「たぬき」 について

「「肝臓病教室のすすめ」 より」について どうも、私がたぬきだという話がいきなり出てきては、意味不明ですので、タヌキの由来をTBさせてもらいます。 http://bella-donna.at.webry.info/200602/article_1.html

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現代医療の呪文

何気なく放たれた医師の言葉が、患者さんに大きな影響を及ぼすことがあります。 C型の肝硬変の患者さんに対して、「あなたはそのうちに絶対に肝臓がんになる。」などと予言めいたことを平気で口にする医師がいます。その医師のもつ神経に驚かされますが、この時の絶対の使い方は、明らかに間違っています。 「そのような医師にさえ、絶対に死は訪れるのです。」との表現であれば、間違いではありません。生きとし生けるものが死を迎えるのは、生物学的に唯一絶対といってよい真理なのです。時間の指定さえなければ、それは予言でも占いでもありません。 「胃の調子が悪くて、食べることができない。ピロリ菌を他の人に感染させることが怖くて、外出もできない。」  30代の女性Iさんが外来を訪れて訴えました。最近、○○クリニックで検診のため胃カメラを受けたばかりですが、結果を聞きに行くと、担当医師より 「あなたの胃は慢性胃炎でした。しかも、ヘリコバクターピロリ菌という恐ろしいバイ菌にかかっています。胃潰瘍を繰り返し、そのうち胃がんになってしまいます。 これは伝染する病気ですから、他人に感染させないように気をつけなければいけません。そのためには、薬をしっかり飲んで治さないといけません。 もし薬を途中でやめてしまうと、胃炎はすぐに悪化するし、抗生剤が効かなくなってしまいます。唾液からでも他人に移りますよ。」 と言われたのです。 Iさんは、胃の中に住んでいるというピロリ菌が怖くなり、薬を飲み始めましたが、胃の調子はかえって…

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上から読んでも しんぶんし もでん読らか下

 新聞を定期購読していない若い医師が増えています。 「ええっ、新聞もとっていないで、どうやって社会の情報を入れているの。」 「いや、テレビのニュースで大体のことは解りますから。」 まじめで常識派のF医師でさえこれですから、後は推して知るべしです。  新聞で入る情報とテレビで入る情報では、その質が全く異なります。もちろん、新聞では毎日毎日、情報に追われてしまうので、新聞の代わりに高級な週刊誌や月刊誌から社会の情報を入れているというのなら、それはそれで一つのやり方かとは思いますが、いずれにしても、記録として残る文字情報で医者として社会の窓は、開かれていなければなりません。  病院にばかりいて忙しくしていると付き合いの範囲は狭くなり、医師の視野はますます狭くなります。病棟が忙しいからと、昔の友人の誘いを断っていませんか。新しい友人を作っていますか。医療では、多様な価値観をもつ患者を相手に理解することが必要であり、そのためにも医師には幅広いつき合いが必要となります。 病に悩む患者の話をしんぼう強く聞くことができるためにも、気分転換をはかり自分の気持ちを整えておくことが必要です。激動する時代の新しい医療の方向を知るためにも、色々な見方や意見を持つ社会人との付き合いが必要なのです。  少々無理をしても時間をつくり、病院から離れたところで幅広い人との付き合いを大事にしたいものです。 学問のすすめ 人望論 17篇  第三 道同じからざれば相与に謀らずと。世人またこの教え…

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サルでも写真が撮れる近未来の医師に託された仕事

 前稿は、サルでもとれるカメラの使用を、私は避けたいという懐古趣味なものでしたが、本稿では、逆に、サルでもカメラで写真を撮れる時代に、医師に託される仕事はどうなるかという近未来の医師像について考察します。  医療に要求されるものとして、知識、技術、態度(コミュニケーション)の三要素があげられますが、現在の医療や医学教育は、知識と技術に偏りすぎていると指摘されています。現代社会はコンピューターの進歩により大きく変わろうとしていますが、コンピューターが得意とするのは、何よりも知識の集積と解析、そして精密な動きを再現する技術です。  コンピューターは膨大な知識を処理し、機械技術が進歩したことにより、素人がやっても名人と同じような結果を出すことができます。  コンピューター診断が進むと、熟練した医師がいなくても、診察室の机上のコンピューターにより診察が進みます。症状や採血の検査結果からは確率的に鑑別診断があげられ、更に診断を確定するための検査の組み合わせ、結果の解釈や診断の過程が画面に映し出されます。また、コンピューターによる画像解析により、腫瘍の有無や腫瘍がどのようなものであるかが確率的に報告され、放射線専門医や受け持ち医によるフィルムの読影は必要なくなります。  一昔前には、尿検査も、医師が試験管に入れた試薬で尿の色が変わるのを見て判断していましたが、今やそのようなことをする医師はいません。せいぜい当直の時、テストペーパーでみる程度です。血液の検査結果も、レポートの数字や文字を見る…

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サルでもとれるカンタンカメラ

カメラのメーカーA社は、誰でも撮れるという企画のカメラを開発し、完成させました。被写体にむかってシャッターを押すだけで、どこでも、誰でも、何でもきれいに撮れます。A社の宣伝部は何とか効果的な広告をと考えました。 サルに写真を撮らせて、「サルでもとれるカンタンカメラ。新発売。」と売り出しました。雑誌などでも、究極の普及型カメラとして絶賛されました。 Tさんは、テレビの宣伝をみて欲しくなり、早速カメラ屋にいきました。 「A社のAEF-1置いていますか」。 「ああ、あのサルでもバカでもとれるっていうカンタンカメラだね。奥にあるから、ちょっと待って」。 店員の大きな声の返事と周りの人からの注目に、玉野さんは恥ずかしくなってしまい、カメラを待たずに店から飛び出してしまいました。  実話か作り話かは定かではありませんが、なぜか記憶に残っている小話です。 この話には、文明の目指す方向と、それに抵抗しようとする人間の姿が表されています。「サルでもとれる」では、誇り高き人間の尊厳が傷つけられる思いがしたのでしょう。一方で、簡便さと安易さを求めながら、一方で、自分は他人(他の動物)とは違うことを主張したい人間がいます。  さて、医療の世界ではどうでしょうか。若い医師の間では、医療面接はおろそかに、身体所見もそこそこに、もっぱら検査器械に頼り、広範囲をカバーする検査を組み、ひっかかれば対処するという姿勢がみられます。医師による主体的な判断や思考は空洞化しています。 入院患者の現病…

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薬としての医師

 プラセボ効果という厄介なものが医療にはあります。本来は効くはずのない薬の投与により、症状が軽くなったり、病気が治ったりすることです。最近、脳代謝改善剤として大量に販売されていた薬が、再評価では有意差がなく認可が取り消されましたが、これなども再評価時にプラセボによる効果が大きすぎたためと解説されています。それ程プラセボには効果が高いことがあるのです。  プラセボの語源は「喜ばせる」 という意味であり、本来医療にとって望ましいものなのですが、医療関係者の間では、偽薬やプラセボ薬で良くなったりする患者は、まるで演技をして症状を作っているかのように扱われ、あの人はプシコ(精神科患者)だからなどといわれ、精神科的な問題と片付けられてしまいます。科学主義的な医療では、プラセボ効果を理解しようとしませんし、むしろ忌み嫌っている程です。 「こんな薬、効くのか効かないのか良くわからないけど、まあ、使ってみようか。」などと言いながら患者さんに投薬する医師は、このプラセボ効果をわざわざマイナスにしてしまっているようなものなのです。  私の尊敬するF医師は、一袋1gで一日量3gの薬をわざわざ2.5gの分三でなどと処方することがあります。医師になってまもない頃の私は、一日量3gにすれば、市販の1gの袋を出すだけで薬剤部も楽なのに、なぜこんな中途半端な量で出すのだろうと不思議に思いました。3gと2.5gの間に、効果の差など科学的にあるはずもないと考えていたのです。  ある日、F先生に思い切ってその理…

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遺伝子のスイッチ・オン

 村上和雄先生の講演を聴く機会があった。それは、私の尊敬する心療内科の医師 永田勝太郎先生が主催する学会日本実存療法学会の特別講演としてであった。  学会での科学者の講演としては珍しいスライドを使わない口演にまず驚かされたが、超一流の科学者としての抑制をきかせながらも笑いをよぶことのできる、その語りに感心させられた。本当に頭のよい人の講演とは、このようなものに違いない。どこで笑いがとれるかということを心得ている。科学はエンターテイメントだとも言っていた。  糖尿病の患者に吉本興業のB&Bをよび笑わせると、血糖は低くなり、遺伝子がスイッチオンされるのだという。年配の人が相手だからと、B&Bをよぶころがツボをおさえている。私の場合、若い女性ばっかりの栄養士の講演会で、「狸の金○まはーーーーー」と謎解きをして、http://katos.at.webry.info/200502/article_7.html、200人余りの会場がシーンとなってしまい大失敗をする間違いをおかしてしまったことがある。余りこんなことをいっていると、そのうちセクハラと訴えられるかも知れない。  ともあれ、村上先生は、定年退官後も心と遺伝子のスイッチオンの問題に取り組むそうだ。その研究を進めるためにと私も会場で一冊の本を買わせてもらった。 遺伝子オンで生きる―こころの持ち方であなたのDNAは変わる!世界は1つの生命からはじまった―サムシング・グレートからの贈り物

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すでに決まっった病院での医師選びには

 ある地域で事実上他に病院の選択肢がなく病院をすでに決めている時、ある病院に通っていて自分の受け持ち医に不満がある時、他の病気のためにその病院で別の医師にかかりたい時、このような時には外来担当の看護師に相談することをお勧めします。  外科医の手術の腕前は麻酔科医が知り、外来での医師の診療の腕前は外来看護師がよく知ります。ベテランの看護師であれば、外来での医師の診察、特に問題となる患者への対処の仕方、過去における医療過誤の有無、その対処の仕方、患者からの評判、医師間の評判などを知り、医師の臨床能力を総合的に一番よく把握しています。特に師長(看護師長)や主任クラスの看護師には、そのような情報が集まります。そして、多くの医師の診療をそばで見てきたため、あなたにあう医師を紹介できるはずです。  ただし、看護師に相談するには、午前中の外来業務が忙しい時間帯ではなく、診察時間が終わった頃、外来でそっと相談してみるのがよいでしょう。 自分の最も困っている症状や病気について簡単に話し、今までどの様に診てもらってきたのか、どの様な点に不満があったのかを伝えるです。その上で、この病院でどの医師に診てもらうことを一番すすめるかを尋ねるのです。 患者の生き方より 患者の生き方―よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ

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禁酒反対!禁煙反対!

 禁酒反対、禁煙反対などというと、医者ともあろうものがと思われるかもしれませんが、私は、禁酒も、禁煙も、人から禁じられる強制されることであるために好きではありません。それは人間の自由と人類の文化を否定するものであろうと思うからです。 1985年ニューヨークへ留学していた頃、私はアメリカにおける禁煙運動の広がりかたに違和感を覚えました。アメリカには、アルカポネの時代の有名な悪法、禁酒法がありましたが、それに通じるものを感じたためです。 私は留学する前には禁煙していたのですが、天邪鬼のためにそのような雰囲気に反抗し、むしろアメリカで喫煙を再開することにしました。(コウイウ、もっともらしい言いわけや理由をつくっては、飲酒や喫煙を続けている人をよく見かけます。要注意!)。  その頃、司馬遼太郎の“アメリカ素描”を興味深く読みました。  米国には文明はあっても文化がないという趣旨で書かれた本です。地球上のほとんどの国の人々は、文化で自家中毒するほどに重い気圧の中で生きている。その状況のなかで文化に縛られない国があることに救いを感じると司馬は述べています。そこでは、「たれもが参加できる普遍的なもの、合理的なもの・機能的なもの」を文明として、「地域性があり、特定の集団や民族が過去の歴史をひきずりつつ負の面をも含んだ不合理なもの」を文化として、定義しています。 アメリカは、欧州の古い慣習や文化の束縛からまぬがれたい人が、自由と独立を求めて移民し出来上がった国です。したがって、合理性や効率…

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自分にあわない今担当の医師を代えるには、どうすれば良いか

今の担当医に不満がある時に、病院の中で他の医師に交代することを、患者さんは大変難しく感じているかもしれません。 1995年、世界医師会はリスボン宣言で、11の原則をあげています。その2番目に「選択の権利」として、次のように書いています。 「私的か公的かを問わず、患者は自由に医師および病院や保健サービス機関を選ぶ権利を持っている。」 日本では医療機関の選択はともかくとして、医師の選択はこの通りの自由にはいかないのが現状です。しかし、とりあえず、今の担当医に不満があり他の医師に代えたいのであれば、私は受診する曜日を変えることをおすすめします。それが最も抵抗の少ない自然な方法です。 病院の医師の勤務体制は曜日によって決まっています。外来担当表をよく見て、今の担当医に「新しく習い事を始めて(あるいは、○○会の集まりの曜日が変わり)、火曜日が忙しくなったため火曜日の外来には来られなくなった。木曜日が比較的時間が取り易いので木曜日の外来に代えてほしい。」と伝えるとよいでしょう。 特に、相手が年配の医師であれば、敬意を表して、先ずはこのような方法で代えることをお奨めします。年配の人は診療スタイルを中々変えることはできません。 しかし、将来のある若い医師が相手なら、むしろ不満を直接その医師に言ってくださることを、私は期待します。 「私は、外来で(例:夜中にみぞおちがしめつけられるように痛くなることがあり、心臓が悪いのではと心配だといっても、私の症状をろくに聞いてくれず、心電図さえもとってもら…

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続 前野良沢の墓

後ろ髪を引かれながら、前野良沢先生の墓を通り過ごして、新高円寺の駅より都心へ向かった。 翌日、病院の研究室で普段余り見ることもない藤沢薬品工業が出版する月刊誌「いずみ」の1月号をパラパラとめくっていた。情報洪水の中で生きているために、このような雑誌に目を通すことなどほとんどないままにゴミ箱行きになる。表紙をあけるのも一年に一度か二度であろう。 ところが、そこで目に飛び込んできたのが、元東大教授の森岡恭彦先生の書かれた「解体新書をめぐる人々」と題する随筆であった。しかも、右のページには前野良沢先生の墓が、左のページには杉田玄白先生の墓の写真が載せられている。 森岡先生の随筆の中にも、玄白の行動力と良沢の語学力によって解体新書発刊の偉業は達成されたが、良沢と玄白は解体新書の発刊後、付き合いは少なかったことが触れられている。 それはともかくとして、二日続けて前野良沢先生の墓という文字が偶然にも飛び込んできたことは、私にとって意味のあることに違いない。そう考えた私は、翌日の日曜日、家内と二人で月高庵慶安寺へお花を持ってお墓参りをした。 「患者の生き方を」 書き始めることによって初めて知ったご先祖様であった。その恩師の前野良沢先生の物語もそれから知り、「患者の生き方」を多数買って下さって人の家の近くにたまたま良沢先生のお墓があり、偶然にもお寺の前の案内に吸い寄せられるようにいき、先生の名前の4文字をみつけ、翌日には警告するかのように雑誌のなかにその4文字が再登場した。 …

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相手にわかる言葉で

「このシーティをみればわかりますが、こうふくまくのリンパせつが、にょうかんをあっぱいして、すいじんしょうになっています。」   病棟主治医のA医師が、患者とその家族に説明しているところです。卒業後6年目のA医師は、CTの写真を前に、立て板に水のごとく得意げに早口でしゃべりたてました。おそらく95%以上の患者には、理解できない説明だったろうと思います。(そのような時、統計学的には、この説明を理解できる人を異常な人と呼ぶのだそうです。) どうして、このような言葉が出てくるのでしょう。この話を医学部の学生に伝える時、私は、「科学的に正確に説明しようとすればする程、情報は正確に伝わらなくなる。」と逆説的な言葉をそえて紹介しています。学生の中には「日頃、医師の間でこのような表現で会話しているから、患者に話すときにも自然にこのような表現になるのだろう。」と好意的に解釈する人もいます。しかし、その回答では私は納得できません。なぜなら、それでは医師の会話は日頃から医師だけを相手とし、患者とは会話しないことを前提にしているからです。 私は、意地悪く、むしろ患者に対してわざと解りにくく話しているのではないかと解釈しました。相手に解らない言葉で早口にぺらぺら話す。それによって煙に巻き、自分を偉くみせ、文句を言わせないぞと誇示しているかのように見えました。その背景には医師の権威主義があるのです。お役所言葉や裁判所の判決がわかりにくいのも権威主義を利用するためわざとわかりにくく表現しているからではないでし…

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前野良沢の墓

 「患者の生き方」を多数購入し配ってくださった方がおり、お礼を申し上げるために、今年の1月私はその方のお宅を訪ねた。お宅から地下鉄新高円寺駅までの10分ほど歩く途中に、いくつかのお寺がならぶ。ある寺の玄関の前の案内板に、前野良沢という4文字があるのが、ふと目に入った。立ち止まって読んでみると、このお寺には、解体新書を翻訳した前野良沢のお墓がまつられているという。 私が「患者の生き方」を書き始めようとした時に、インターネットでの検索がきっかけで 6代前の先祖 江馬蘭斎が岐阜の大垣市で蘭学塾を開いていたことを知った。蘭斎は46歳を過ぎて蘭学を志し、杉田玄白と前野良沢の弟子となった。http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~o51340/index5matsudanotes4-1.html http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/essay/kadoreiko.html 事業家気質であった杉田玄白に対して、前野良沢は学究肌であったという。解体新書の翻訳の仕事のほとんどは前野良沢によるものであったそうだが、翻訳者として前野良沢は名前を連ねていない。まだ、翻訳が完全ではないからと出版に反対する前野良沢を、杉田玄白が押し切る形で出版し、その後玄白だけが脚光をあびることとなった。二人の間には、どのような葛藤があったことだろう。 前野良沢は学問に対する姿勢が大変厳しい人であり、弟子も多くはいなかった。杉田玄白が多くの弟子に囲まれて…

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医療の語り部

 「患者の生き方」を読んでくださりありがとうございます。 http://shinsatsu.exblog.jp/1552344  そして、「かたりべ」 っていい響きですね。これから私も積極的に使いたいと思います。ひかわさんもその言葉を使われていました。  empowerment も私にとって大切な課題です。ただ、私の考えるempowerment は医療者側が誘導するというよりも、もっと患者さんの中にあるものを引っ張り出すような言葉として私は捉えています。従って、あえて訳すと「励ます」とか「誉めたり称えたりして、その人が自信を持って独立できるように支持すること」ではないでしょうか。糖尿病エンパワーメントという本は大変よい本です。一度お読みください。 糖尿病エンパワーメント―愛すること,おそれること,成長すること

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自分にあった「かかりつけ医」を探すには

かかりつけ医をどうやって? http://exhospital.exblog.jp/tb/2302329 に関して 「患者の生き方」より  かかりつけ医は、自分の身近にいることが最も大切です。従って、かかりつけ医を探すには、自分にとって便利な場所、住所や勤務先の近所から探すことになります。  次に大事なのは、コミュニケーションがとれ、一人の人間として信頼できることです。信頼できる医師であれば、通常の病気に対する適切な知識や技術は身につけているはずです。そして、いざ高度な手術を必要とする時や特殊な難病になれば、その技術や知識をもった専門医や定評のある病院を紹介してくれるでしょう。  医師の間では、似たもの同士がネットワークを持っています。患者さんをよく診ることのできる臨床医は、身近にいる臨床のできる専門医を知っています。最先端の研究に興味のある人は、そのような仲間を自分の回りに持ちます。  もし、新しい土地に開業したり、転勤してきたばかりの医師であっても、信頼できる医師なら、責任をもってよき専門医を調べ、紹介してくれるはずです。  紹介される側の専門医は、たとえ自分の知らない医師からの紹介であっても、他の医師からの紹介の患者さんを、より慎重に、そして大切に診ようとする意識があります。そのため、紹介元の医師がたとえ専門医と面識がなくても、専門医の診療内容に影響はしません。  信頼できるかかりつけ医の探し方を、具体的に考えてみます。先ず、その地域に長く住み、近所や町内会の世話をしている…

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キッペス先生、こんにちは

加藤先生。メールありがとうございました。お会いできるとうれしいです。 今月末、東京に行く予定があり、もし先生のご都合がよろしければ下記の日時の いづれかにぜひお願いします。 ① 1月29日(土)午後6時~ ② 29日(土)午前中~11時30分頃まで(四谷での会議) ③ 28日(金)午後6時~ (ホテルXXでの宿泊) 切符の手配などしますので、早めにご連絡いただければ助かります. 2005年1月4日、久留米市の臨床パストラルケア教育研修センターをベースに活動される神父さま キッペス先生より、突然、日にちを指定して会いたいとのメールをいただいた。(http://www.pastoralcare-jp.net/pastoral/japanese/jmenu2004.htm) 昨年10月に東京大学の島薗先生が主催される研究会でお会いし(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/shiseigaku/ja/gyouji/gyouji_k041030.htm)、紹介され、その後一度メールのやり取りをしたばかりであった。私もキッペス先生には一度個人的にお会いし、話をうかがいたいと思っていたのため、迷うこともなくイエスとのメールを返した。②と③は既に他の予定が入っており、必然的に①の1月29日午後6時にお会いすることとなった。  1月29日、新宿伊勢丹会館の「あえん」で夕食を一緒にしながら、キッペス先生よりスピリチュアルケアについて色々な話を聞かせていただいた。周囲の…

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紀行文・旅行案内?

「患者の生き方」を出版して間もない頃、どのように世の中に受けとめられるかと気になり、googleで検索してみた。すると、都内の図書館に購入されていることがわかった。 ところが、その本の分類場所が、紀行文・旅行案内になっている。何故だろうと思ったが、前後を見ると、すぐに理解できた。そこには、地球の歩き方 や 紀州を行く などと並んでいる。 どうも、「患者の行き方」 と勘違いしたらしい。 図書館の分類も所詮こんなものであることを知った。 患者の生き方―よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ

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日本の医療を変えなければ。

 明治以来続いてきた権威主義と科学至上主義の医療から何とか脱出しなければ。 新しいうねりが医療の世界に押し寄せています。患者さんからの要求によりおきた波であり、医師側の意識改革は残念ながらそれに追いついていません。それでも、日本の医療は間違いなく戦後最大の改革期を迎えています。いや、明治以来の最大の変革期といってもよいでしょう。私はこれを「医療の維新」と呼びたいと思います。  明治維新は日本の近代史の中でも最も魅力的な人物を生んだ時期です。その中でも一際明るい光を放っていたのが、福澤諭吉であり、坂本龍馬です。 慶応3年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は京都近江屋で暗殺されました。その時、部屋にあった掛軸には二人の飛び散った血痕がつきました。現在、京都国立博物館に、血染めの掛け軸「梅椿図」として納められているものです。  龍馬が暗殺される直前に誕生日のお祝にと、自筆の「梅椿図」を持参したのが板倉槐堂(いたくらかいどう)です。槐堂は幕末の勤王志士を支援していました。龍馬をはじめとした志士達は京都に上京するたびに、槐堂の下に集まっていたのだそうです。 槐堂が、私の曽祖父江馬天江の実兄であることを、そして勤王志士の後援者であったことを知ったのは、昨夏、本書の準備がきっかけでした。それを知り、私も槐堂にならい、医療の維新をめざす若い医師(志士)の集う場を提供する医師になりたいものだと感じました。  医療訴訟の増加、インフォームドコンセントを重視した判決、医学教育制度の改革、研修医…

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進行がんにもみられる自然退縮

「医療における独立自尊とは」について  人の寿命はわからないと前章で述べましたが、その最たるものは「がんの自然退縮」です。日本の心身医学の創始者である九州大学の故池見酉次郎教授は、中川博士とともにがんの自然退縮例を研究しました。この研究により池見教授はストレス学説で有名なハンス・セリエ博士のセリエ賞をとられたのです。がんの自然退縮は500から1000例に一例はあると考えられているのだそうです。  池見教授は、74人のがんの自然退縮がみられた患者さんで、精神生活や生活環境を詳しく分析できた31人をまとめています。31人中23人(74パーセント)に人生観や生き方の大きな変化があったとされています。 その23人の中7人はかねてから人間的な成長度の高い人や真に宗教的な生き方をしてきた人たちであり、がんの告知がきっかけになり、永遠の命へのめざめが起きたそうです。5人は信仰をもっていた人たちの中で、がんを宣告されることによって信仰の対象としていた教祖や神仏に自分のすべてをまかせきるという全託の心境になったとされています。5人は家族からのサポートや周囲の人の温かい思いやりに包まれて主体的な生きがいのある生活へ転換が起きた人であり、6人は生きがいのある仕事に打ち込んでいった人だそうです。このように、約4分の3の人では、生きがいや生き方に大きな変化があったときに、がんの自然退縮があったというのです。  私の経験でも、その数は多くはありませんが、悪性腫瘍が治療もしないのに退縮した例を2人みています。二…

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うらみと復讐

復讐という言葉にギクッとしました。確かにひどい医療に出会い、そのような気持ちになる人も多いことでしょう。そのような人が、このタイトルを目にして本を手にとって読み、結果として今後医療に前向きに対処できるようになる本であることを願います。明日には紀伊国屋から送られてきます。  センセーショナルなタイトルで話題をよぶというのも一つの方法ですが、そのことによってそれを読むことをしり込みする人も多いはずです。私も、ひかわさんと今回のような関わりを持つことがなければ、そのタイトルだけで購買しないことになっていたと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「生きがいの探求」より 「おのれ、見ておれ!」とか、「今に仕返しをしてやる」とかいう気持ちは、この世からなくしたいものだ。復讐的気分は、世の中をいつまでたっても、おだやかに美しくしない。 これからいっても、いっさいの勝負事は人の心をますます利己的にし、何かにつけてこの世を濁すばかりだ。遊戯などでも、自分も楽しく、他人もたのしいというようなことのみにならなければならない。  春から秋へと一足飛びにはいかない。一から三へいたるには、どうしても二を経ねばならない。全てこの世の出来事で、このプロセスを無視することは絶対にできない。ただ、その時その時の遅速の度があるだけである。  この世が理想へ近づくにしても、一足飛びには、いたりうるものではない。個人が幸福、円満になるにしても、またそう…

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ブログ記事の虚と実

 実名を出してのブログを書き始めて一ヶ月がたつ。元々、社会にメッセージを送りたいと、本を出版したのだが、なかなか思うようには販売数がのびず、ネット上でも広報したいと始めたものだ。したがって、私の場合は実名以外でのブログはありえなかった。  実名ブログでは、中身がきれいごとになりそうであり、ニックネームで書く人以上に、内容に責任が生ずる。また、書いてしまうえば周辺で問題が生じるような内容は書くことができない。そうすると、実名で書いてはいても、実は、ニックネームで書く人の方が真実を書くことができ、実名で書くほうが虚構になるという逆転現象がおきてしまう。  実名では実物を知っている人が読むことも多いだろう。ブログの内容と自分自身が比べられることも必至だ。それなりの覚悟も必要だ。また、余りにプライベートなことは書くことは、はばかられるし、内面的なことも書きづらい。  まあ、そのようなことを気にせずに書きたいと思えば、もう一つ別の名前でブログを立ち上げればよいのだ。そのブログからトラックバックして大激論なんて始まると、ますます怪しいブログの世界に入ってしまいそうだ。  

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医療者の間にも広がる不満

http://blog.livedoor.jp/nakomayu/tb.cgi/15108376 患者さんの間にも医療に対する不満は大きいが、医療者の側にも不満は多い。  勤務医の多くは、これだけ忙しくはたらいているのに給与は少ないし、患者さんからの要求は高まりで文句ばかり言われる、受験を勝ち抜いて医学部に入学し、一生懸命勉学して卒業したのに、それが報われていないと考えている。医療には100%の正解などありえないのに、裁判はそのような現実を知らず、非現実的な判例を残していく。  患者の権利が高まること自体が悪いことではない。しかし、一方で、現実に苦悩する医療者の立場を無視した判決が続けば、そのうちに医療にたずさわるものはいなくなるかもしれない。患者と医療者を対立の構図でとらえようとすると、どこまで行っても平行線である。  患者は医療の内実を、医療者は患者の持つ不安や不満を理解することにより、始めてよい医療の構築が可能となる。患者も医療者も双方の努力と歩み寄りが必要だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「患者の生き方」より すべての人がどこの医療機関においても、同じように医療を受けられるのが、日本の医療の特徴です。そして、日本の医療費は先進諸国のなかでは比較的低額ですんでいます。新聞社による調査では、予想外に日本の医療を評価している患者さんも多いのです。  2002年4月13日の日経新聞には「医療再生」…

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言葉のすれちがい

「誤解」について 若苗さん。医学生や研修医にもこのようなことをしゃべってはいますが、言葉のすれ違いはどこまでもあるものです。 結局は双方の歩み寄りが必要なのでしょうね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「肝臓病教室のすすめ」より  家庭の食卓で家族と一緒に夕食を食べながら、NHKのテレビ番組「連想ゲーム」を見ていた時の話です。「ヌク」と「シロイ」から連想するものは何かという問題が出ました。ゲストである元巨人軍の定岡選手が解答の一番バッターです。「ティッシュペーパー」。食卓で小学生の娘達の前ですから、私はぐっと奥歯をかみしめながら、「おおっ、中々やるな、定岡君。うまくかわしたね。」と心の中で感心していました。ところが、さすがに天下のNHKでした。後に続く解答は、7人が白髪、2人が歯だったのです。結局、定岡選手だけが恥ずかしい惨めな思いをしたのです。(余り本人はそう思っていないかもしれませんが)  これが余りに面白かったので、その後まわりの何人かにこの質問をしてみました。ストレートな答え(何がストレートやら)の外にも、さまざまな答えが返ってきます。白ワインのコルクを抜くところ。ビールの栓を抜いて白い泡がたつところ。運動会の競争で白い鉢巻の選手が追い抜いていくところ。スキー場で雪の中に足がズボッと入り、それを引き抜くところ。畑から大根をぬくところ、などなど。予期せぬ答えがいっぱいです。(ヤレヤレ、一体何人に聞いたのか)。  ここにコミュニ…

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「「患者の生き方」を読んで」について 2

「「患者の生き方」を読んで」について 日本の病院での医師数や看護師数は米国に比べると、圧倒的に少なく、米国と同じやり方を模倣しようとすると失敗するなとおもいます。医師は気も使うようになるのですが、これは接し方の態度の問題でもあるのです。 不信感をマスコミであおられていると大変難しい場合があります。特にセカンドオピニオンを求めてくる人には気をつかいます。 時代や社会に流されるのではなく、自分の人生観や価値観を持つようにしようというのが、私の主張です。 患者さんに遠慮していただいてるからこそ成り立っているのが、現実の医療です。それでも、本当に必要なときには遠慮しないで下さい。 確かに教養もあり家族に恵まれている方も多いのですが、金持ちが家族に恵まれているかというとそんなことはありません。いくら金持ちでも、冷たい家族関係の人々は一杯知っていますし、お金のそれ程もない方でも幸せそうな最期を迎える人も一杯います。どのような最期を迎えられるかが、その人の人生を表しているのだと思います。 「お任せ」をする医師を選ぶのも、患者さんの一つの自己決定の形だと思います。日本の老人ではそのような自己決定を望む人も多いのです。その医師の腕が悪いとしても、医療が患者さんの治療のためでなく、他の目的のために利用されたのでなければ、納得されているのではないでしょうか。医師の研究上の興味のためとか、出世のために利用されるのは避けるべきだと思いますが。 これからは生活習慣病の時代です。生活の指導、…

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がん になった時にそなえて

「患者の生き方」より  わが国ではがんと診断された時に、最初にその結果を知らされるのは家族です。その上で本人に知らせるかどうかは、家族に決めてもらうのが一般的です。 HIVの感染(あるいはAIDS)では、結果を先ず本人に知らせ、もし本人が拒否するのであれば配偶者や同居の家族に対しても知らせないのが原則です。HIVは家族に感染させてしまう可能性もあるので、私は家族に知らせることが必要だと思うのですが、医療の現場ではそのような取り決めになっています。 がんとAIDSでその対処法が反対なのは、がんの告知は昔からの慣習に従っているのであり、AIDSは比較的新しい病気のため、告知が問題になった時に、自己決定を重んじるインフォームドコンセントの考え方が、すでに普及していたためです。  自己決定を重んじるのであれば、がんの告知でも、先ず本人に結果を知らせ、もし本人が拒否をするのなら家族には知らせないのが本当です。おそらく日本でも将来、その方向に移行すると思います。  1993年に私は都立広尾病院に通う慢性肝臓病の患者さんを対象に、病名の告知についてアンケート調査をしました。10年以上前には、自分ががんになった時、そのことを知らせてほしくないという人が10パーセント余り(49人中5人)いました。当時、患者さんが悪い結果を知らされたくないのであれば、その希望も尊重されるべきだろうと考えていました。 しかし、それから10年余りが過ぎて、患者さんの意識に大きな変化が生じています。最近では、自分ががんにな…

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サルートジェネシスの推薦本

大阪での講演で興味を持ってくださった方より本の問い合わせがありました。 前項の記事でサルートジェネシスの本のリンクができていなかったので、ここにいれます。どうか一度お読みください。 健康生成論(サルートジェネシス)の理論と実際―心身医療,メンタルヘルス・ケアにおけるパラダイム転換

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サルートジェネシス(健康生成論) と 解決志向アプローチ

大阪で開かれた肝臓病教室アドバイザリーカンファレンスでの講演で、タイトルにあげた二つの方法論について簡単に紹介した。両方とも原因を追究せずに、解決の方法をより具体的な行動として捉えようとするところに共通点がある。私は双方ともに、永田勝太郎先生の主宰する研究会 「こころと体の痛み研究会」で知った。  サルートジェネシス(Salutogenesis;健康生成論)は、イスラエルの健康社会学者Aaron Antonovskyにより提唱された健康観である。  現代医学で中心となるパソジェネシス(Pathogenesis;病因論)は、医師主導であり、病気の原因を追及し、それを取り除くことにより治療しようとし、病気と健康を異なるものとして分断する。それは、疾病中心主義であり、病気を取り除き絶対的な健康になることが目的になる。  それに対して、サルートジェネシスは、患者中心であり、健康の部分を育てることにより解決を図ろうとする。健康、病気、死には一連の連続性があり、健康中心主義である。たとえ病気や障害があっても、人間として全体としての秩序がとれていれば 、その人は相対的健康であり、よしとする。残された資源を見つけ出し、それを活用しようとする。  解決志向アプローチは、米国で活躍する韓国人インス-・キム・バ-グ により開発されたブリーフテラピーの一つである。 1)もし壊れていないのなら、直そうとするな、 2)上手くいっているなら、それをせよ、 3)上手くいっていないなら、他のことをせよ…

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「肝臓病生活指導テキスト」 のご紹介ありがとうございます。

 sin さん 生活指導テキストの紹介ありがとうございます。ブログを開いてから、自分でも驚くほどのアクセスがあります。 もちろんアクセスしたのは誰なのかは判りませんが、sin さんの記事やブログからの経由が多いことだけはわかりました。  それだけ患者さんの中でも情報の提供が求められているということなのでしょう。今まで自分の病院でない患者さんへは、あまり情報発信をしていなかったので、これからはブログを利用して全国の患者さんに向かっても情報発信をしたいと思います。  地方で手に入りにくい方は、Amazon経由やセブンアンドワイなどを通してご購入してください。 http://oosaka-hepatic.cocolog-nifty.com/00/2004/10/post_24.html 肝臓病生活指導テキスト

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人生に絶望する前に

「患者の生き方」 で最後に取り上げた詩です。何人もの人からあの詩はどこからと聞かれます。 「生きがいの探求」 天声社 出口日出麿著 の最後にでている詩です。 淋しいでしょう 辛いでしょう しかし辛抱してください もう少しです 明けぬ闇はなく 尽きぬ冬はありません 歯を食いしばってでも 土にかじりついてでも どうなりこうなりこの峠を越えてください “ああだめだ”などとはけっして言わぬことです 東でゆきづまったら西へまわりなさい 南がふさがったら北へお逃げなさい 東西南北みなだめでしたら しばらくそこで臥(ね)ていてください 天地は毎日変わる 晴れくもり寒くあたたかく 日が出たり月が出たり 闇になったり朝がきたり ゆきづまったままの状態が 永久につづくかのように思いなさるな 淋しいときは祈りなさい 辛いときはお願いなさい 神よりほかに真の杖も柱もありません あなたも祈りなさい 私も祈ります ああ主よ わが心の闇を開かしめたまえ 負えるめぐりを いと小さき型において すまさせたまえ 身も心もあなたのものでございます 知恵あさく心弱きわれわれに 光と力をあたえたまえ 生きがいの探求

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誤解

「患者の生き方」を読んで、医師と患者さんでは受け取り方が違うようだ。 医師A 「あの本、中々いいねえ。患者にも読ませて、患者にもっと自立してもらわなくては。そうすれば医師も楽になるのに」 患者さんB 「この本を医者にも読ませたいねと主人と話していたんですよ。」   「患者の生き方」で一番伝えたかったメッセージは、 「他人が変ることを期待するのではなく、自分が変わり、そして世の中の改善に自分が参加しよう」 であったのに、  残念!!

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