薬としての医師
プラセボ効果という厄介なものが医療にはあります。本来は効くはずのない薬の投与により、症状が軽くなったり、病気が治ったりすることです。最近、脳代謝改善剤として大量に販売されていた薬が、再評価では有意差がなく認可が取り消されましたが、これなども再評価時にプラセボによる効果が大きすぎたためと解説されています。それ程プラセボには効果が高いことがあるのです。
プラセボの語源は「喜ばせる」 という意味であり、本来医療にとって望ましいものなのですが、医療関係者の間では、偽薬やプラセボ薬で良くなったりする患者は、まるで演技をして症状を作っているかのように扱われ、あの人はプシコ(精神科患者)だからなどといわれ、精神科的な問題と片付けられてしまいます。科学主義的な医療では、プラセボ効果を理解しようとしませんし、むしろ忌み嫌っている程です。
「こんな薬、効くのか効かないのか良くわからないけど、まあ、使ってみようか。」などと言いながら患者さんに投薬する医師は、このプラセボ効果をわざわざマイナスにしてしまっているようなものなのです。
私の尊敬するF医師は、一袋1gで一日量3gの薬をわざわざ2.5gの分三でなどと処方することがあります。医師になってまもない頃の私は、一日量3gにすれば、市販の1gの袋を出すだけで薬剤部も楽なのに、なぜこんな中途半端な量で出すのだろうと不思議に思いました。3gと2.5gの間に、効果の差など科学的にあるはずもないと考えていたのです。
ある日、F先生に思い切ってその理由を尋ねました。
「2.5gの分三にすると、病院の薬局で薬剤を調合し、病院の名前の入った袋に包装してくれる。患者は、私のために、この病院で、特別に調合してくれた薬と思い薬が良く効くのだ」。
そういえば、その袋にはマーズレンSの青、メサフィリンの緑など色も添えられたり、メンソールで風味がつけられたりと色の配分まで工夫されています。これなどは、プラセボ効果を最大限に生かそうとする発想なのです。
医師自身も薬の代わりになるということが言われています。
「先生の教室に行くと、気持ちが明るくなって体が軽くなります。」
「先生の外来に来ると、何か元気になった気がしてまた一ヶ月頑張れるんだ。」
このようなお世辞上手な患者を持つことに、私は医師としての喜びを感じます。
「肝臓病教室のすすめ」より
肝臓病教室のすすめ―新しい医師・患者関係をめざして
プラセボの語源は「喜ばせる」 という意味であり、本来医療にとって望ましいものなのですが、医療関係者の間では、偽薬やプラセボ薬で良くなったりする患者は、まるで演技をして症状を作っているかのように扱われ、あの人はプシコ(精神科患者)だからなどといわれ、精神科的な問題と片付けられてしまいます。科学主義的な医療では、プラセボ効果を理解しようとしませんし、むしろ忌み嫌っている程です。
「こんな薬、効くのか効かないのか良くわからないけど、まあ、使ってみようか。」などと言いながら患者さんに投薬する医師は、このプラセボ効果をわざわざマイナスにしてしまっているようなものなのです。
私の尊敬するF医師は、一袋1gで一日量3gの薬をわざわざ2.5gの分三でなどと処方することがあります。医師になってまもない頃の私は、一日量3gにすれば、市販の1gの袋を出すだけで薬剤部も楽なのに、なぜこんな中途半端な量で出すのだろうと不思議に思いました。3gと2.5gの間に、効果の差など科学的にあるはずもないと考えていたのです。
ある日、F先生に思い切ってその理由を尋ねました。
「2.5gの分三にすると、病院の薬局で薬剤を調合し、病院の名前の入った袋に包装してくれる。患者は、私のために、この病院で、特別に調合してくれた薬と思い薬が良く効くのだ」。
そういえば、その袋にはマーズレンSの青、メサフィリンの緑など色も添えられたり、メンソールで風味がつけられたりと色の配分まで工夫されています。これなどは、プラセボ効果を最大限に生かそうとする発想なのです。
医師自身も薬の代わりになるということが言われています。
「先生の教室に行くと、気持ちが明るくなって体が軽くなります。」
「先生の外来に来ると、何か元気になった気がしてまた一ヶ月頑張れるんだ。」
このようなお世辞上手な患者を持つことに、私は医師としての喜びを感じます。
「肝臓病教室のすすめ」より
この記事へのコメント
お医者と患者とて、相互関係性。お医者への感謝と信頼がぐるりめぐって、患者自身の回復につながる。治療に対するきちんとした意見を伝えることと、二本立てで実践したいですね、患者側としては。2.5gの妙薬のお話ですが、実は0.5gの透明スペシャル薬が加わって・・やはり3g?
車の走行時の感じがよくなったとか、オーディオの音が体感的によくなったとか、体感の改善をうたうモノに多いです。
無論、効果が無いモノばかりではないのですが、酷い事例では有害にも関わらず「効果がある!」と高額で売られている場合。
本人は信じているだけに、悩ましい問題です。
私は錠剤の多い処方は嫌いです。飲むものの気持ちも考えてほしいと常々思います…(粉にすると高々多くても2gですむものが、10錠になったりする矛盾…)
教育や子育ての場面でしばしば使われる「ピグマリオン効果」と同様に
どのように有効利用するか、魔法の杖を持った者の心掛け次第のようですね。科学的合理性のみが心身に働きかけるとは言えない例として、とても興味ある例だと思いますが。
よくなりますようにって願いながらのむ、
そんなかわいらしい患者さんが目に浮かびます
ある時肝疾患の患者さんで不眠でひどく不穏の患者さんがいて、夜間当直室に安定剤の指示をと連絡すると、病室まで出向き患者さんの訴えを聞いた後、0.5cc生食筋注(安定剤の代わり)の指示がでました。それが患者さんにとてもよく効いて、ナースコールも鳴らなくなり眠れたとのことでした。
医師が患者さんの話を聴いたことが相乗効果となって、最良のプラセボ効果でした。
偽薬は普段から地道に患者さんとの信頼関係を築いているからこそ使えもので、使い方によっては患者さんの信頼を失うものなので、プラセボの指示はあまりありませんでした。
その医師が当直だとナース間もドンと落ち着いて勤務ができ、安定剤が歩いている感じ(???)でした。
Galantさん。さすがに、理系の男としてのコメントですね。
にしまるさん。は流石に精神科としてのコメントですね。内科的には、睡眠薬や痛み止めなどで多いのですが、抗うつ薬などもそうなのでしょうね。今は粉薬を混ぜて処方できる若い医師は少なくなってきました。私も含めて(若くはないが)。
昼行灯さん。 そんな医師が医師の間でも高く評価される日が来ることを願っています。余り医師の間では知られていないのではないでしょうか。私も問題患者といわれる人が回されてくることが結構あるのですが、実は問題は医療者側の態度であると感じることがしばしばあります。ちなみに、私もわざとプラセボ薬を使うことはしない主義です。
籠城している兵士が、「明日援軍がくるぞ!」の知らせに立ち上がるようなものでしょうか。
患者さんをファンにしてしまう医師もいます。若いドクターファンのおばあさん。年輩医師の落ち着いた話ぶりに安心するおじいさん。
精神科病棟ではホントによくみられる光景です。
「恐れかつ思慮が過ぎると心の蔵する神が破られ、自分の意志で決められず・・」「憂いが解けなければ脾の蔵する意が破られ胸部が煩悶し手足に力無く・・」「悲哀の度が過ぎると肝の蔵する魂が破られ・・頭がはっきりせず・・筋肉ひきつれ・・生気を失い・・」「恐れが解けなければ腎の蔵する精を破り・・萎縮し・・手足が冷え・・」等と。(恐れかつ思慮が過ぎると、について私邦之は現代語的に「苦慮」と解釈して良いのではないかと考えます。)
これをプラシーボという面から考えると、ヒトの五臓のうち、特に四蔵に関わる四つのスピリチュアリティー(神、意、魂、精)は、
一昨年、ある国際会議でうちの院長が村上和雄先生と東洋医学のお話になったことがあり、先生は「ボクもこれから勉強を始めようと思っているのです。」と述べられたとか。最近の「医道の日本」誌に村上先生の記事が見受けられますので、いよいよ先生も、「氣」の方から遺伝子のスイッチオンを研究され始めたのかなぁ、と楽しみにしております。
そうなると「そりゃ、気のせいですね」といっていたところが、「それは氣のしからしむるところでしょう」となるかも知れませんね。
彼女には、「ギブ・アンド・ギブ」の精神による大きなテイクがあったということでしょうか? 生命力って、不思議ですね。
かく祈り かく言挙げす 吾らなれど
岐美が支えの いくばくなりや
初夏の風 浜の千草に そよぐとも
岐美まなざしに 北風を追ふ
この国の しるべと光る 貴き灯を な吹き消しそ わだつみの神
こんな薬をのみたくないのみたくないと思ってのんでいると、薬も効きにくくなるのかもしれません。