うらみと復讐

復讐という言葉にギクッとしました。確かにひどい医療に出会い、そのような気持ちになる人も多いことでしょう。そのような人が、このタイトルを目にして本を手にとって読み、結果として今後医療に前向きに対処できるようになる本であることを願います。明日には紀伊国屋から送られてきます。
センセーショナルなタイトルで話題をよぶというのも一つの方法ですが、そのことによってそれを読むことをしり込みする人も多いはずです。私も、ひかわさんと今回のような関わりを持つことがなければ、そのタイトルだけで購買しないことになっていたと思います。
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「生きがいの探求」より
「おのれ、見ておれ!」とか、「今に仕返しをしてやる」とかいう気持ちは、この世からなくしたいものだ。復讐的気分は、世の中をいつまでたっても、おだやかに美しくしない。
これからいっても、いっさいの勝負事は人の心をますます利己的にし、何かにつけてこの世を濁すばかりだ。遊戯などでも、自分も楽しく、他人もたのしいというようなことのみにならなければならない。
春から秋へと一足飛びにはいかない。一から三へいたるには、どうしても二を経ねばならない。全てこの世の出来事で、このプロセスを無視することは絶対にできない。ただ、その時その時の遅速の度があるだけである。
この世が理想へ近づくにしても、一足飛びには、いたりうるものではない。個人が幸福、円満になるにしても、またそうである。
この一歩一歩を忘れて、目ばかりを高所につけて、世を呪い人をののしって、悶々としてばかりいてはならない。
この記事へのコメント
憤りは、たとえばですが、そのエネルギーを調節できるようになれば
前向きな行動へと導いてくれるとは、思いませんか?
より高次の目的を目指すとか・・。
憤りは、いったんその方向性の向きを変えれば、何か別の生産エネルギー
になるのではないでしょうか。これの有効活用を共に考えてみませんか?
きっと革新的行動へと導いてくれるはずです。多くの復讐劇の結末は、ちょっと淋しさで終わり、どうも後味がよくないものだと思うのです。