慶應義塾大学看護医療学部の教授就任の報告

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 慶應義塾大学看護医療学部の教授に本年4月1日付で就任することが正式に決まりました。慢性病態・終末期医療を担当する予定です。
 私自身、望んでいたポストでした。それは、これからの日本の医療を良くするために、看護師の力に期待するところが大きいからです。患者さんに良いケアを提供できるための医療職が看護師であると信じるからです。

 家族や村などを単位とするコミュニティが崩壊し、個人が自立しなければならない時代を向かえています。そのような社会では、ケア学の普及が望まれます。今までは家族が行っていたり、村や町内会などで担っていたものが、近代社会ではプロフェッショナルが担うことになります。そのようなケア中心になって働くのは看護師です。

 わが国は生活習慣病や慢性病の時代を迎えています。そのような時代の病気に対処するには、病気に関する情報の提供、患者教育がなによりも大切です。そして、それは、医師ではなく看護師に期待される仕事です。

 医療が高度化し専門分化してきた現代医療の中で、患者さんは説明を受けインフォームドコンセントといわれても、専門家の圧倒的な情報量と経験の前には、単に煙に巻かれるだけの場合も生じます。そのような時、患者さんの立場に立ってアドバイスし、適切な治療を選択するための助言をできる医療職は看護師です。つまり、医療の現場で患者さんともっとも接し、患者さんの立場で発言できるのが看護師です。

 欧米ではスピリチュアルケアが公的な医療の場にとり入れられていますが、日本ではまだまだその普及が遅れています。終末期の患者さんの死に対する不安や恐怖、人生の意義や生きがいに関する悩みに対するケアです。そのようなケアで看護師の果たす役割も大きいだろうと考えます。

 人工肛門のケアや在宅ケア、CCUでのケアなど、看護師の仕事も次第に専門分化してきていますが、私は余り専門分化が進むことは望んでいません。それではミニ医師になってしまうだけだからです。そして、結局は医師の権限はなく、不満がつのるばかりとなりかねません。

 看護師が本来の仕事として、患者さんの立場に立つ医療職であるということが確立すれば、日本の医療は確実に良くなると思います。医療における科学的部分を主として医師が、人間的部分を主として看護師が、担当すれば良い医療が実現すると思います。

 このように、私はこれからの医療において看護師の果たす役割はきわめて大きいし、逆に看護師が活躍できなければ日本の医療の改革は難しいだろうと考えています。
 よき看護師を教育し、社会に輩出し、そしてそれらの看護師が活躍できる医療の場に変えていくことが、医療の維新を良い方向に導く一番の近道だと信じます。その意味で、私にとって念願していたポストでした。

 多くの人々に支えられて就任でした。ありがとうございました。

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「患者の生き方」より

科学的と人間的のはざまで

 都立病院と大学病院に勤務する間に、私は医師、患者さん、その家族の間におきる色々な出来事に遭遇し、現在の医療のあり方に、疑問を感じて悩んでいる時期がありました。ちょうどその頃、偶然、日本医師会の主催する「医療情報の提供に関する講習会」に出席するようにとの病院からの指示がありました。私にとって、求めていることが報われる講演会となりました。

 講演会で、中川米造先生は、自分ががんのために余命が長くないこと、を当日告げられたと、聴衆の前で告白されました。おそらく、これが公的な講演会の最期のものになったと思います。最終学級です。私にとってこの時期に中川先生にお会いできたことは、本当に幸運でした。

 講演中に示された一枚のスライドを見た時、私は、自分の中で漠然と感じていた現代医療に対する疑問が頭の中ですっきりと、理解され解決した思いがしました。目から鱗が落ちるという表現がぴったりする程の、衝撃を受けました。それは次に示す表です。

科学的であること            人間的であること   
 普遍性,一般性,統計性          個別性,独自性,個人
 一方的支配                 相互作用
 空間性                    時間性(歴史性)
 効率、能率                  意味、価値      

表は、科学的と人間的であることの特徴を、様々な次元で対比しています。一見するだけでは、科学的であることと人間的であることの二項目が、対立するものとして提示されており、二者択一の選択を迫っているかのように見えます。二つの項目は、それぞれの列で相反するものであり、両者が共存することなど不可能のように思われます。

 科学は、物事を単純化し共通部分を見いだし一般化するために、個別性、独自性を切り捨てます。断面を見ているのです。この切り捨てるという作業が、science(科学)の頭の部分にあるsciの持つ意味だというのです。そして、統計学により証明され普遍性をもつことが、エビデンス(証拠)となります。そして、科学は証拠に立脚して、積み上げていくのです。

 ところが、人間の価値は、その人独自の部分が尊ばれ、共通部分よりも、むしろ一人ひとりの差の部分、個別性にみいだされます。

 人間の共通部分と差の部分のどちらに目を向けるかにより、表の科学的と人間的の間を揺れ動くのです。

 科学では、意味を問うことはしません。科学的な世界では、効率や能率が重んじられます。人間的世界の意味や価値は軽んじられます。しかし、効率や能率ばかりを優先する医療では、人間が取り残されてしまいます。
 科学的な分析では、人体を精密な機械の集合体として見るために、病気になれば、故障した部分を取り替えればよいという発想になります。科学主義の医師の究極は、高級機械の修理工となります。一方、人当たりもよく、親切で人間的に接することができても、科学的な知識や技術の積み重ねを持たない医師は、現代では偽医者ということになります。

 二つの項目を対比しながら医療を考えてみると、二項目からの択一の選択ではなく、科学的側面と人間的側面の双方のレベルが高くあり、なおかつ両者のバランスがとれていることが、医療には求められていることが明らかとなります。

 現代社会における医療では、科学的な面が過度に前面に押しすすめられています。
 研究者は、実験動物に対しては、名前をつけることなく番号で呼びます。目を見て話しかけたり、その声を聞こうとすることもありません。体を触りなでることもありません。一つの物体として、冷静に客観的にとりあつかいます。研究者は一匹一匹の動物に興味があるのではなく、研究でえられる結果に興味をもつためです。

 患者さんの目を見ることなく、会話することなく、触診することもなく、採血と画像診断のデータの解釈のみに興味をもつ医療は、科学的側面のみとなっってしまった科学主義の医療の表れです。
それに対して、愛情を注ぐ対象である動物ペットには、愛称をつけて呼び、目を見て話しかけ、手で撫で触ります。動物の体の調子が悪いから、と処分したり、他の動物と交換することはありえません。飼い主と動物との間に歴史が共有されており、それを大切にするからです。
ここでのペットは愛情をそそぐ対象の比喩です。患者さんをペットにたとえることは、誤解を生じるかもしれませんが、今では生活の中で最も愛情を注ぐ対象が、ペットである人もいるほどです。

 実験動物を対象とする時の、冷たい科学的な視線を注ぐ医療でなく、人に対して好意を注ぐ暖かい人間的医療が求められています。しかし、重要なことはあくまでも両者のバランスです。双方のレベルが高められていることが、まず必要であり、その上で、人間的であることが主で、科学的であることが従である医療が望まれているのです。

福澤諭吉著 通俗道徳論  全集10
およそ人たるものは理と情との二つの働きに支配せられて、しかもその情の力は至極強大にして理の働きを自由ならしめざるの場合多く、・・・

されば、かかる人情の世界に居ながら、唯一向(ひたすら)に数理によりて身を立て世を渡らんとするのは、はなはだ殺風景にして、とても人間の実際に行われ難い。少しずつにでも人情に数理を調合して社会全体の進歩を待つの外あるべからず。
学問の生命―「医学とは何か」を問い続け行動する
素顔の医者―曲がり角の医療を考える

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この記事へのコメント

眞三
2005年03月20日 23:01
私の受け持ってきた患者さんには、大学病院での外来は続けますので、ご心配なく。火曜日午前の外来はそのままです。水曜日午後と金曜日午前の外来は、月曜日午後に移行します。

肝臓病教室は継続して行います。
水井
2005年03月20日 23:42
御就任、おめでとうございます。

これまでと変わりなく、常に患者さんの目線での、ご活躍をお願い致します。
そのためにも、新しい医療にありかたを目指して各分野(お医者さん、看護職だけでなく)の皆様と改革に取り組んで下さい。
弱者の立場はなにかといつも置き去りにされがちです。
それは・・やはり、患者さん側自立自尊がまだ。ということもありますが、
お医者さん側の意識改革の必要性も強く感じます。

「権威主義は、権威のないところにこそある。」と、先生のご著書「患者の生き方」にありました。そこのところ、とても印象に残っています。
これが、本流からのご発言であったことの意義深さを感じております。
GALANT's Cafe
2005年03月21日 00:14
ご就任、おめでとうございます。

これからの日本の医療を良くするために選択された道とのこと。加藤様の理念をよく体得した看護士さんが、多く育ってくださることを願っております。

この記事でも述べられていらっしゃる「二項目からの択一の選択ではなく、科学的側面と人間的側面の双方のレベルが高くあり、なおかつ両者のバランスがとれていること」は、医療界の問題だけでなく、工学分野でも同じであると私は思っていました。

工学分野でも、効率の追求のみに始終しすぎ、なんのためにそうでなければならないのかを忘れ去った事象が数多く見られます。忘れ去ったまま進められた事象は、最終的に人のために役立ちません。
そして、このバランスを欠いた理系人間が、「逃げ道として専門家」になってしまった方々なのだと思います。

頂いたコメントを踏まえ、この件に関する記事を執筆中ですが、まだ論旨がすっきりしておりません。
完成した際には、トラックバックさせていただければ幸いです。
ニノチカ
2005年03月21日 06:28
ご就任おめでとうございます

看護師は只単に病人の世話をする係ではなくて、医師と患者さんの間にはいる大事な役目を担っていることをいつも感じています 医師から伝えきれなかったことなどいつも伝えてくれるのは看護師さん達です そんな大事な仕事であることがもっと本人達にも周りにも認識され、看護師という職業の地位が向上することを願っています 先生に教わった看護師さんたちはきっとその重要さを認識してくださることでしょう!

科学的であることと人間的であることをここまでクリアカットに説明していただいて、私もはじめていつも感じている矛盾というのがそこからきていたのかとあっと驚く思いでした 
眞三
2005年03月21日 07:34
お祝いの言葉をありがとうございます。

私が厄年のときに、大学病院で色々な問題にぶつかり悩んだ時期がありました。そのような時に出会ったのが中川先生でした。
中川先生の本をむさぼるように何冊も読み、その問題が個人的なものではなく、構造的なものであることを理解し、それならこれを何とか変えて生きたいと思ったのが、もう7年も前です。

眞三
2005年03月21日 07:36
わたしも打出先生と同じく、大学病院の中で居心地の悪い生活をしてきました(もちろん、程度には格段の差があることと思いますが)。むしろ、外の病院に出たり、開業するほうが、自分の理想とする医療が実践できるのではないかとも考えました。しかし、それでは、医療の世界を変えることはできないと、周囲に仲間を少しでも増やしていくこと、患者への情報提供のモデルをつくり、それを全国に広げよることを決心したのです。

今回の異動はわたしはむしろポジティブに考えています。そして、医学部での教育にも積極的にかかわっていこうと思っています。
このような行動を継続していくには、中川先生の医療の哲学が必要でした。中川先生のなくなった今、私はその光をいろいろな人に引き継ぐ役目をしたいと思っています。坂本竜馬の出現を待っています。

とほしびの きゆるよのなか いまなると さし添えいたす たねぞこいしき
                         (でぐち なお)

打出喜義
2005年03月21日 09:01
加藤さん 教授ご就任おめでとうございます。

加藤さんの「大学病院の中で居心地の悪い生活をしてきました」
とのお言葉には 私としましては ビックリしました。
やはり何かに“目覚める”と医学部の中では居心地が悪くなる(苦笑)

ところで私も 高速を使って約2時間の 敦賀市の看護学校で
講義の時間を戴いておりますが 彼女(彼)らはまだまだナイーヴですので 
教育により 大きく変わるかと思っています。
そうした意味では 大いに やりがいある仕事だと思います。

ただ 医療の世界を変えるには 
医師の心根を変えることも肝要かと思いますので
今回の移動を機に これまで以上に 
医学部の教育にも関わっていって下さい。

あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり

ひとはひととの出合いにより それぞれに 変わっていくものかと・・・
眞三
2005年03月21日 09:17
打出さんに比べれば、私はまったく恵まれた環境であったと思います。
慶應大学では、近藤誠先生が医師と対決の姿勢を鮮明に示し、孤軍奮闘しているのを目の当たりに見ており、私は医療の改革には別の戦略が必要だと考えたのです。

医学部での教育には、今後もかかわっていきたいと思っています。
そして、患者教育にも力をいれていきたいと思っています。

医師、患者、看護師の意識の変革が必要と思います。
sin
2005年03月21日 17:34
 加藤先生、私のブログへのコメントありがとうございます。
 また、慶応での教授ご就任、おめでとうございます。
 先生の新任地での「肝疾患に関する運動マネージメント」のご研究に期待しております。
 「肝臓病教室」のネットワークの発展にも期待しています。
岩本ゆり
2005年03月21日 19:11
医療コーディネーターの岩本です。

>よき看護師を教育し、社会に輩出し、そしてそれらの
>看護師が活躍できる医療の場に変えていくことが、医療
>の維新を良い方向に導く一番の近道だと信じます。

看護師の活躍できる医療の場に変わること。本当に心から望んでいます。

ところで、肝臓病教室を見学することは可能でしょうか?もし可能であれ
ばぜひ、一度伺いたいのです。
メールでお返事頂ければ幸いです。 yuri@rakkan.net
リタイアナース
2005年03月21日 22:21
 加藤先生、この度の御栄進、心より御祝いを申し上げます。 
私が就職した頃は、看護師は医師と同じテーブルに着くことができませんでした。それは医師が権力を持っていた事とはあまり関係がなくて、看護師などのレベルが低すぎて医師に追い付かないでいたのが主と思います。「医師とカンファレンスを…」「看護計画を…」っと上司に訴えても煙たがられるばかりでした。しかも勉強の必要性を感じた看護師はよりレベルの高い所に上京したり海外に行かれたりと、なかなか根っ子が育ちませんでしたが、看護協会等のバックアップもありようやく本来あるべき姿の看護師達の芽が大分育ってきた…と、しみじみと感じることができます。
 最近は地方の病院でも経験と指導力とのある看護管理者が底辺の看護師達のプロとしての自覚をもっと持たせようと必死で頑張っています。その方々にここの加藤先生のブログに紹介されてる著書とか、医師としての考え方とかを読んでいただきたく思っています。先生のおっしゃる通りでミニ医師でプチ看護師では、患者さんの最高のケアは生まれてこないと思います。
 益々の御活躍を心より願い、応援させていただきたく思います。
眞三
2005年03月21日 22:48
sinさん。これからも患者会の立場からの意見を是非聞かせてください。

リタイアナースさん。看護師さんに働きかけることは勿論ですが、医師にも理解をする人を増やしていかなければと思います。看護師としての仕事をケアに重点をおけば、レベルが低すぎてということはないように思います。
また、慶應の医療看護学部は新設学部ですが、優秀な学生が集まってきているようです。余り偏差値が高くなりすぎるのも問題ですが、人気があって優秀な人が集まることはありがたいことです。
日本の医療が良くなる動きは慶応義塾の看護医療学部から始まったと評価されるようになることが、私の夢です。
雪ウサギ
2005年03月23日 05:35
子どもが親の留守をねらっておとなになって行ってしまうように、事件というものも人の留守を狙って起きるもののようですね。

眞三先生、教授ご就任おめでとうございます。(と申し上げてよろしいのでしょうか?)臨床の場から教育の場へと、そのステージを変えようとしていらっしゃいます。大きな転換の時ですね。医師達を変えようとすることよりも、看護師達が先に変わる方が、もしかしたら医師が変わる速度が早まるかもしれませんね。それが大いなる意志(神という言葉があまり好きではないので。)の御心ならば、それに沿って行けば間違いないと思います。

雪ウサギ
2005年03月23日 05:43
昨夜二年ぶりで、萩から来た友人を囲む機会がありました。なぜ萩に逸材が多く輩出しているのかという話になり、吉田松陰の話題も出ました。藩として志しを高く持つ伝統というものが培われていたからだという答えになりましたが、ある時期に急に輩出したのは何故なのかよくわかりませんでした。しかしその友人自身を見てみますと、一途で純粋で人情家ですので、萩では昔きっと、多くのこの様な人達が、志を持ち寄って影響しあい大きなパワーとなっていったのかもしれないと思いました。
加藤先生にはぜひ医療界の吉田松陰のようになっていただきたいと思います。吉田松陰も坂本龍馬もどちらも興味のある人物です。

「斯くなれば斯くなることと知りながら、止むに止まれぬ大和魂」
上手ではないと思いますが、結構好きな辞世の句です。
(ただし幼い時に聞いたものなので、果たしてこれで正しいのかは疑問なのですが。)



雪ウサギ
2005年03月23日 12:40
眞三先生、
ご、ごめんなさい。
あの、訂正させていただきます。
就任のお祝いにふさわしくない言葉を出してしまいました。
いくら、好きな言葉とは言え、ふさわしくありませんでした。
謹んでお詫びいたします。
2005年03月24日 00:24
雪ウサギさん。いろいろ励ましの言葉ありがとうございます。
止むに止まれぬ、というよりは、もっと希望を持って今回の進路変更をとらえていますが。
真作
2005年05月06日 21:25
加藤先生、教授就任の決意文解り易いです。同感です。
昔、上智のデーケン先生に死について話を伺った時に「厚生省の統計によれば、日本人の死亡率は100%です。」から話を始められました。毎日人が死ぬのに、今日が自分の番だと思う人はいない。死を認識したら生を理屈抜きに楽しめるし科学もうまく利用出来る筈。キューブラーロスさんのように末期の患者さんと看護士の人との対話って無理でしょうか?
2005年05月07日 03:20
真作さん。ありがとうございます。
これからも時々コメントをください。
2005年05月07日 03:20
真作さん。ありがとうございます。
これからも時々コメントをください。
macoto
2005年05月16日 21:08
ご教示いただいた文、拝読いたしました。
とても共感いたしました。
一方で同じ対象を見つめ、ほぼ同じ切り口ながら生じてくる違いにも 刺激を受けました。

科学は偶然を排して,必然によって 構造を定めます。
 機能は構造があってこそ(外科系発想)

歴史は偶然を積み重ね,複雑で混沌とした脈絡叢が機能を果たします。
 構造は機能を果たせてこそ(内科発想)

必然の強さと 偶然の優しさとで 医療がよい結果を出せればいいのですよね。
絵空事を排して 確かな明日へ繋がるように。
2005年05月18日 07:47
macotoさん。 この外科系発想と内科系発想、面白いですね。
ずばずば切るのではなくて、慎重な思慮深いのがよい外科医で、うじうじしていなくてすっと決断できるのがよい内科医の場合がおおいのです。仕事の性格と反対の人が結果としてよいということもありますね。

明日に希望をもちましょう。日本は変わろうとしています。
macoto
2005年05月18日 18:48
面白いと仰ってくださったので,調子に乗りもうひとつの発想軸を披露します。

集まった情報から何が最善かを決断できる
 (脳と科学による父的doctor)
曖昧な中から手に耳目を備え情報を探る
 (環境整備と誘導能力が強いnurse)

牛耳られる父がだらしないのではなく、自己像(こうあれば正しい≒間違わずに済む)を強制しすぎる母が(医師への盲目な従順さを放棄しても)「患者と事実」に対する忠実を捨てることない看護師教育が有用なのかと。
断定ではないのですが,こう感じるのです。

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    Excerpt:  19日、慶応の加藤眞三先生が「肝臓病教室」についてお話しされるために18日から Weblog: 肝臓のなかまたち racked: 2005-03-21 14:22