相手にわかる言葉で
「このシーティをみればわかりますが、こうふくまくのリンパせつが、にょうかんをあっぱいして、すいじんしょうになっています。」
病棟主治医のA医師が、患者とその家族に説明しているところです。卒業後6年目のA医師は、CTの写真を前に、立て板に水のごとく得意げに早口でしゃべりたてました。おそらく95%以上の患者には、理解できない説明だったろうと思います。(そのような時、統計学的には、この説明を理解できる人を異常な人と呼ぶのだそうです。)
どうして、このような言葉が出てくるのでしょう。この話を医学部の学生に伝える時、私は、「科学的に正確に説明しようとすればする程、情報は正確に伝わらなくなる。」と逆説的な言葉をそえて紹介しています。学生の中には「日頃、医師の間でこのような表現で会話しているから、患者に話すときにも自然にこのような表現になるのだろう。」と好意的に解釈する人もいます。しかし、その回答では私は納得できません。なぜなら、それでは医師の会話は日頃から医師だけを相手とし、患者とは会話しないことを前提にしているからです。
私は、意地悪く、むしろ患者に対してわざと解りにくく話しているのではないかと解釈しました。相手に解らない言葉で早口にぺらぺら話す。それによって煙に巻き、自分を偉くみせ、文句を言わせないぞと誇示しているかのように見えました。その背景には医師の権威主義があるのです。お役所言葉や裁判所の判決がわかりにくいのも権威主義を利用するためわざとわかりにくく表現しているからではないでしょうか。本当の権威とは、相手にわからないことをしゃべって煙に巻くところにではなく、相手に解り易く説明し、心から納得させることができるところに生じるものだと思います。
福澤諭吉「学問のすすめ」17編 人望論 には、人間社会におけるコミュニケーションと言葉の大切さが次のように書かれています。
「・・引込み思案にのみ心を凝らし,その悪弊ようやく増長して遂には奇物変人,無言無情,笑うことも知らず泣くことも知らざる木の切れのごとき男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは,人間世界の一奇談なり。今このいやしき習俗を脱して活溌なる境界に入り,多くの事物に接しひろく世人に交わり,人をも知り己をも知られ,一身に持前正味の働きをたくましうして自分のためにし,兼ねて世の為にせんとするには,
第一 言語を学ばざるべからず。文字に記して意を通ずるはもとより有力なるものにして,文通または著述等の心掛けも等閑にすべからざるは無論なれども,近く人に接して直ちに我思うところを人に知らしむるには,言葉の外に有力なるものなし。故に言葉は成るたけ流暢にして活溌ならざるべからず。近来世上に演説会の設けあり,この演説にて有益なる事柄を聞くはもとより利益なれども,この外に言葉の流暢活溌を得るの利益は,演説者も聴聞者も共にするところなり。
また今日不弁なる人の言を聞くに,その言葉の数はなはだ少なくしていかにも不自由なるがごとし,たとえば学校の教師が訳書の講義なぞをするときに,円き水晶の玉とあれば,分かり切ったる事と思うゆえか,少しも弁解をなさず,ただむつかしき顔をして子どもをにらみつけ,円き水晶の玉というばかりなれども,もしこの教師が言葉に富みて言いまわしのよき人物にして,円とは角の取れて団子のようなということ,水晶とは山から掘り出す硝子のような物で甲州なぞからいくらもでます,この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉と説き聞かせたらば,婦人にも子供にも腹の底からよく分かるべきはずなるに,用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは,必竟演説を学ばざるの罪なり。
或いは書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ,英語を使い英文を用いるなぞと,取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。按ずるにこの書生は日本に生れて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉は,その国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し,毫も不自由なきはずのものなり。何はさておき,今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり。
明治の初めより、コミュニケーションの基本は、相手にわかる言葉選びから始まることが教えられていました。残念ながら医療の世界にはそれは十分伝わらなかったようです。「円き水晶の玉」のごとく、患者への説明には専門用語を交えても、その都度説明を付け加えながら、相手にわかる言葉で話すよう心がけたいものです。
「これがレントゲンで体を輪切りに下から見たCT写真です。この白い部分が背骨ですから、体の後ろ側にあたります。ここを腎臓から膀胱まで小水を流す管・尿管が走っているのですが、ちょうどここにリンパ節が腫れているのが見え、尿管を圧迫しているために小水が流れなくなってしまっているのです。そのため、そこより上流にある左の腎臓には小水が貯まって腫れた状態となっており、水腎症と呼ばれるのです。」(チョッとくどいですかね。)
http://exhospital.exblog.jp/tb/2612828
肝臓病教室のすすめ―新しい医師・患者関係をめざして
病棟主治医のA医師が、患者とその家族に説明しているところです。卒業後6年目のA医師は、CTの写真を前に、立て板に水のごとく得意げに早口でしゃべりたてました。おそらく95%以上の患者には、理解できない説明だったろうと思います。(そのような時、統計学的には、この説明を理解できる人を異常な人と呼ぶのだそうです。)
どうして、このような言葉が出てくるのでしょう。この話を医学部の学生に伝える時、私は、「科学的に正確に説明しようとすればする程、情報は正確に伝わらなくなる。」と逆説的な言葉をそえて紹介しています。学生の中には「日頃、医師の間でこのような表現で会話しているから、患者に話すときにも自然にこのような表現になるのだろう。」と好意的に解釈する人もいます。しかし、その回答では私は納得できません。なぜなら、それでは医師の会話は日頃から医師だけを相手とし、患者とは会話しないことを前提にしているからです。
私は、意地悪く、むしろ患者に対してわざと解りにくく話しているのではないかと解釈しました。相手に解らない言葉で早口にぺらぺら話す。それによって煙に巻き、自分を偉くみせ、文句を言わせないぞと誇示しているかのように見えました。その背景には医師の権威主義があるのです。お役所言葉や裁判所の判決がわかりにくいのも権威主義を利用するためわざとわかりにくく表現しているからではないでしょうか。本当の権威とは、相手にわからないことをしゃべって煙に巻くところにではなく、相手に解り易く説明し、心から納得させることができるところに生じるものだと思います。
福澤諭吉「学問のすすめ」17編 人望論 には、人間社会におけるコミュニケーションと言葉の大切さが次のように書かれています。
「・・引込み思案にのみ心を凝らし,その悪弊ようやく増長して遂には奇物変人,無言無情,笑うことも知らず泣くことも知らざる木の切れのごとき男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは,人間世界の一奇談なり。今このいやしき習俗を脱して活溌なる境界に入り,多くの事物に接しひろく世人に交わり,人をも知り己をも知られ,一身に持前正味の働きをたくましうして自分のためにし,兼ねて世の為にせんとするには,
第一 言語を学ばざるべからず。文字に記して意を通ずるはもとより有力なるものにして,文通または著述等の心掛けも等閑にすべからざるは無論なれども,近く人に接して直ちに我思うところを人に知らしむるには,言葉の外に有力なるものなし。故に言葉は成るたけ流暢にして活溌ならざるべからず。近来世上に演説会の設けあり,この演説にて有益なる事柄を聞くはもとより利益なれども,この外に言葉の流暢活溌を得るの利益は,演説者も聴聞者も共にするところなり。
また今日不弁なる人の言を聞くに,その言葉の数はなはだ少なくしていかにも不自由なるがごとし,たとえば学校の教師が訳書の講義なぞをするときに,円き水晶の玉とあれば,分かり切ったる事と思うゆえか,少しも弁解をなさず,ただむつかしき顔をして子どもをにらみつけ,円き水晶の玉というばかりなれども,もしこの教師が言葉に富みて言いまわしのよき人物にして,円とは角の取れて団子のようなということ,水晶とは山から掘り出す硝子のような物で甲州なぞからいくらもでます,この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉と説き聞かせたらば,婦人にも子供にも腹の底からよく分かるべきはずなるに,用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは,必竟演説を学ばざるの罪なり。
或いは書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ,英語を使い英文を用いるなぞと,取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。按ずるにこの書生は日本に生れて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉は,その国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し,毫も不自由なきはずのものなり。何はさておき,今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり。
明治の初めより、コミュニケーションの基本は、相手にわかる言葉選びから始まることが教えられていました。残念ながら医療の世界にはそれは十分伝わらなかったようです。「円き水晶の玉」のごとく、患者への説明には専門用語を交えても、その都度説明を付け加えながら、相手にわかる言葉で話すよう心がけたいものです。
「これがレントゲンで体を輪切りに下から見たCT写真です。この白い部分が背骨ですから、体の後ろ側にあたります。ここを腎臓から膀胱まで小水を流す管・尿管が走っているのですが、ちょうどここにリンパ節が腫れているのが見え、尿管を圧迫しているために小水が流れなくなってしまっているのです。そのため、そこより上流にある左の腎臓には小水が貯まって腫れた状態となっており、水腎症と呼ばれるのです。」(チョッとくどいですかね。)
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この記事へのコメント
我が家のダンナの持論です。『本当に頭のいい人は、相手に話す時に難しくない言葉で話ができる。逆に難しい言葉で説明する人ほど、おつむのわるい人。』
つまり一部のセンセイがやたらと難しく話すのも、相手に伝えたいのではなく、賢く見せたいから。というしんぞう先生の読みは鋭いと思いました。
氷解を祈って下さってありがとうございます。
私を支えてくれるのは2人の息子(4本足でしあわせのしっぽあり)
ジーコ君とドラ君のアルバムに癒やされます。
考えれば、いけないことことだなって思います。わかりやすい言葉。いいですね。
言葉の易しさは優しさですよね。
にしまーさん>言葉は、何を言ったかではなく、何が伝わったかが大事なんでしょうね。
CXQ02002さん>言葉は自己満足のためではなくコミュニケーションのためにあるのですから。
敷島の 大和の国は 言霊の 幸はふ国ぞ 真幸くありこそ
万葉集 巻十三 柿本人麻呂
ご尊父さんの時に受けられた心の傷は癒されることは困難なこととおもいますが、少なくともそのような医療者ばかりではないことを知っていただけただけでもありがたいことです。
担当医を決める権利は患者にあるというのが、米国の病院憲章に書かれれていますが、日本では全員にそれを適応することは難しいようです。
それでも、一度入院中の主治医に外来も担当して欲しいと聞いてみてはどうでしょう。医師としては、そのような依頼はうれしいものですし、その依頼があれば私が外来で診るともいえるようになります。
明るい声掛けで、すこしでも利用者さんになじんでもらってコミュニケーションをはかれますように頑張ります。
又、お邪魔します。
ミクシーの方でMさん経由で此処へ来ました。言葉の持つ意味。。言霊、、その重みを痛感致します。
話は変わって、常日頃感じているのは、学歴編重に重きをおいたこの日本のシステムが狂っているのではないかなと思います。
(特に権威主義であるとか。学閥で有るとか)
教養と学歴の違いを再認識させる為の仕組みが出来ない物か?嘆いて止まないこの頃です。
ミクシーの方でMさん経由で此処へ来ました。言葉の持つ意味。。言霊、、その重みを痛感致します。
話は変わって、常日頃感じているのは、学歴編重に重きをおいたこの日本のシステムが狂っているのではないかなと思います。
(特に権威主義であるとか。学閥で有るとか)
教養と学歴の違いを再認識させる為の仕組みが出来ない物か?嘆いて止まないこの頃です。
教養というのは中々見えてこないですからね。どうやって教養を推し量るか。それが問題ですね。
わかりやすく説明することというのは本当に難しいことだと思います。遺伝病の発症する確率を「飛行機事故ぐらいの確率だ」と言った医師が「医師としての説明義務を果たしていない」として裁判で負けるという事例からも言えることですが、わかりやすくすることは「科学的に正確に説明しようとすればする程、情報は正確に伝わらなくなる。」の逆で、科学的にに正確に伝わらない危険性をはらんでいると思います。背反的な関係ですね
そのどちらを重視するかということは、すなわちエキブロメディカルがどういうブログでありたいかということになってくると思います。医師同士の議論は他でやっていただくというのも一つの解決策です。まだいろいろと考えてみますね。
ではでは
2度クリックしてしまい、しんぞう先生のブログに2回投稿した事に成りました。
すいません。
>教養というのは中々見えてこないですからね。>どうやって教養を推し量るか。それが問題です>ね。
いや、丸投げの質問に成った様ですね。
失礼しました。
問題定義をして解決の糸口を模索していたのですが、やはり結果的に愚問で有った事を認識しました。
>どのような事件に由来するのか、また機会があ>れば教えてください。
いや、事件に迄発展するのではなくてまず少々大袈裟では有るのですが、ともすれば、差別に成り、ひいては事件に迄発展するのではないか?との勝手な懸念だったのです。狼少年に成らない様に気を付ける事にします。あまり大した事では無いので気にされない様下さい。
ポーさん。 それでは、これからもよろしく。
時々拝見しておりましたが、今日はトラックバックさせて頂いちゃいました。
トップページのアルバムに心癒されます(^。^)