前野良沢の墓

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 「患者の生き方」を多数購入し配ってくださった方がおり、お礼を申し上げるために、今年の1月私はその方のお宅を訪ねた。お宅から地下鉄新高円寺駅までの10分ほど歩く途中に、いくつかのお寺がならぶ。ある寺の玄関の前の案内板に、前野良沢という4文字があるのが、ふと目に入った。立ち止まって読んでみると、このお寺には、解体新書を翻訳した前野良沢のお墓がまつられているという。

私が「患者の生き方」を書き始めようとした時に、インターネットでの検索がきっかけで 6代前の先祖 江馬蘭斎が岐阜の大垣市で蘭学塾を開いていたことを知った。蘭斎は46歳を過ぎて蘭学を志し、杉田玄白と前野良沢の弟子となった。http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~o51340/index5matsudanotes4-1.html http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/essay/kadoreiko.html 事業家気質であった杉田玄白に対して、前野良沢は学究肌であったという。解体新書の翻訳の仕事のほとんどは前野良沢によるものであったそうだが、翻訳者として前野良沢は名前を連ねていない。まだ、翻訳が完全ではないからと出版に反対する前野良沢を、杉田玄白が押し切る形で出版し、その後玄白だけが脚光をあびることとなった。二人の間には、どのような葛藤があったことだろう。

前野良沢は学問に対する姿勢が大変厳しい人であり、弟子も多くはいなかった。杉田玄白が多くの弟子に囲まれて栄えていったのに対して、前野良沢はさびしい晩年を過ごしていたという。その前野良沢の少ない弟子のひとりが江馬蘭斎であった。 http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/yogaku/kaitai/head.htm

私は、その因縁のある前野良沢先生のお寺の前を偶然通り、小さい案内板にその名前を見つけたのだった。お寺の中に入り墓参りをしようかと一瞬考えたが、お花の準備もなく、後に用がひかえていたため、そのままそこを行き過ごしてしまった。     
続く http://katos.at.webry.info/200505/article_10.html

解体新書

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