患者学のすすめ

(患者の生き方 まえがきより)
わが国は、今、情報化社会の時代を迎えています。健康や病気に関する情報も新聞、雑誌、本にあふれ、インターネットを通して一般の人でも、専門的な内容の新しい医療情報を簡単に入手することができます。そして、名医や医療機関のランキングが雑誌や本で大流行です。
これらにあげられている名医や医療機関に実際に受診できる人は、日本全国に一体どれだけいるでしょう。地方の患者さんの中には、「もし、私が東京、大阪、京都などの大都市に住んでいれば、もっと有名な病院で名医に診てもらえるのに」と嘆いている方もいられるのかもしれません。しかし、都市部でも事情は同じです。リストにあげられる有名病院で、名医と呼ばれる医者の診療を受けている患者さんは、ごく一部です。
病院ランキングや名医のリストは、社会へマイナスの影響が大きいと私は考えます。難病や特殊な技術を要する治療でない限り、病院や地域による医療の格差はそれ程大きくないのが、日本の現状です。
リストにあげられた病院や医師に、適切と思えない例も少なくありません。多くのものは、簡単な手法でエイヤッとばかりに無理やり作った感じがします。そもそも医療の客観的な評価は、それ程容易ではありません。
同じ病院内で働いている医師でも、他の医師がどのような医療を行なっているかを、点数をつけられるほど正確に知る機会はほとんどありません。学会での高名な人ばかり、あるいは仲良し仲間を並べた名医ランキングであれば、このようなものを作ることは簡単だろうと想像できます。健康ブームにのって、こんな企画で出せば売れるだろうと、出版している感じを受けます。

「あなたにとっての名医は、あなたの身近にいる。」というのが、本書での私の主張です。世の中に名医は何人いてもよいのです。それぞれの人が、自分にとって名医と思える医師をもつことができればよいのであり、それを客観的に判定して、どの人が日本で一番とか、どの病院が東京あるいは大阪で一番とか言っても意味はありません。
名医や有名病院に関する医療情報に限らず、マスコミやインターネットで得られる情報は玉石混淆です。質のよい情報もあれば、質の悪い、すなわち世間の注目を引き高い視聴率を得ること、出版物の売れ行きが増えること、あるいは商売で金を儲けることを目的に流される、いかがわしい情報が、混ざり合い氾濫しています。
さらに、これらの情報の多くは断片的であり、系統だった知識にはなりません。現代医学における情報量は膨大です。医学生が医学校において6年間をかけて系統的に学んでも、充分に修得できません。大学を卒業後5年から10年間の臨床教育を受けて、ようやく一人前の医師になるのです。それを、病気になったからと、患者さんが付け焼刃で勉強しても、断片的な知識の寄せ集めで、専門家の体系だった知識に対抗することは、事実上不可能です。
また、自分のことは冷静な判断がは難しく、判断に狂いが生じることもよくあります。さらに、世の中に流されている情報の多くは、情報の発信者にとっての都合のよい情報です。失敗例や事故例が流されることは少なく、情報が一面的であることも問題です。

このような状況下で、患者さんの自己決定権がさけばれ、インフォームドコンセントが進められようとしています。運用を誤ると、患者さんは医師から突き放されるように自己決定を迫られ、路頭に迷う結果になりかねません。また、専門家がその気にさえなれば、情報提供の仕方によって、患者さんの自己決定をある方向に誘導することは、たやすいことです。
医療者が自分の責任を回避するために、患者さんに自己決定を迫り、その裏では自分に都合のよい方向に誘導するという構図では、とても患者中心の医療と呼ぶことはできません。

もし、私自身が肺がんになったなら、どうするでしょう。私は医師として、定評のあるテキストや医学論文を読み、肺がんについて勉強をするでしょう。しかし、最終的には、肺がんを専門とする医師より信頼できる人を決めて、診断や治療方針につき相談します。そして、その医師に治療の選択に関する自分の希望を伝えたうえで、具体的な治療法の選択については任せようと思います。
私は肺がんの治療の専門家ではなく、臨床経験も多くありません。、論文や本などの文献より得られる情報を集めても、それは経験に裏付けられたものではありません。そのような情報は参考にはなっても、それをもとに最終的な決断を下すことは危険です。個々の医師や医療施設には、得意とする方法や不得手な技術もあります。文献上の知識では、その医療機関における最もよい治療法を選ぶことはできません。

しかし、医療の基本としての「患者の自己決定権」を、私は否定するのではありません。尊重されるべきは、自分の人生観や価値観に基づいた治療法を選択する患者さんの権利です。患者さんが医療における決定全てを、医師に任せるのでなく、自分の人生観や価値観をまず医師に伝え、それにあう治療法を、医師の助言の下に選べばよいのです。
すなわち、インフォームドコンセントは、患者と医師、対立の構図ではなく、患者と医師の協働作業の上に成り立つのです。それが、現在私の理想と考えるインフォームドコンセントです。

2003年秋、第1回の肝臓病の情報提供を考える研究会を開催し、米国ボストン市のブリガムウイメンズ病院で患者指導する看護師ジュリー B シェイさんに「米国における患者教育の現況」という講演を依頼しました。素晴らしい講演の最期のスライドは、素敵な言葉で結ばれていました。

Give a man a fish;
you have fed him for today.
Teach a man to fish;
and you have fed him for a lifetime”
Author Unknown

もし、あなたがある人に魚一匹をあげれば、
その人は今日一日お腹を満たすことが可能だろう
でも、もしあなたがその人に魚の釣り方を教えたなら、
その人は一生お腹をすかせて困ることはないだろう
作者不詳

ここに教育の本質が表われていると思います。Julieさんが教えてくれた言葉に従い、本書では、どの病院が何番か、あるいはどこに名医がいるかでなく、どうすれば自分にあう病院や医師を探すことができるかを考え、伝えたいと思います。
情報のあふれる社会で、自分の価値観にあう医療を主体的に選んでいくための哲学と技術を、私は「患者学」と呼びたいと思います。
医療関係者からの情報だけでなく、患者さん同士の助け合い(セルフヘルプ)、自助グループで得られる情報も、今後医療の中で大事な位置を占めることでしょう。この様な過程をへて、病気の意味や自分の生き方を見つけようとする能動的な態度も、「患者学」に含めたいと思います。
本書がヒントになり少しでも患者さんとその予備軍の方々に役立てば、私にとってこれ以上の幸せはありません。病気になった時に、良医と出会い、自分の人生観にあう解決法を見出し、その人にとっての最良の医療を受けられるために。そして、病気をきっかけに、自分自身のよりよい人生に出会うために、「患者学」をおすすめしたいと思います。
患者の生き方―よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ

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この記事へのコメント

若苗
2005年02月17日 18:20
先生の肝臓病教室に時々参加させて頂いています。「患者の生き方」も拝読しました。ご著書に関して何か書き込みでもないかと思い、探していましたら、
ご本人様のHPに行き当たったというわけです。
正直なところ、タイトルに多少ムカつきまして読み始めましたが、過日、先生が別のタイトルをお考えだったと知って、ホッとしました(すみません)。
患者は病気を媒体として医師とお付き合いをするわけですが、その程度がいまだに飲み込めないでいます。自分自身のイメージと医師のイメージとにずれがあるようで、そのギャップにどう対処するかについて、いまだ結論が出せずにいます(そんなわけで、診察の時、中待合でついほかの人の話を聞いてしまいます。よく聞こえますしね)。患者は、どう病気を受け入れるかについて、どうしても自身の人生をつきつけられてしまい、どうにも逃れようがないようですね。本文の中にいろいろな方の例が出ていましたが、むしろ私は結果ではなくプロセスに興味があります。「悲嘆のプロセス」のような、そういう受け入れの流れというものがあるのでしょうか。ご著書を参考にもう少し考えてみたいと思います。
タイトルについて
2005年02月17日 18:55
タイトルは最初「患者学のすすめ」だったのですが、これでは高圧的なタイトルだということで、出版社からの薦めにしたがい「患者の生き方」となりました。このタイトルにムカついたのは、患者の生き方はこうあらねばならないというように受け取られたせいかもしれません。私の側の意図は、患者さんの生き方には色々あることを伝えて、病気、病気と嘆くだけでなく、それをうけとめた上で、それぞれの個人の生き方を探って欲しいということです。そのプロセスが大事なんだろうと思います。
考えていただく材料になれば私の望むところです。

中待合はプライバシーの保護の上から大きな問題になっています。病院が改造する際にはちゃんと声が聞こえないような設計になるはずです。もうしばらくお待ちください。何しろ慶應大学医学部全体では、病院がこれだけ外来も入院も混んでいるのに、大赤字なのです。
棋狂
2005年02月20日 16:27
本日、三越さんのコミュニティサロンで行われた講演を拝聴させて頂きました。
先生の誠実なお人柄と、そのお話の内容にいたく感銘致しました。
このご本もその場で購入させて頂き、これから夫婦二人で読ませて頂きます。
タイトルの決定には紆余曲直があったのですね。私は、先生と同窓なので、「患者学のススメ」が良いかな。。。と感じています。 今後ともご活躍を。
有難うございました。
棋狂さん
2005年02月20日 20:12
本日はおいでいただき、ありがとうございました。
ご夫婦で講演後に来られた方かと推察いたします。
このような形でコメントをいただけるのもブログの威力と感じています。

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