「お客さんの指定の道はありますか?」

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最近、タクシーにのって行き先を告げると、決まってこのように聞かれる。
タクシーの協会や会社での教育が徹底してきているのだろう。

東京は道が放射線状になっており、距離感がつかみにくい。そして、色々なルートがある。
客の思っている道と運転手の選んだ道が異なると、クレームがつくことも多いのだろう。

確かに、このように質問をしておけば、文句を言われる可能性は小さくなる。
客の選んだ道が工事で混んでいたとしても、自己責任だからだ。

「あなたは運転のプロなんだから、客に聞かずに自分で道を選びなさい。」
そんな返事をする客もいるかもしれないが、そういわれればしめたものだ。
その後には文句が言いにくい。

医療の世界にもこんな現象がすすんでいる。
医学教育で、クレームや訴訟を避けるためのテクニックとして、インフォームドコンセントが機械的に教えられるとそうなってしまう。インフォームドコンセントが文句を言われないための逃げの策にはなっていないのかとの視点が必要だ。

プロの選ぶ道と個人の好み。 

個人の好みを大切にすることも大事だが、プロなら良い道を知っているだろう。

「運転手さんのお奨めの道はどういうルートですか?」

私の返事も最近は決まってこうだ。



この記事へのコメント

omori-sh
2005年12月16日 07:18
お久しぶりです。Galant's CAFEさんからの宿題に対するしんぞうセンセイの回答を期待している一人です。
オススメルートが混んでいても気持ちよく降りられたらいいですね。
最短最速ルートこそがよいわけではないと思いたいなあ…。
2005年12月16日 18:16
タクシー券やハイヤーを利用できるような身分でない私にとっては、プロの運転手さんにはやはり最短最速を期待してしまいます。
医療従事者もしかりです、まず患者それぞれに対して最善最良の治療法を指針として示して頂きたいです、そんな医師に出会いたいものです。マザーテレサの強さ、それは彼女が神様との契約を忠実に守り、常に一番底辺の人々と接しながら自らが率先して実践者であったことにつきると思います。本当の意味での「癒し」とは決してビジネスとは結びつかないものだと思っています。加藤先生にも常に患者の目線で、苦しめる患者と共にあって頂きたいです、そんな先生のお姿から「癒し」のオーラがルルドの泉のように湧いて来るのではないでしょうか
 
しんぞう
2005年12月16日 21:52
omori-shさん。 走っていて気持ちの良い道をお望みなのでしょうね。

空さん。 最短最速が良いとは思うのですが、それが予想できないことがあるからこそ悩むのだと思います。わざと遠回りをする運転手はもってのほかですね。
医療も実は最善最良の治療が決めがたい状況も多いのだと思います。金儲けのために治療の選択肢を変えてしまうのはもってのほかですが。
Lisa
2005年12月17日 06:50
友人の義父が肺がんの治療を受けていますが、治療説明があまりに事務的表面的マニュアル的(成功率○%とか)に済まされてしまったため、本人はたいへん悩みながら治療を受けていたそうです。それを知った友人は、セカンドオピニオンでお世話になった先生を再度訊ね、ご意見を伺うと「私もその治療法が一番良い選択肢だと思う」と言われ、それをお父様に伝えると、たいへん安堵されて治療を受けられているということです。現場ではなかなかはっきりと「これが考えられる最良の治療である」ということを言えないものなのでしょうか?医師の性格にもよるのでしょうか?
2005年12月19日 20:19
タクシーなら、所要時間と料金の差は生じても
とりあえず同じ目的地まで運んでもらえます。
でも、病気治療となると・・到達点が天地ほどに
分かれてしまう怖さがあります。

最善最良を見極めるには、プロの知識と経験に加え
患者との関係性が重要な意味を持つと思います。
一般名詞の「お医者様」が奨めた道でなく、固有名詞の
○○先生が奨めた道だからこそ、患者は信頼できるのではないでしょうか。

そのような医師に巡りあうために、鋭いジャッジの目を
患者は患者で、しっかり磨かなくては!
自分の好みを上手にくすぐりつつ、プロの智恵を示してくれる「戦友」と出逢えたら、潔く敵に立ち向かい、自分らしい闘いが可能な気がします。理想でしょうか。
Lisa
2005年12月20日 15:30
なるほど、Body&SoulⅣさんがおっしゃられるように、医師と信頼関係があるということは患者さんにとってとても大きな支えになりますね。わずかな診察時間のなかで、よいコミュニケーションが図れるのかどうか。遠慮もありますし、時間的に難しい面もありますが、少なくとも患者が「お奨めの道はどういうルート(治療)ですか?」と、勇気を出して再度伺ってみることも大切なんですね。加藤先生のおっしゃるように。そこから信頼関係が築けるかもしれませんし、もし、それが期待はずれに終わったら、セカンドオピニオンという選択もあるかなと思いました。
眞三
2005年12月29日 10:33
Lisaさん。結局インフォームドコンセントが、事務的で型どおりのものになってしまうとこのような結果になるのだと思います。医師の性格もありますが、インフォームドコンセントに関しての教育がまだ行き届かないためでもあります。

B&Sさん。 そのような目で患者さんが医師を選ぶ時代が来ているのだと思います。患者さんの方もコミュニケーション術を学んで、良い患者・医師関係を築くことを心がけると良いのでしょうね。
Lisa
2005年12月31日 07:43
加藤先生コメントありがとうございます。私はこの友人の話を聞いたときに、担当医はセカンドオピニオンの医師もそれが一番よい選択肢だと認める治療法を提供しているのに、患者さんに理解されるように説明できないでいる点がもったいないなあと思いました。
眞三
2006年01月04日 21:57
医学教育においてもコミュニケーションということが言われるようになってきましたが、それは本当に最近の出来事です。これまで、コミュニケーションという言葉が医学教育になかったことが不思議ですが、なかっただけに教えられる人も十分にいないのが現状です。
macoto
2006年01月09日 09:31
コミュニケーション=情報共有のために行う会話

こういう観点でいると、ナースの患者対応などで時に気になることがありますね。
受容(患者情報の聞き取り・共感)はしても、誘導はして欲しくないなぁ なんて思うことがあります。

患者さんへの生活指導であるならわかるのですが、患者さんから今の痛みや苦しさを聞き取るべきときに 「ほうら痛くないでしょう?ね?ねっ?」ってコトバが先立っている場合に。。
感じていることを言い出しにくい雰囲気作りばかりに長けている、と 感じるような光景ですね。

もっと最悪なのは、やっと患者がコトバにした情報を、「あ,それね。 ○○だから大丈夫」(あのぉ…○○ってケースではないんですけど…)というように、紋切り型対応して真意を見落としているケースです。

症状が過大になったり過小にしたりと、症状評価がコミュニケーションによって偏向するのは、(全ての病気でとはいいませんが)望ましい事とは思えないのです。

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