が悪くて、食べることができない。ピロリ菌を他の人に感染させることが怖くて、外出もできない。」  30代の女性Iさんが外来を訪れて訴えました。最近、○○クリニックで検診のため胃カメラを受けたばかりですが、結果を聞きに行くと、担当医師より 「あなたの胃は慢性胃炎でした。しかも、ヘリコバクターピロリ菌という恐ろしいバイ菌にかかっています。胃潰瘍を繰り返し、そのうち胃がんになってしまいます。 これは伝染する病気ですから、他人に感染させないように気をつけなければいけません。そのためには、薬をしっかり飲んで治さないといけません。 もし薬を途中でやめてしまうと、胃炎はすぐに悪化するし、抗生剤が効かなくなってしまいます。唾液からでも他人に移りますよ。」 と言われたのです。 Iさんは、胃の中に住んでいるというピロリ菌が怖くなり、薬を飲み始めましたが、胃の調子はかえって…

続きを読む

現代医療とスピリチュアリティ   その3

スピリチュアルブームの到来?  最近、霊視などにより相談や助言をするスピリチュアル・カウンセラーがブームになり、テレビなどでもよく見かける。これらももちろんスピリチュアルであり、宗教にはそのような1面があり、私はそれらを否定しないが、現時点ではこのような意味でのスピリチュアルを医療の現場には持ち込まないほうがよいと考えている。 これらには偽者やまがいものが多く含まれており、スピリチュアルという言葉の印象を怪しいものにしてしまい、医療にスピリチュアル・ケアを導入するにあたって、むしろ足を引っ張る結果にならなければよいがと危惧している。 万教同根とスピリチュアリティ  スピリチュアリティとは、生きる意味や生きがいなど人間の本質的な部分への関わりを意味する。そして、宗教の最も本質的な部分の一面を表しているともいえる。さらに、個人やグループ、コミュニティのそれぞれの持つ価値観を大切にしようとするものであり、私は、それが自分の信仰する大本の万教同根の教えに近いものではないかと考えている。    宗教の組織や巨大教団は、権威主義的であったり、宗教を金儲けの手段に堕落させたり、オウム真理教のように破壊的な反社会的な行為をするなどの歴史をもつものがあり、日本では宗教に拒否感をもつ人が多い。特に戦後の教育を受けた世代ではそうであるし、オウム真理教事件以来その傾向は増大している。  しかし、一方で、五木寛之氏、玄侑宗久氏、瀬戸内寂聴氏などの書かれた本が次々にベストセラーになるなど、宗教心や宗教性…

続きを読む

現代医療とスピリチュアリティ  2

スピリチュアル・ケアの現状 スピリチュアルな痛みに対処することをスピリチュアル・ケアというが、欧米の諸国では、すでに国家の医療制度の中に公に組み込まれている。 例えば、ドイツでは連邦共和国基本法(憲法)の中で、医療施設でのスピリチュアル・ケアが保障されており、多くの医療施設に魂の配慮部(Seelsorge)が設置されている。 英国の医療施設にはパストラルケア部があり、英国の国家医療制度(NHS;National Health Service)からは公的なガイド本(「NHSにおけるスピリチュアル・ケア;医療を委託する関係機関と委託されている医療機関へのガイド.NHS連合」)が出されている。 米国では、患者の権利としてスピリチュアル・ケアを受けられることがうたわれており、病院の認可や評価にも関係する。 これらの国はキリスト教が主の国々であるが、例えばイスラム教徒の人にはその人の求める形でのスピリチュアル・ケアを提供することが求められている。 ちなみに、1985年頃私が留学した米国ニューヨーク市ブロンクス退役軍人病院は、国の公的機関の病院であるが、その中に礼拝堂が設けられており、宗派を問わずに利用可能であり、チャプレンと呼ばれる聖職者がスピリチュアル・ケアのサービスを担当していた。基本的にはチャプレンはその宗派の人にケアを提供するが、宗派を超えて対処する場合もある。 一方、わが国では、スピリチュアル・ケアは、今まで医療の中で意識的に避けられてきた問題である。キリスト教系…

続きを読む

笑顔であたたかい風を

 最近、病棟に女医が多くなりました。国家試験の合格者の中の女性の比率が、もう既に30%を超えているのだから当然です。内科に限れば女性の比率はもっと高いでしょう。 昔と違って(いえ、昔もそうでしたが、 汗!)、最近の女医は才色兼備というか、容姿端麗で学問優秀と、これはもう文句のつけようなしという人もいます(このもが余計だ)。 先日も、来年度の学外からの研修医候補者の面接試験にも立ち会いましたが、女性陣の元気さと優秀さには驚かされます。男性の方が元気がない。  ただ、残念なのは、病棟や外来では、どうもその美しい顔が固い表情の後ろに隠されてしまうことです。時には、ストレスのせいか顔がゆがみ左右非対称になっている医師も見かけます。女医は、余りニコニコ愛想良くしていると看護婦にバカにされるからとか、患者に看護婦やクラークと間違えられないようにとか、色々と気を使うことが多いのでしょうか。 エエッ、患者にストーカーされてしまうから。いや、本当にそういう“美しい素敵な”女医さんもいましたけどね。(イヤイヤ、あなたがそうじゃないなんて言っているわけではないのです。) A先生の「ギャハハハ」という馬鹿笑いがきらいだって。やっぱりあれでは品がないですね、病棟では。 ソオ、品がないといえばやはりB先生の「イヒヒヒヒ」という卑猥な笑いも良くないね。 ウン、確かにC先生の「ウフフフ」「オホホホ」もおかまっぽいかな。 エエッ、D先生のいつも上に媚びるような「エヘヘへ」という笑いのほう…

続きを読む

現代医療とスピリチュアリティ

医療の中でスピリチュアリティを見直そうとする時代を迎えている。医療において科学万能とされてきた時代には、スピリチュアリティは排除されてきたが、今それが見直されようとしている。ここでは現代医療においてスピリチュアリティがどのようにとらえられているかについて述べ、宗際活動との関係についても触れる。 スピリチュアリティとは 医療においてスピリチュアリティという言葉が使われるのは、それ程の長い歴史があるわけではない。スピリチュアリティを、日本語にあえて訳そうとすれば「霊性」であり、スピリチュアルは「霊的」となろうが、霊そのものの理解が難しい現代社会では、霊という言葉が誤解を受け易いことから、現在もスピリチュアリティのままで使われている。 それでは、スピリチュアリティとはどのように使われているのであろうか。まず、緩和医療と呼ばれる「がん」などの不治の病の終末期医療において、スピリチュアル・ペインやスピリチュアル・ニーズという言葉が使われる。そして、WHO(世界保健機構)で健康の定義が議論された時、健康を考える際の4次元のひとつとしてスピリチュアルな次元があげられた。そして、アルコール依存症患者の間の患者の集まり、AA(アルコールアノニマス)と呼ばれる自助グループの活動の目標として、スピリチュアル・グロース(霊的成長)が挙げられている。 スピリチュアル・ペインとは スピリチュアル・ペイン(痛み)とは、死を目前にした患者が、「なぜ、こんな病気になってしまったのか」「どうして、私がこの病気で死な…

続きを読む

”melit(メリット)” 医療リテラシーのサイトがいよいよ試運転開始

丁度このブログが4ヶ月を迎えた日に、医療リテラシーのホームページを立ち上げることができました。 名づけてメリット。  medidal literacy の me と lit をとり、患者さんにとっても医療者にとってもメリットのあるサイトにしたいという、おじさんの駄洒落ですがね。 この際、 r と l の発音の違いなど気にしてられません、日本人だから解らないといった方が正確か?   まずは、肝臓病ではじめて、それから他の慢性疾患やがんにも拡げていきたいと考えています。 他の疾患で始めたいという人はどうぞご連絡ください。近い将来に実現をと考えています。 皆さんの積極的なコメントを大歓迎します。 下記アドレスでアクセスできます。このブログ同様にかわいがってください。 http://melit.jp/ なお、このブログも当分は並行して継続する予定です。

続きを読む