父権主義(パターナリズム)と医療 (その4) 

家族の判断ににまかせることに危険もあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「患者の生き方より」 患者さんの意思はどこにあるのか  大勢の家族に付き添われて、小柄ですがふっくらと柔らかく豊かな表情をした78歳の老婦人Xさんが入院しました。 家族の一人は私を見るなりそっと近づき、「もう年齢も年齢だし、手術を受けさせるのもかわいそうだから、家族の中で相談して手術は受けないことにしました。」と耳打ちしました。 「胃に比較的大きな潰瘍があり、入院の上での治療が必要です。場合によっては、外科的な手術も考えなければいけないかもしれませんが・・。」 外来で私は、Xさんと付き添いでみえた御長男に、胃内視鏡検査の結果を伝えました。その後、入院申し込みの手続きをしている間に、御長男だけを呼び戻し、今回見つかった病変が胃がんであることを伝えていました。入院時に耳打ちされた内容は、外来での私の説明に対する返事であったのでしょう。 「Xさん自身がそう希望されているのですか。」 「はい、手術は受けたくないといっています。でも、本人には、がんとは言わないでください。それを聞くと、きっとガックリしてしまいますから。」  私は開腹手術を受けないのも一つの選択であるとは思いました。しかし、にこやかなXさんを見ていると、手術にまだ十分耐えられそうな体力と気力をもっています。本当にこのままでいいのだろうか、と考えた私は、病室に入った時、ご家族の前で本人…

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父権主義(パターナリズム)と医療 (その2) 

私はこの医療憲章を高く評価し、その方向性を支持する。そして、日本国中の医師がこの医療憲章を知り、そしてそれを遵守しようとすることを望む。 ただし、現在わが国において「医療事故はいかなるものも患者に告げる」ということを全ての人に適応すべきかどうかは、別の問題だ。「そんなことを知らされたら、私は恐くて病院で治療を受けられない。」という人が現実にいるのだとすれば、その意見を尊重することも必要であろう。 医療事故の事実を知らせるかどうかは、がんの告知とも類似する。全てのがん患者に、病名を告知することが絶対ではなく、病名の告知を拒みたいという人の意志も尊重しなければなるまい。 「わたしは、病気の治療についての大事なことはすべて長男にまかせます。」 といっている老婦人に、 「これはあなたのことなのだから、自分で決めなければだめです。」 とばかりに、難解な医学用語で説明し自己決定権をせまるのが、患者中心の医療とはいえまい。 現在の日本では、国民が自己決定を受け入れる過渡期にあるとに思う。そのような過渡期こそ、医療者の対応は一番難しい。自己決定する習慣のある人かどうかを見分けなくてはならないからだ。 医療事故については自分には教えて欲しくないという人には、教えないという選択もたいせつだ。それでは、本人に知らせないからといって、医療者の間だけの情報としてしまってよいだろうか。私は、それでは医療者間の秘密として隠匿されるために、危険だと考える。 非医療者にも必ず知らせ…

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簡単な医療ミスでも患者に伝えるべきか

先日、看護医療学部での授業「死後の身体変化について」の最初の30分を使って、以下のような設問のもとにグループ討議をしてもらった。異状死が出てくる授業であり、その報告に関連する設問であった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 看護師Aさん(26歳)は、一般病院の内科病棟に勤務している。ある日、深夜勤で巡回した際に、患者Bさんの名前が書かれた点滴ボトルが患者Cさんに点滴されていることを発見した。急いでナースステーションに戻り、確認したところ同じ勤務帯の看護師Dさん(30歳)のミスであることがわかった。幸い点滴の内容は類似のものであり、患者の容態に変化はない。点滴の交換時にも双方の患者ともによく眠っており、ミスに気づいていない。 看護師Aさんにとって、Dさんは出身校が同じの先輩であり、普段からよく面倒をみてくれた。点滴を指示のものに直した後、先輩看護師Dさんが看護師Aさんにミスのことは誰にも言わないでほしいと頼んだ。 看護師Aさんは先輩Dさんの頼みをいったん受け入れたものの、これでよいのかと悩んでいる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さすがに、次の医療ミス防止のためにも、医療関係者の間ではこれを明らかにし、報告したほうがよいという意見が大半であり、隠す方がよいという意見はほとんどなかった。しかし、先輩との関係性のうえで悩むかもしれないという意見もあった。 さて、問題になったのは、患者さんに、この事実を告…

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”melit(メリット)” 医療リテラシーのサイトがいよいよ試運転開始

丁度このブログが4ヶ月を迎えた日に、医療リテラシーのホームページを立ち上げることができました。 名づけてメリット。  medidal literacy の me と lit をとり、患者さんにとっても医療者にとってもメリットのあるサイトにしたいという、おじさんの駄洒落ですがね。 この際、 r と l の発音の違いなど気にしてられません、日本人だから解らないといった方が正確か?   まずは、肝臓病ではじめて、それから他の慢性疾患やがんにも拡げていきたいと考えています。 他の疾患で始めたいという人はどうぞご連絡ください。近い将来に実現をと考えています。 皆さんの積極的なコメントを大歓迎します。 下記アドレスでアクセスできます。このブログ同様にかわいがってください。 http://melit.jp/ なお、このブログも当分は並行して継続する予定です。

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腕の悪い愛想のよい外科医よりは メスの切れる愛想の悪い外科医の方が?

日本の料理店では、客に対してほとんど口もきかず愛想は悪いけれども、料理の腕は誰にも負けないと、包丁一本に誇りをかける職人肌の板前さんがいます。ただし、流行っている店であれば、必ずそこに気配りの上手な女将さんや仲居さんがいるものです。 板前や職人は愛想の悪いものとして、それを補うためのシステムが構築されているのです。このような形で、店全体あるいは病院全体としてバランスが保たれていればよいのです。 愛想はよくても調理の下手な料理人がいる店と、愛想は悪いが料理はうまい板前さんがいて女将さんが気配りをしている店では、どちらを選ぶでしょうか。こんな単純な比較であれば、ほとんどの人は後者を選びます。そうであるならば、手術の上手な外科医がいれば、愛想が悪くても、それを周囲が支え補うシステムが組まれた病院であればよいのです。 医療では、知識と技術と態度(コミュニケーション)の三要素のレベルの高さとバランスのよさが要求されます。ひとりの人間でバランスがとれていれば理想ではありますが、要求される技術や知識が高度になればなる程、態度をあわせて三者を兼ねそなえることは難しいのです。 医師の中でも外科系は特に技術が大切です。患者への応対はよくても、腕が悪く手術で失敗を繰り返している外科医など、ぞっとします。一方、内科系の医師は的確な診断と治療をするために、幅広いそして深い知識と観察眼が求められます。そして、かかかりつけ医では、何よりも態度のよさが重要です。 全ての領域の病気に対して、最新の深い…

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新薬を使うには半年待ってからが安全

 20年以上医療にたずさわっていると、大型新薬と期待され市場に出た薬が、発売後比較的間もなく重篤な副作用が頻発し、結局は市場から姿を消すという例を何度も見ました。これらの薬も、市場に出る前に新薬の試験として治験を終了し、効果と安全性が確かめられ、やっと厚生労働省から認可がおりたものです。  マロチレートは、日本の製薬会社により開発され、肝臓でのタンパク質の合成を促進する新しいタイプの肝硬変治療薬として期待されて登場しました。肝硬変では、肝臓の細胞が減り、細胞の機能も低下するために、肝臓でのタンパクの合成力が低下します。その結果として、腹水やむくみなどの症状がでます。新薬の試験(治験)の結果では、血液中のタンパク質アルブミンが増えるなど期待通りのよい成績が得られ、重い副作用もありませんでした。今までの肝臓病薬にはない薬として国際的にも注目されました。 ところが、認可後市販されて多数の肝硬変の患者さんが服用し始めると、重篤な肝障害が続出し死亡例が何例も出ました。慎重に使用するようにとの注意も喚起する情報も流されましたが、最終的に販売中止となりました。 治験では、患者さんを登録する際に、肝硬変でも軽症の比較的危険や問題の少ない症例が選ばれたのですが、市販後には使用対象が一気に広がり、肝硬変でも腹水や黄疸をともなう重症例がふくまれていたのです。重症の肝硬変には使わないようにとの注意も出ましたが、本来タンパクの合成を増やしたいのは進行した肝硬変患者さんであり、矛盾していたわけです。結局、治験の…

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教授就任祝賀会でのご挨拶

本日、新宿区の明治記念館で私の教授就任パーティを開いていただいた。230人余りの方に来ていただき祝っていただいたことは、大変ありがたいことであった。ここに最後の私の挨拶の原稿をのせたい。 本日はお忙しい中をこのように沢山の方においでいただき大変ありがたく存じます。私自身、この会はお祝いのために来ていただいたというよりも、むしろこれからの私の仕事に対する激励のためであると感じ、そのことに感謝いたします。  本年4月より慶應義塾大学看護医療学部の慢性病態学と終末期病態学を担当する教授に就任致しました。一人ひとりの名前を挙げることのできないほど、多くの人々に導かれ支えられての就任であります。そして、私自身、かねてより待ち望んでいたポストでした。それは、これからの日本の医療を、全体として考えるとき、私は看護師の力に期待するところが大きいからです。  広井良典氏が言うように、わが国では、家族や村などを単位とするコミュニティが崩壊し、個人の自立がもとめられる時代を迎えています。そのような社会では、今までのコミュニティが提供してきたケアは望むことはできず、社会のシステムとして提供するケアが必要となります。すなわち、今まで家族、町内会・村などが担っていたものを、職業人としてのプロフェッショナルが担うことになるのです。そのためにもケア学の確立と普及が望まれます。しかし、医師はやはりキュアだけで十分に多忙でもあり、キュアに対する関心が高く、ケアにはあまり興味を持つことはできません。やはり、ケアの担い…

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小さな喜びを探して

患者Kさんは胃がんの末期状態で、消化器内科の病棟へ転院してきました。肺に転移があり、もう数週間の命という状態です。有効な治療もなく、徐々に胸水が増加し呼吸も苦しそうです。  そんな時期、Kさんから「先生に折り入って、話したいことがある。」といわれました。一体何を話したいのだろうと思いましたが、私はKさんを車椅子にのせ病棟のカンファレンス室へ向かいました。  Kさんは、一言しゃべるのさえ苦しそうです。息も絶え絶えに、ゆっくりと話しはじめました。 「私は、この病棟へ、来てから、本当に、よくしてもらった。そのお礼を、したいけれども、私には、もう何も、出来ることがない。せめて、私が、死んだ時、自分の体を、病院に、献体したい。」   末期がんの状態となり死を目前にして、患者さんから献体の申し出をうけたのは、私にとって初めての経験でした。謹んで申し出を受け、さっそく解剖学教室に連絡をとりました。 「この病棟へきて、まだ2週間もたっていないし、有効な治療もたいしてできていないのに。どうして、こんな苦しい時期に献体を申し出て下さるのですか。」 「この、病棟に、来てから、本当に、皆さんに、優しく、してもらった。特に、うれしかったのは、担当の、看護師、Aさんが、私が、お風呂に、入れないからと、ベッドで、私の汚い、足の指先を、お湯に入れて、一本一本、丁寧に、一生懸命、洗ってくれた、ことです。私は、指先を、洗って、もらいながら、本当に、幸せな、気持ちになりました。何か、皆さんに、お礼…

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迷ったら入院。迷ったら受診を。

医師が一般の外来や救急で診療を行っているとき、一番大切な判断は、その患者さんを入院にするかいなかの判断だ。そして、入院にしないのなら、次に、何日後に診るかどうかの判断である。 これは、実は医師の技量により変わってくるというのが、私の持論だ。つまり、この程度であれば外来で診ることができるという判断は、臨床経験をつむにつれて徐々に広がる。そこで、私は研修医や若い医師には、「迷ったら入院」と教えている。それは安全を優先しなくてはならないためだ。 小児でも、40度以上の発熱なら入院。水分が取れていたら入院をしなくて良い。とは一概に言い切れるものではあるまい。患者さんの顔つきやぐったりしていないか、それまでの経過などの情報を多分経験的に積み重ねて、判断しているのだろう。私は、外来で診察室に入り顔を見たときに、この人は入院だと判断していることも多い。その後に、診察や検査をしてそれを確かめることになる。 患者さんにとっては電話で病院に救急に行くかどうかを相談できるのが一番だろうが、その電話での応答や判断も相当難しい。そうすると、患者さんの自己責任の部分を残すため、「明日の外来で大丈夫と思われますが、もっと悪くなったりどうしても心配なら受診してください」などと、逃げの一手を打っておくことになる。 もちろん、発熱の小児が、いつ受診すべきか、入院を考えるべきかなど、マニュアル化されフローチャートになっていると便利だし、有用であろう。しかし、このようなマニュアルに頼ると、どうしてもしまったという…

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長らくのご無沙汰でした。

 2月にブログを開始してより、一番長い空白期間を作っててしまいました。この間に、いろいろな出来事がありました。今週は、大学院の授業として臨床入門 2コマ、学部で慢性病態学の概論 1コマなどがあり、その授業をする時間もさることながら、やはり授業をするにはそれなりに準備の時間が必要です。通常、1コマ90分の授業をするには最低その5倍は時間をかけて準備するものです。しかも、今年度は医療看護学部での初めての授業でもあり、余計に大変です。  また、看護医療学部教員の全体会議という会議が湘南藤沢のキャンパスであり、これも初めての体験でした。詳しく書くことは控えますが、退学の規定に関して、私とは教育に対する考え方が根本的に異なる教員の多いことに、驚かされると同時に落胆しました。私は、教育とは、そもそも人を育てることが目的であると考えています。ところが、教育を、「できの悪い人」や「やる気のない人」をふるい落とすものであるとの発想の人もいます。しかし、それは企業や産業での発想であり、それを教育の場に持ち込むことは、教育の敗北を意味することだろうと私は考えます。  競争原理や効率・能率優先の教育で、どうして人間的なケアをできる看護師が育てられよう。私は、その弊害が顕著である医学部で育ってくる医師を、医療の現場で補完することのできる看護師が育つことを念願して、医療看護学部に移籍してきました。それがこれでは夢は遠い。  そんなことを考えながらすごした1週間でした。  

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慶應義塾大学看護医療学部の教授就任の報告

 慶應義塾大学看護医療学部の教授に本年4月1日付で就任することが正式に決まりました。慢性病態・終末期医療を担当する予定です。  私自身、望んでいたポストでした。それは、これからの日本の医療を良くするために、看護師の力に期待するところが大きいからです。患者さんに良いケアを提供できるための医療職が看護師であると信じるからです。  家族や村などを単位とするコミュニティが崩壊し、個人が自立しなければならない時代を向かえています。そのような社会では、ケア学の普及が望まれます。今までは家族が行っていたり、村や町内会などで担っていたものが、近代社会ではプロフェッショナルが担うことになります。そのようなケア中心になって働くのは看護師です。  わが国は生活習慣病や慢性病の時代を迎えています。そのような時代の病気に対処するには、病気に関する情報の提供、患者教育がなによりも大切です。そして、それは、医師ではなく看護師に期待される仕事です。  医療が高度化し専門分化してきた現代医療の中で、患者さんは説明を受けインフォームドコンセントといわれても、専門家の圧倒的な情報量と経験の前には、単に煙に巻かれるだけの場合も生じます。そのような時、患者さんの立場に立ってアドバイスし、適切な治療を選択するための助言をできる医療職は看護師です。つまり、医療の現場で患者さんともっとも接し、患者さんの立場で発言できるのが看護師です。  欧米ではスピリチュアルケアが公的な医療の場にとり入れられていますが、日本ではまだ…

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