ブログ4ヶ月 自由の広場

2月にブログを開始してより、もう4ヶ月となった。長いような、短いような不思議な感覚だ。ブログを通じて色々なネットワークも広がっているのが、私にとって何よりの収穫だ。今月には大阪でオフ会も予定をしている。 何とか週に5日程度のペースでは維持をしているが、過去の文章の引用に頼っているのも事実である。書きたいと思うことはあっても、時間に追われているのが現状でそのままに過ごしてしまう。 7月頃になれば、少しは状況も好転かと期待はするが、ずるずると期限遅れの原稿を引きずっているためにどうも状況はよくなさそうだ。 これからの一ヶ月間を自由な発言の場として、ここを提供する。その代わりに、私の早いレスポンスは期待はしないで下さい。 今月は、012345 のカウントを見た方に「患者の生き方」を送呈します。012345を見た方は、この記事のコメント欄に見たと連絡ください。

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医療ミス防止策に被害者の声、医師研修に講師役

厚生労働省の医療安全対策検討会議(座長=高久史麿・日本医学会会長)が、患者や患者家族からの声を医師研修に生かそうとする方針を打ち出した。私はこの報告書を高く評価し支持するが、このようなことを上からの命令で行うと問題も生じる場合があることを指摘したい。 つまり、患者さんの声など聞く気もない医師が強制的に参加させられているような状況が生じると、そこで講演をする患者や患者家族は傷つくことがあるということを認識する必要がある。ある大学での研修会で実際に泣き出した患者さんもいたそうだ。そのようなことが生じないように前もっての医師教育など準備も必要であろうし、講演後の患者さんへのケアも当然必要となる。 私も授業に癌で亡くなった患者家族に参加してもらったが、そのことでより悲しみが増大することにならないようにと大変気を使った。 ある患者さんが、「私たちは、鶴が自分の羽をむしりとって織物を織るようにお話をしているのです。」と言われていたことが今も心に残っている。 別の患者さんは、「その時聞いてくれる医療者の態度により、また新しい羽が生えてくるのです。」と発言されたことにも感激した。 患者さんやその家族からの声を医療者の教育に生かそうとすることは積極的に賛成するが、それでも慎重であらねばならない。

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腕の悪い愛想のよい外科医よりは メスの切れる愛想の悪い外科医の方が?

日本の料理店では、客に対してほとんど口もきかず愛想は悪いけれども、料理の腕は誰にも負けないと、包丁一本に誇りをかける職人肌の板前さんがいます。ただし、流行っている店であれば、必ずそこに気配りの上手な女将さんや仲居さんがいるものです。 板前や職人は愛想の悪いものとして、それを補うためのシステムが構築されているのです。このような形で、店全体あるいは病院全体としてバランスが保たれていればよいのです。 愛想はよくても調理の下手な料理人がいる店と、愛想は悪いが料理はうまい板前さんがいて女将さんが気配りをしている店では、どちらを選ぶでしょうか。こんな単純な比較であれば、ほとんどの人は後者を選びます。そうであるならば、手術の上手な外科医がいれば、愛想が悪くても、それを周囲が支え補うシステムが組まれた病院であればよいのです。 医療では、知識と技術と態度(コミュニケーション)の三要素のレベルの高さとバランスのよさが要求されます。ひとりの人間でバランスがとれていれば理想ではありますが、要求される技術や知識が高度になればなる程、態度をあわせて三者を兼ねそなえることは難しいのです。 医師の中でも外科系は特に技術が大切です。患者への応対はよくても、腕が悪く手術で失敗を繰り返している外科医など、ぞっとします。一方、内科系の医師は的確な診断と治療をするために、幅広いそして深い知識と観察眼が求められます。そして、かかかりつけ医では、何よりも態度のよさが重要です。 全ての領域の病気に対して、最新の深い…

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患者、研修医に不安感 盲腸手術 65%「受けたくない」 東大調査

このようなタイトルの記事が産経新聞に出されている。この65%を多いというのだろうか。 もし、研修医が一人で手術するのなら、100%の人が受けたくないと思っても不思議ではないし、私も拒否をするだろう。しかし、実際には研修医は指導医の下で管理されながら教育を受けていくわけであり、バックアップする体制をもっているのが研修医教育あるいは卒後教育である。 若い医師の教育はどうしても必要なものであり、それを許容しない社会になると、将来医療そのものが存在しえなくなる。私も若い医師の後ろについて内視鏡をみているときがあるが、自分でやるほうが余程楽であり早く終わる。のどから手が出てきそうな気持ちになることもある。どこで変わるかのタイミングも難しい。それでもやはり若い人の教育は必要だ。 問題は、どのようなバックアップ体制をとれているかであり、また、そのようなバックアップ体制を患者さんにも十分に知ってもらうことであろう。 研修医は今大学病院から市中病院へと移動しているが、このようなバックアップ体制や教育体制が市中病院の全てに整えられているわけではない。症例を沢山経験できればよいなどという簡単なものではない。もちろん、大学病院であっても、埼玉医大の抗がん剤投与の事件や最近の東京医大の心臓手術などの事例をみると、バックアップ体制が整っていないところも多いのだが。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050604-00000026-san-soci

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新薬を使うには半年待ってからが安全

 20年以上医療にたずさわっていると、大型新薬と期待され市場に出た薬が、発売後比較的間もなく重篤な副作用が頻発し、結局は市場から姿を消すという例を何度も見ました。これらの薬も、市場に出る前に新薬の試験として治験を終了し、効果と安全性が確かめられ、やっと厚生労働省から認可がおりたものです。  マロチレートは、日本の製薬会社により開発され、肝臓でのタンパク質の合成を促進する新しいタイプの肝硬変治療薬として期待されて登場しました。肝硬変では、肝臓の細胞が減り、細胞の機能も低下するために、肝臓でのタンパクの合成力が低下します。その結果として、腹水やむくみなどの症状がでます。新薬の試験(治験)の結果では、血液中のタンパク質アルブミンが増えるなど期待通りのよい成績が得られ、重い副作用もありませんでした。今までの肝臓病薬にはない薬として国際的にも注目されました。 ところが、認可後市販されて多数の肝硬変の患者さんが服用し始めると、重篤な肝障害が続出し死亡例が何例も出ました。慎重に使用するようにとの注意も喚起する情報も流されましたが、最終的に販売中止となりました。 治験では、患者さんを登録する際に、肝硬変でも軽症の比較的危険や問題の少ない症例が選ばれたのですが、市販後には使用対象が一気に広がり、肝硬変でも腹水や黄疸をともなう重症例がふくまれていたのです。重症の肝硬変には使わないようにとの注意も出ましたが、本来タンパクの合成を増やしたいのは進行した肝硬変患者さんであり、矛盾していたわけです。結局、治験の…

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健康食品、減肥茶による肝障害の多発

最近また同じような報道がなされていますが、以下の記事はもう3年前の出来事です。人間て学習をしないものだなとつくづく感じます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー インターネットやマスコミなどを通じて一般の人にも薬物の副作用情報などが知れわたり医薬品の有害事象に過剰に敏感な人が多くなっています。その反面、健康食品やサプリメントでは副作用がないと信じられ、安易に使用されています。 私たちは平成14年春に減肥茶と呼ばれる健康食品による重篤な肝障害を2週間の短期間に2例続けて経験し、それをきっかけに日本全国が大騒ぎになりました。 第1例は1ヶ月間中国製ダイエット健康食品(茶素減肥)を内服した女性でした。服用後、食欲不振、全身の倦怠感、全身の浮腫などが現れ、2ヶ月後には黄疸を自覚し始めました。近所の医院を受診したところ、肝機能障害のため入院となりました。通常の治療では改善しないため、3月30日に慶應病院に転院しました。重篤な急性の肝障害であり、集中治療室にて劇症肝炎として内科的治療をしましたが、回復傾向がみられませんでした。そのため、最終的に外科に依頼し、生体肝移植により救命できたのです。 第2例は、やはり1ヶ月間中国製ダイエット健康食品(御芝堂減肥胶嚢)を内服していました。下痢と体重減少が出現し、倦怠感・嘔気が加わったため内服を中止しました。服薬中止後も自覚症状が軽くならないため、4月初めに近くの医院を受診しました。黄疸…

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大好きな皆様へ 死にゆく人からの最期の挨拶

長い間大変お世話になりました。 皆様と知り合うことができて、 本当にうれしかったです。 人生の半ばで、 まだまだ頑張らなければならない時に、 このようなことになってしまい、 心苦しく思っております。 ご心配をおかけして大変申し訳ありませんでした。 皆様のご親切と励まし、 ご好意に心から感謝いたします。 私は、病をもってからの方が、 以前より自分らしさが表現でき、 自然な姿の私でいられました。 大勢の方々に囲まれて、 家族に愛されていることを感じ、 幸せな日々でした。 健康で活動している頃は、 他人と自分を比較し、高い目標を持って それに向かうように努め、忙しく余裕もなく、 自分のおかれている状況に満足することなく、 日々を過ごしていました。 自分に咲いている花に気がつきませんでした。 病になってから、 やっと私にとって何が大切かわかりました。 ありのままの私でいればいいということ。 友人と語り合うこと、交わり合うこと、 お互いを思いやりあうことが、 私の心をほっこり暖め、 生きることが楽しいと思えること。 時には耐えることも必要であるということ。 心配の先取りはしないで、 神様のご計画に従っていればよかったということ。 そのために、 週にたった一度の平安な神様との時間を必ず持てばよかった。 力を入れる必要はなにもなかったのです。 私はこの短い人生の中で、神様を忘れて、 自分の道を行こうとしている時がありました。…

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柳澤先生の葬儀でのご挨拶

本日は、お忙しい中を、妻恵美のためにお集まりいただき、本当にありがとうございました。 恵美は11月14日午後5時5分、神様の御許へと旅立って行きました。 最期はおそらく苦痛はなく、静かに、安らかに家族全員で見送ることができました。 簡単に経過をご説明いたします。 妻の乳がんが見つかったのは、昨年の4月のことでした。 4月25日に手術を受けました。 手術の結果リンパ腺への転移が見つかり、6月から約1ヶ月、放射線療法を受けました。 その放射線治療中に肝臓への転移が見つかりました。 7月から化学療法を約6ヶ月受けました。 この抗がん剤による治療は、恵美にとって非常に苦痛を伴う治療でした。 しかし、肝臓に転移したがんは完全には消えませんでした。 約1年間、わずかな希望を持って、あらゆる治療を続けてきましたが、今年の4月から、 方針を変えました。 完治しないのであれば、残された人生をいかに生きるか。 非常に難しい決断でしたが、命の量より質、Quality of Lifeの充実を選択したのです。 それからの半年間は本当に充実した人生でした。 やりたい事をやり、行きたいところへ行き、会いたい人に会いました。 家族と心の底まで分かり合える時間を、十分に持つことができました。 子供たちに何を遺すか。 10年後までのバースデーカードを書きました。 絵本を3冊書きました。 子供たちに教えなければならない事や、子供のための死の準備教育をテーマにしたものです。 …

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亡父の20年祭で

父親が他界してよりもう20年になる。昨日、四国に日帰りで訪ね、20年祭を済ませてきた。教授就任を報告し、心から尊敬をすることのできる父親を持つことができた喜びを、私は父に伝えた。 """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" 「患者の生き方」 より 病のもつ意味を考える    次の文章は、1997年の頃に私が末期がんの患者さんの家族などに手渡していたものです。全ての人に渡していたわけではありませんが、この人には伝えたいと思った時には、コピーを渡していました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 病とその意味 医師になって17年が過ぎ、その間に医師として、病との接し方や病に対する意識に何回か大きな変遷がありました。 卒業後間もない頃は、生命に重大な影響をおよぼす疾病さえ見逃さなければよいという意識で、患者さんを診ていました。その頃の私は、検査で調べても異常のみつからない時には、その患者さんは医療の対象でないかのように考えていました。病気の診断に必要な検査を組み、その結果を解釈することが、医師の仕事であり、治療は疾患が診断さえできれば、自動的に決まりマニュアルに従っていればよい。それで治らない病気はしかたがないと考えていました。 ある雑誌に、大学病院で亡くなった患者さんの家族に対して、「私はちゃんとこのマニュアル…

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教授就任祝賀会でのご挨拶

本日、新宿区の明治記念館で私の教授就任パーティを開いていただいた。230人余りの方に来ていただき祝っていただいたことは、大変ありがたいことであった。ここに最後の私の挨拶の原稿をのせたい。 本日はお忙しい中をこのように沢山の方においでいただき大変ありがたく存じます。私自身、この会はお祝いのために来ていただいたというよりも、むしろこれからの私の仕事に対する激励のためであると感じ、そのことに感謝いたします。  本年4月より慶應義塾大学看護医療学部の慢性病態学と終末期病態学を担当する教授に就任致しました。一人ひとりの名前を挙げることのできないほど、多くの人々に導かれ支えられての就任であります。そして、私自身、かねてより待ち望んでいたポストでした。それは、これからの日本の医療を、全体として考えるとき、私は看護師の力に期待するところが大きいからです。  広井良典氏が言うように、わが国では、家族や村などを単位とするコミュニティが崩壊し、個人の自立がもとめられる時代を迎えています。そのような社会では、今までのコミュニティが提供してきたケアは望むことはできず、社会のシステムとして提供するケアが必要となります。すなわち、今まで家族、町内会・村などが担っていたものを、職業人としてのプロフェッショナルが担うことになるのです。そのためにもケア学の確立と普及が望まれます。しかし、医師はやはりキュアだけで十分に多忙でもあり、キュアに対する関心が高く、ケアにはあまり興味を持つことはできません。やはり、ケアの担い…

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自然農法の農園では

時々コメントをしてくれている邦之さんの農場での話です。 meguさんの期待する「多様性の強さ」の話題とも関係します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  以前より農業に対する興味はありましたが、なかなか接する機会はありませんでした。 私が神奈川県の自然農法の農園に寄せていただいたのは、10年来診ている拒食症の患者さんMさんに、何とか食べることに興味を持ってもらえないかと、思い悩んだことがきっかけでした。  Mさんは、食べることができず、一年間近く自宅でおこなう中心静脈栄養という高カロリーの点滴治療に頼っていました。一度でも野菜などが育ち、収穫されるところを見てもらえば、食べ物や食べることに対して何かを感じてくれるのではないかと考えました。ちょうどこの頃、養護学校の校長をされていた長友邦明先生が、退職後に農場を営んでおり、一度遊びにこないかと誘いを受けていました。そこで、休日に一度農場に寄せていただくことになりました。  その農場は、農薬や化学肥料を使わない有機農業により営まれていました。水をまいたり、畑を耕したり、鎌を使った稲刈りの機会まで得ました。茄子、トマト、オクラ、大根、小松菜、白菜、牛蒡、芋などの作物も収穫しました。長い牛蒡(ゴボウ)を土の中からぐっと一気に引き抜くのは快感でした。これがゴボウ抜きの語源だそうです。  私にとって初めての体験ばかりでしたが、それらを通じて、農業では土(大地)、水、日(太陽)の恵みを生活の中に感じられるこ…

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小さな喜びを探して

患者Kさんは胃がんの末期状態で、消化器内科の病棟へ転院してきました。肺に転移があり、もう数週間の命という状態です。有効な治療もなく、徐々に胸水が増加し呼吸も苦しそうです。  そんな時期、Kさんから「先生に折り入って、話したいことがある。」といわれました。一体何を話したいのだろうと思いましたが、私はKさんを車椅子にのせ病棟のカンファレンス室へ向かいました。  Kさんは、一言しゃべるのさえ苦しそうです。息も絶え絶えに、ゆっくりと話しはじめました。 「私は、この病棟へ、来てから、本当に、よくしてもらった。そのお礼を、したいけれども、私には、もう何も、出来ることがない。せめて、私が、死んだ時、自分の体を、病院に、献体したい。」   末期がんの状態となり死を目前にして、患者さんから献体の申し出をうけたのは、私にとって初めての経験でした。謹んで申し出を受け、さっそく解剖学教室に連絡をとりました。 「この病棟へきて、まだ2週間もたっていないし、有効な治療もたいしてできていないのに。どうして、こんな苦しい時期に献体を申し出て下さるのですか。」 「この、病棟に、来てから、本当に、皆さんに、優しく、してもらった。特に、うれしかったのは、担当の、看護師、Aさんが、私が、お風呂に、入れないからと、ベッドで、私の汚い、足の指先を、お湯に入れて、一本一本、丁寧に、一生懸命、洗ってくれた、ことです。私は、指先を、洗って、もらいながら、本当に、幸せな、気持ちになりました。何か、皆さんに、お礼…

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上から読んでも しんぶんし もでん読らか下

 新聞を定期購読していない若い医師が増えています。 「ええっ、新聞もとっていないで、どうやって社会の情報を入れているの。」 「いや、テレビのニュースで大体のことは解りますから。」 まじめで常識派のF医師でさえこれですから、後は推して知るべしです。  新聞で入る情報とテレビで入る情報では、その質が全く異なります。もちろん、新聞では毎日毎日、情報に追われてしまうので、新聞の代わりに高級な週刊誌や月刊誌から社会の情報を入れているというのなら、それはそれで一つのやり方かとは思いますが、いずれにしても、記録として残る文字情報で医者として社会の窓は、開かれていなければなりません。  病院にばかりいて忙しくしていると付き合いの範囲は狭くなり、医師の視野はますます狭くなります。病棟が忙しいからと、昔の友人の誘いを断っていませんか。新しい友人を作っていますか。医療では、多様な価値観をもつ患者を相手に理解することが必要であり、そのためにも医師には幅広いつき合いが必要となります。 病に悩む患者の話をしんぼう強く聞くことができるためにも、気分転換をはかり自分の気持ちを整えておくことが必要です。激動する時代の新しい医療の方向を知るためにも、色々な見方や意見を持つ社会人との付き合いが必要なのです。  少々無理をしても時間をつくり、病院から離れたところで幅広い人との付き合いを大事にしたいものです。 学問のすすめ 人望論 17篇  第三 道同じからざれば相与に謀らずと。世人またこの教え…

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サルでも写真が撮れる近未来の医師に託された仕事

 前稿は、サルでもとれるカメラの使用を、私は避けたいという懐古趣味なものでしたが、本稿では、逆に、サルでもカメラで写真を撮れる時代に、医師に託される仕事はどうなるかという近未来の医師像について考察します。  医療に要求されるものとして、知識、技術、態度(コミュニケーション)の三要素があげられますが、現在の医療や医学教育は、知識と技術に偏りすぎていると指摘されています。現代社会はコンピューターの進歩により大きく変わろうとしていますが、コンピューターが得意とするのは、何よりも知識の集積と解析、そして精密な動きを再現する技術です。  コンピューターは膨大な知識を処理し、機械技術が進歩したことにより、素人がやっても名人と同じような結果を出すことができます。  コンピューター診断が進むと、熟練した医師がいなくても、診察室の机上のコンピューターにより診察が進みます。症状や採血の検査結果からは確率的に鑑別診断があげられ、更に診断を確定するための検査の組み合わせ、結果の解釈や診断の過程が画面に映し出されます。また、コンピューターによる画像解析により、腫瘍の有無や腫瘍がどのようなものであるかが確率的に報告され、放射線専門医や受け持ち医によるフィルムの読影は必要なくなります。  一昔前には、尿検査も、医師が試験管に入れた試薬で尿の色が変わるのを見て判断していましたが、今やそのようなことをする医師はいません。せいぜい当直の時、テストペーパーでみる程度です。血液の検査結果も、レポートの数字や文字を見る…

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サルでもとれるカンタンカメラ

カメラのメーカーA社は、誰でも撮れるという企画のカメラを開発し、完成させました。被写体にむかってシャッターを押すだけで、どこでも、誰でも、何でもきれいに撮れます。A社の宣伝部は何とか効果的な広告をと考えました。 サルに写真を撮らせて、「サルでもとれるカンタンカメラ。新発売。」と売り出しました。雑誌などでも、究極の普及型カメラとして絶賛されました。 Tさんは、テレビの宣伝をみて欲しくなり、早速カメラ屋にいきました。 「A社のAEF-1置いていますか」。 「ああ、あのサルでもバカでもとれるっていうカンタンカメラだね。奥にあるから、ちょっと待って」。 店員の大きな声の返事と周りの人からの注目に、玉野さんは恥ずかしくなってしまい、カメラを待たずに店から飛び出してしまいました。  実話か作り話かは定かではありませんが、なぜか記憶に残っている小話です。 この話には、文明の目指す方向と、それに抵抗しようとする人間の姿が表されています。「サルでもとれる」では、誇り高き人間の尊厳が傷つけられる思いがしたのでしょう。一方で、簡便さと安易さを求めながら、一方で、自分は他人(他の動物)とは違うことを主張したい人間がいます。  さて、医療の世界ではどうでしょうか。若い医師の間では、医療面接はおろそかに、身体所見もそこそこに、もっぱら検査器械に頼り、広範囲をカバーする検査を組み、ひっかかれば対処するという姿勢がみられます。医師による主体的な判断や思考は空洞化しています。 入院患者の現病…

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卒業間近の医学部生の未熟?

ヤフーに「卒業間近の医学部生の未熟」と題して旭川医大での調査の報告の産経新聞の記事が紹介されていた。夜間に救急患者が搬送され、学生自身が血液型判定と緊急輸血をする状況を設定し、検査手順を書いたマニュアルを配布して説明した後に学生に患者の血液を渡して調べさせたというものだ。正答率が40-60%という。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050523-00000016-san-soci いかにも、医学教育がこんなに悪いんだと訴えたいようだが、血液型の判定だけの問題なら、むしろ解決は簡単である。 単に血液型判定の時間を増やせばよいだけだ。あるいは、このマニュアルが悪すぎるかのどちらかだ。 この大学の技師が自分の大学の教育が悪いと発表する目的は何なのであろう。悪いということがわかれば、それを改めればよいのであって、2年にわたって改善しないことを報告しているのだ。 しかし、実は医学教育の問題はもっと複雑で解決困難だ。 教えなければならない医学の知識と技術の量と質は指数関数的に年々増大している。そのために医学生はアップアップの状態なのだ。 むしろ、覚える知識と習得すべき技術を整理しできるだけ少なくするという発想が求められる。もし私がカリキュラムをくむのなら、こんな報道のために血液型の判定の時間を多くしようとは思わないだろう。何故なら、実際に、医師が現場で血液型の判定をしなければならない頻度はそれほど高いものではない。大病院では血液センターで判定が…

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今頃お花見?

昨日は、桜のお花見をしてきました。しかも、境内には残雪が。 札幌円山公園の隣、北海道神宮での風景です。 札幌ではこれからが春となるのです。 桜の後に梅が咲くとか聞きましたが、そんなことってあるのかと 不思議に思いました。 北海道の病院栄養士の研究会に招かれての講演でした。 90分間は長いですねとか言いながら、 内容を欲張りすぎて絞りきれず時間を超過する始末。 長くてすみませんでした。北海道の栄養士の皆さん。 さすがに私も懲りているため、若い女性ばっかりの前ではタヌキの金○○の話は 禁句でした。まあ、少しの余韻は残したのですが。 昨年夏から学会や講演会のたびに、その土地の代表的な神社を訪れています。 名古屋 熱田神宮、京都 下鴨神社、福岡 はこ崎宮、 三重県 伊勢神宮、北海道 北海道神宮 と 中々よいペースでお参りがすすんでいます。 ここで問題。この中で一の宮でないのはどれでしょう? それぞれの神社には鎮守の森があり、その空気に触れるだけでも すがすがしい気持ちになります。

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薬としての医師

 プラセボ効果という厄介なものが医療にはあります。本来は効くはずのない薬の投与により、症状が軽くなったり、病気が治ったりすることです。最近、脳代謝改善剤として大量に販売されていた薬が、再評価では有意差がなく認可が取り消されましたが、これなども再評価時にプラセボによる効果が大きすぎたためと解説されています。それ程プラセボには効果が高いことがあるのです。  プラセボの語源は「喜ばせる」 という意味であり、本来医療にとって望ましいものなのですが、医療関係者の間では、偽薬やプラセボ薬で良くなったりする患者は、まるで演技をして症状を作っているかのように扱われ、あの人はプシコ(精神科患者)だからなどといわれ、精神科的な問題と片付けられてしまいます。科学主義的な医療では、プラセボ効果を理解しようとしませんし、むしろ忌み嫌っている程です。 「こんな薬、効くのか効かないのか良くわからないけど、まあ、使ってみようか。」などと言いながら患者さんに投薬する医師は、このプラセボ効果をわざわざマイナスにしてしまっているようなものなのです。  私の尊敬するF医師は、一袋1gで一日量3gの薬をわざわざ2.5gの分三でなどと処方することがあります。医師になってまもない頃の私は、一日量3gにすれば、市販の1gの袋を出すだけで薬剤部も楽なのに、なぜこんな中途半端な量で出すのだろうと不思議に思いました。3gと2.5gの間に、効果の差など科学的にあるはずもないと考えていたのです。  ある日、F先生に思い切ってその理…

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遺伝子のスイッチ・オン

 村上和雄先生の講演を聴く機会があった。それは、私の尊敬する心療内科の医師 永田勝太郎先生が主催する学会日本実存療法学会の特別講演としてであった。  学会での科学者の講演としては珍しいスライドを使わない口演にまず驚かされたが、超一流の科学者としての抑制をきかせながらも笑いをよぶことのできる、その語りに感心させられた。本当に頭のよい人の講演とは、このようなものに違いない。どこで笑いがとれるかということを心得ている。科学はエンターテイメントだとも言っていた。  糖尿病の患者に吉本興業のB&Bをよび笑わせると、血糖は低くなり、遺伝子がスイッチオンされるのだという。年配の人が相手だからと、B&Bをよぶころがツボをおさえている。私の場合、若い女性ばっかりの栄養士の講演会で、「狸の金○まはーーーーー」と謎解きをして、http://katos.at.webry.info/200502/article_7.html、200人余りの会場がシーンとなってしまい大失敗をする間違いをおかしてしまったことがある。余りこんなことをいっていると、そのうちセクハラと訴えられるかも知れない。  ともあれ、村上先生は、定年退官後も心と遺伝子のスイッチオンの問題に取り組むそうだ。その研究を進めるためにと私も会場で一冊の本を買わせてもらった。 遺伝子オンで生きる―こころの持ち方であなたのDNAは変わる!世界は1つの生命からはじまった―サムシング・グレートからの贈り物

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すでに決まっった病院での医師選びには

 ある地域で事実上他に病院の選択肢がなく病院をすでに決めている時、ある病院に通っていて自分の受け持ち医に不満がある時、他の病気のためにその病院で別の医師にかかりたい時、このような時には外来担当の看護師に相談することをお勧めします。  外科医の手術の腕前は麻酔科医が知り、外来での医師の診療の腕前は外来看護師がよく知ります。ベテランの看護師であれば、外来での医師の診察、特に問題となる患者への対処の仕方、過去における医療過誤の有無、その対処の仕方、患者からの評判、医師間の評判などを知り、医師の臨床能力を総合的に一番よく把握しています。特に師長(看護師長)や主任クラスの看護師には、そのような情報が集まります。そして、多くの医師の診療をそばで見てきたため、あなたにあう医師を紹介できるはずです。  ただし、看護師に相談するには、午前中の外来業務が忙しい時間帯ではなく、診察時間が終わった頃、外来でそっと相談してみるのがよいでしょう。 自分の最も困っている症状や病気について簡単に話し、今までどの様に診てもらってきたのか、どの様な点に不満があったのかを伝えるです。その上で、この病院でどの医師に診てもらうことを一番すすめるかを尋ねるのです。 患者の生き方より 患者の生き方―よりよい医療と人生の「患者学」のすすめ

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禁酒反対!禁煙反対!

 禁酒反対、禁煙反対などというと、医者ともあろうものがと思われるかもしれませんが、私は、禁酒も、禁煙も、人から禁じられる強制されることであるために好きではありません。それは人間の自由と人類の文化を否定するものであろうと思うからです。 1985年ニューヨークへ留学していた頃、私はアメリカにおける禁煙運動の広がりかたに違和感を覚えました。アメリカには、アルカポネの時代の有名な悪法、禁酒法がありましたが、それに通じるものを感じたためです。 私は留学する前には禁煙していたのですが、天邪鬼のためにそのような雰囲気に反抗し、むしろアメリカで喫煙を再開することにしました。(コウイウ、もっともらしい言いわけや理由をつくっては、飲酒や喫煙を続けている人をよく見かけます。要注意!)。  その頃、司馬遼太郎の“アメリカ素描”を興味深く読みました。  米国には文明はあっても文化がないという趣旨で書かれた本です。地球上のほとんどの国の人々は、文化で自家中毒するほどに重い気圧の中で生きている。その状況のなかで文化に縛られない国があることに救いを感じると司馬は述べています。そこでは、「たれもが参加できる普遍的なもの、合理的なもの・機能的なもの」を文明として、「地域性があり、特定の集団や民族が過去の歴史をひきずりつつ負の面をも含んだ不合理なもの」を文化として、定義しています。 アメリカは、欧州の古い慣習や文化の束縛からまぬがれたい人が、自由と独立を求めて移民し出来上がった国です。したがって、合理性や効率…

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自分にあわない今担当の医師を代えるには、どうすれば良いか

今の担当医に不満がある時に、病院の中で他の医師に交代することを、患者さんは大変難しく感じているかもしれません。 1995年、世界医師会はリスボン宣言で、11の原則をあげています。その2番目に「選択の権利」として、次のように書いています。 「私的か公的かを問わず、患者は自由に医師および病院や保健サービス機関を選ぶ権利を持っている。」 日本では医療機関の選択はともかくとして、医師の選択はこの通りの自由にはいかないのが現状です。しかし、とりあえず、今の担当医に不満があり他の医師に代えたいのであれば、私は受診する曜日を変えることをおすすめします。それが最も抵抗の少ない自然な方法です。 病院の医師の勤務体制は曜日によって決まっています。外来担当表をよく見て、今の担当医に「新しく習い事を始めて(あるいは、○○会の集まりの曜日が変わり)、火曜日が忙しくなったため火曜日の外来には来られなくなった。木曜日が比較的時間が取り易いので木曜日の外来に代えてほしい。」と伝えるとよいでしょう。 特に、相手が年配の医師であれば、敬意を表して、先ずはこのような方法で代えることをお奨めします。年配の人は診療スタイルを中々変えることはできません。 しかし、将来のある若い医師が相手なら、むしろ不満を直接その医師に言ってくださることを、私は期待します。 「私は、外来で(例:夜中にみぞおちがしめつけられるように痛くなることがあり、心臓が悪いのではと心配だといっても、私の症状をろくに聞いてくれず、心電図さえもとってもら…

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続 前野良沢の墓

後ろ髪を引かれながら、前野良沢先生の墓を通り過ごして、新高円寺の駅より都心へ向かった。 翌日、病院の研究室で普段余り見ることもない藤沢薬品工業が出版する月刊誌「いずみ」の1月号をパラパラとめくっていた。情報洪水の中で生きているために、このような雑誌に目を通すことなどほとんどないままにゴミ箱行きになる。表紙をあけるのも一年に一度か二度であろう。 ところが、そこで目に飛び込んできたのが、元東大教授の森岡恭彦先生の書かれた「解体新書をめぐる人々」と題する随筆であった。しかも、右のページには前野良沢先生の墓が、左のページには杉田玄白先生の墓の写真が載せられている。 森岡先生の随筆の中にも、玄白の行動力と良沢の語学力によって解体新書発刊の偉業は達成されたが、良沢と玄白は解体新書の発刊後、付き合いは少なかったことが触れられている。 それはともかくとして、二日続けて前野良沢先生の墓という文字が偶然にも飛び込んできたことは、私にとって意味のあることに違いない。そう考えた私は、翌日の日曜日、家内と二人で月高庵慶安寺へお花を持ってお墓参りをした。 「患者の生き方を」 書き始めることによって初めて知ったご先祖様であった。その恩師の前野良沢先生の物語もそれから知り、「患者の生き方」を多数買って下さって人の家の近くにたまたま良沢先生のお墓があり、偶然にもお寺の前の案内に吸い寄せられるようにいき、先生の名前の4文字をみつけ、翌日には警告するかのように雑誌のなかにその4文字が再登場した。 …

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遺伝子の乗り物 次世代からの贈りもの

新しいベルトを身に着けて 今日一日を過ごした。 このベルト、 長女に初任給があり、 贈ってもらったものだ。 もう、そんな年になったのか。 子供を見て初めて自分の年を悟る。 ここまでくればこの乗り物の任務も 7合目をすぎたと。 過日、「プレゼントに何が良い?」と尋ねられた。 ネクタイでは趣味が出るし、 あまり人からもらうべきものではない。 何か目立たないところで、しかも身につけられて、 記念に一生使えるものが良い.. とあれこれ考えた末に、「黒いベルト」と答えた。 プレゼントをもらい、いざ身に着けるとなると、 「どの長さで切ろうか。」と考え込む。 これから私の体重は。 肥満になっていくのなら、 一番余裕ある長さにしておくのが良い。 今、ピったりにすれば、 使えなくなる日が近いかもしれない。 15年先に使うために長めに残しておかねば。 いやいや、この前の検診でBMIが25.3。 肥満と判定された。 これ以上太っては、この乗り物自体が壊れてしまう。 結局、現在ぴったりの真ん中の穴にあうように 思い切って切断。 果たしてこれで何年間使えることやら。 せめて、次世代乗り物が2台とも 一人運行になるのを見とどけたいが。

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泥縄な生活の日々

昨日、ラジオ日経(旧ラジオ短波)の医学の焦点という番組の収録に赤坂のスタジオへいった。 「肝硬変の栄養療法」 というタイトルで、5月16日に放送される。 11分間という時間で原稿用紙8枚と聞き、早朝から準備するという泥縄生活。 午前の外来前にザット書いたものが少し多くて、 タクシーの中でPCを片手に8枚分に削りながら、到着した。 いざ本番。 スタジオで原稿を読み上げてみると9分で終わってしまった。 アチャー。編集で長いのは短くできても、短いのは長くはできない。 よくみれば何と原稿用紙の字数設定が間違っていた。 あわてて、スタジオの中で書き足して、再トライする。 何とか10分30秒となり、お許しを願った。 しんぞおのおんなにまさる泥縄状態。 http://absinth.exblog.jp/1913685 しんぞうとよばれるおとこも、この生活を何とかせねばと思うのだが、 こんな状態の続く毎日。 しんぞうの声は美声ではなけれども、 短波ラジオを持っている人は、どうぞお聞きください。 そんなラジオは、わたしも持ってはいないのだが。 ニノチカさん。地球の裏側でも短波ならとどくのでしょうか? http://medical.radionikkei.jp/igakushoten/schedule.html http://medical.radionikkei.jp/igakushoten/bangumi.html

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ブログ 3ヶ月 (今後1ヶ月間の自由な発言の場)

ブログを立ち上げて3ヶ月をむかえた。 この一ヶ月は大変に忙しい毎日であったため、記事の更新も思うようにはできていない。 書きたいことを抱えながら、もう少し時間ができたらと懐にあたためている。 7500を超えるアクセスをいただいたこと、そして何よりもブログをとおして知り合えた仲間がひろがったことは、私にとっての収穫た。 そのおかげもあり、まもなく医療リテラシーのためのHPがたちあがる。 皆さんの色々な意見を歓迎する。 ブログ2ヶ月の時と同じ様に、自由な意見を出せる場としてここを提供したい。

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明日は伊勢参りへ

今日は、三重県での肝臓病病態栄養研究会での講演に招かれて津市に来ている。ゴールデンウイークの最後の日だというのに、多くの参加者が集まり、肝臓病と栄養・運動・情報提供についてお話した。講演後には熱心な討議もいただいた。講演後に色々な意見をいただき、討論することも楽しみのひとつだ。 三重大学では、C型慢性肝炎の患者さんに鉄制限食を指導し、治療に成果をあげている。今度、鉄制限食のための本を出版予定とのことであった。瀉血療法の延長上にこの鉄制限食があるが、瀉血と同等の効果を得ているようだ。 最近、全国各地での講演に招かれたときに、時間が許す限り、その地区の一ノ宮に相当する神社に行くことに決めている。今年に、福岡では筥崎神宮へ、1月に京都の下賀茂神社へお参りした。今回は、当然ながらお伊勢参りだ。もう少し時間があれば、熊野神社にも足を伸ばしたいところだが、お伊勢さまがさきだ。明日、三重大学の垣内先生が一緒に行ってくださると言う。 大きな神社では古くからの鎮守の森が残されており、お参りするとすがすがしい気持ちになれる。特に三重県は、伊勢志摩の風光が明媚であり、食べるものの美味しい。この地方に住む人は何と幸せなことだろう。

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迷ったら入院。迷ったら受診を。

医師が一般の外来や救急で診療を行っているとき、一番大切な判断は、その患者さんを入院にするかいなかの判断だ。そして、入院にしないのなら、次に、何日後に診るかどうかの判断である。 これは、実は医師の技量により変わってくるというのが、私の持論だ。つまり、この程度であれば外来で診ることができるという判断は、臨床経験をつむにつれて徐々に広がる。そこで、私は研修医や若い医師には、「迷ったら入院」と教えている。それは安全を優先しなくてはならないためだ。 小児でも、40度以上の発熱なら入院。水分が取れていたら入院をしなくて良い。とは一概に言い切れるものではあるまい。患者さんの顔つきやぐったりしていないか、それまでの経過などの情報を多分経験的に積み重ねて、判断しているのだろう。私は、外来で診察室に入り顔を見たときに、この人は入院だと判断していることも多い。その後に、診察や検査をしてそれを確かめることになる。 患者さんにとっては電話で病院に救急に行くかどうかを相談できるのが一番だろうが、その電話での応答や判断も相当難しい。そうすると、患者さんの自己責任の部分を残すため、「明日の外来で大丈夫と思われますが、もっと悪くなったりどうしても心配なら受診してください」などと、逃げの一手を打っておくことになる。 もちろん、発熱の小児が、いつ受診すべきか、入院を考えるべきかなど、マニュアル化されフローチャートになっていると便利だし、有用であろう。しかし、このようなマニュアルに頼ると、どうしてもしまったという…

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相手にわかる言葉で

「このシーティをみればわかりますが、こうふくまくのリンパせつが、にょうかんをあっぱいして、すいじんしょうになっています。」   病棟主治医のA医師が、患者とその家族に説明しているところです。卒業後6年目のA医師は、CTの写真を前に、立て板に水のごとく得意げに早口でしゃべりたてました。おそらく95%以上の患者には、理解できない説明だったろうと思います。(そのような時、統計学的には、この説明を理解できる人を異常な人と呼ぶのだそうです。) どうして、このような言葉が出てくるのでしょう。この話を医学部の学生に伝える時、私は、「科学的に正確に説明しようとすればする程、情報は正確に伝わらなくなる。」と逆説的な言葉をそえて紹介しています。学生の中には「日頃、医師の間でこのような表現で会話しているから、患者に話すときにも自然にこのような表現になるのだろう。」と好意的に解釈する人もいます。しかし、その回答では私は納得できません。なぜなら、それでは医師の会話は日頃から医師だけを相手とし、患者とは会話しないことを前提にしているからです。 私は、意地悪く、むしろ患者に対してわざと解りにくく話しているのではないかと解釈しました。相手に解らない言葉で早口にぺらぺら話す。それによって煙に巻き、自分を偉くみせ、文句を言わせないぞと誇示しているかのように見えました。その背景には医師の権威主義があるのです。お役所言葉や裁判所の判決がわかりにくいのも権威主義を利用するためわざとわかりにくく表現しているからではないでし…

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患者のための医療情報リテラシー(仮名)の案

新しいHP立ち上げへの協力を呼びかけていながら、具体的なことを何も書いていなかったので、現在考えている構想の案をここに紹介する。 サイトの理念(案) このサイトは、情報化社会を迎えて、氾濫する医療情報の中でとまどう患者さんやその家族、あるいは健康に不安を感じている人にむけて、医療者がそれぞれの分野の専門に関する最新の情報をわかりやすく伝えようとするためのものです。 政府や学会の主導ではなく、医療者の有志の知識と知恵を集めて、「私」による病者のための情報の提供をインターネットをとおして行います。 そして、医療者が、患者さんの病気に立ち向かう際の同伴者として、防護し、支え、エンパワーメントすることを目指します。病気を効果的に治療するだけではなく、病気をかかえながらも生きる患者さんを支援する患者さんと医療者の協働作業の医療をめざし、日本の医療改革をすこしでも良い方向に向かわせることを目標とします。 具体的な計画(案) 1)日々進歩する現代医学において、それぞれの分野の最新の医療情報を、専門とする医療者が署名入りで提供します。 2)慢性病では、各医療施設での慢性病教室による医療情報の提供が有効であり、医療者からだけではなく患者さん同士の情報の交換を生かすことができます。慢性病教室の立ち上げの垣根を少しでも低くし支援することにより全国の病院に普及させるため、パワーポイントによる教室での教育資材の共有化を計画しています。 まず、肝臓病教室からそのよいモデルを構築したいと考えています…

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前野良沢の墓

 「患者の生き方」を多数購入し配ってくださった方がおり、お礼を申し上げるために、今年の1月私はその方のお宅を訪ねた。お宅から地下鉄新高円寺駅までの10分ほど歩く途中に、いくつかのお寺がならぶ。ある寺の玄関の前の案内板に、前野良沢という4文字があるのが、ふと目に入った。立ち止まって読んでみると、このお寺には、解体新書を翻訳した前野良沢のお墓がまつられているという。 私が「患者の生き方」を書き始めようとした時に、インターネットでの検索がきっかけで 6代前の先祖 江馬蘭斎が岐阜の大垣市で蘭学塾を開いていたことを知った。蘭斎は46歳を過ぎて蘭学を志し、杉田玄白と前野良沢の弟子となった。http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~o51340/index5matsudanotes4-1.html http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/essay/kadoreiko.html 事業家気質であった杉田玄白に対して、前野良沢は学究肌であったという。解体新書の翻訳の仕事のほとんどは前野良沢によるものであったそうだが、翻訳者として前野良沢は名前を連ねていない。まだ、翻訳が完全ではないからと出版に反対する前野良沢を、杉田玄白が押し切る形で出版し、その後玄白だけが脚光をあびることとなった。二人の間には、どのような葛藤があったことだろう。 前野良沢は学問に対する姿勢が大変厳しい人であり、弟子も多くはいなかった。杉田玄白が多くの弟子に囲まれて…

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医療情報リテラシーのためのHP立ち上げ

患者さんや一般の人の医療情報の取得を専門家としての医療者が手助けするためのホームページの立ち上げ準備が進んできた。医療者間での教材の共有などもその構想に入れている。 一昨年の秋の患者教育の研究会ですでに、そのような夢を話していたが、中々開設までのきっかけが作れなかった。しかし、このブログをきっかけにクロッシングフィンガーのメンバーの方と知り合いになり、意気投合して一気に進むこととなった。 とりあえず肝臓病を対象に内容を充実させて立ち上げたいと考えているが、将来的には慢性病全般、がんをかかえた患者さんにも役立つものとしたい。 医師、看護師、栄養士、薬剤師を含めて医療者および、肝臓病の患者さんなどで、ご協力いただける方は以下のアドレスまでご連絡ください。 medlite@msn.com

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臓器移植法の与党有志議員による改正案について

 臓器移植法施行から8年がたち、自民党により脳死臓器移植の改正が進められようとしている。脳死を一律に死とすること、家族の同意だけで移植をできるようにすることなど、臓器移植法の成立した議論や経過をまったく無視する内容を目指すものである。脳死は死にそうな人であり、ヒトの死でないことは明らかなのだが、それを一律に死としてしまうことにより、心が痛まず臓器が取り出せるようにするのである。そして、本人の同意がなくても家族だけでの同意ですませようとする。  死にそうなヒトと、これから役立ちそうなヒトを他人が天秤にかけて、こちらのほうに臓器を移そうという行為であることを直視しなくてはならない。もし、それでも臓器移植を行うというのであれば、それは仕方がないが、汚いところは見せないようにして事をすすめようとするのが、今回の改正の趣旨だ。    提供者となる家族は、おそらく突然に子供の事故や病気にあい、気が動転したままに病院にかけつけ、そこで臓器移植のための提供をせまられるという構図ができあがる。  狂騒原理や市場経済導入にまい進する自民党議員はまだしも、公明党議員が宗教を母体とする立場から、このような思想に同調しないことを念願する。弱者の切捨てをおこない、効率・能率を優先しようとするこの改正案に、私は強く反対をする。 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20050428i515.htm http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2…

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がん患者へのサポート

本日の終末期病態学の授業に、ジャパン・ウエルネスの竹中文良先生にきていただくことができた。 竹中先生は、「医者が癌にかかったとき」を1991年に書かれた。自分が癌になるという転機から視点が医師から患者に移動をしたのだろう。その後、日赤の看護大学の教授をされていたが、退職後NPO法人のジャパン・ウエルネスをたちあげられた。ご自分の退職金など私財をなげうって、この活動を開始された、と親戚の片山先生よりお聞きしている。 竹中先生は、先々週は日本消化器病学会で、来週は外科学会でがん患者のサポートについて講演をされるという。確実に時代が変わりつつあることを竹中先生も実感されている。私にとって、先輩に当たる同士だ。 このようながん患者のサポートの実地医療とそのシステム化を行っている竹中先生にきていただけたのは、本当にありがたいことだ。それは、学生に夢を感じているからに違いない。教育は植福にもつながる。自分の理想とする医療を次世代に伝え、その実現を期待し願うことで幸福になるからだ。 教育はその意味で幸せな機会である。まだ現実に染まっていない学生に、夢を托すことができるからだ。自分のまいた種がどのように育つのかをみとどけ、その収穫をもってこの世を去ることができれば、それ以上の幸せはあるまい。 医者が癌にかかったとき ウエルネス・コミュニティー―がんに克つ人、負ける人

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テーマについて

ブログの横に出ているテーマですが、「患者学」が55、「医療」が54と突出してきました。初期の頃は、「患者学」というキーワードをインターネット上で流したいという考えから意識的にこれにしていたのですが、私のブログそのものを見るとき、これではほとんど役に立たないことがわかります。 つまり、このブログの中で、このようなテーマで書かれたものはどの記事だろうかと思ったときに、検索できるようなもののほうが良いような気がしてきました。いくつもある記事の整理用につかうのか、対外的な発信用とするのかを、ちょっと迷っています。ご意見のある方は助言をお願いします。

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第3回ペイシェント・アクティブ・フォーラム @ ジャパン・ウエルネス

6月11日に 東京赤坂で上記タイトルのフォラムがあります。 先日の授業の内容の一部を一般の人向けに話すことになります。一般の方の参加も可能ですので、ご興味のある方は是非申し込んでください。 ジャパンウエルネスのHPに、フォーラムの情報はまだ出ていませんが、まもなくその内容や申し込み方法が出ることと思います。http://www.japanwellness.jp/index.html 以下は、私の講演の抄録 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー がんと食生活、運動、情報提供 慶應義塾大学看護医療学部 加藤 眞三 私は肝臓病の専門医であり、肝臓病患者さんへの生活指導という面から話をしたい。しかし、これはおそらく他のがんの患者さんにも当てはまることである。 1.肝臓病には高たんぱく高エネルギー食を  わが国では、肝臓病には高たんぱく・高エネルギー(高カロリー)食が良いと、信じられてきた。それは、食料の欠乏する時代に、栄養の豊富な食事を病人に食べさせたいという願いがこめられている。しかし、過食や飽食の時代を迎え、それは誤った考えとなりつつある。すなわち、肥満や高脂肪食が肝臓病の進展を早めることが次々と報告されてきた。  飽食の時代の栄養指導では、何よりもバランスのとれた食事が求められる。それは精製しない穀物や野菜を十分にとり、植物性脂肪はとっても動物性脂肪は控え、乳製品や肉類は程ほどにするというものだ。 2.病気になれ…

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医療の語り部

 「患者の生き方」を読んでくださりありがとうございます。 http://shinsatsu.exblog.jp/1552344  そして、「かたりべ」 っていい響きですね。これから私も積極的に使いたいと思います。ひかわさんもその言葉を使われていました。  empowerment も私にとって大切な課題です。ただ、私の考えるempowerment は医療者側が誘導するというよりも、もっと患者さんの中にあるものを引っ張り出すような言葉として私は捉えています。従って、あえて訳すと「励ます」とか「誉めたり称えたりして、その人が自信を持って独立できるように支持すること」ではないでしょうか。糖尿病エンパワーメントという本は大変よい本です。一度お読みください。 糖尿病エンパワーメント―愛すること,おそれること,成長すること

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長らくのご無沙汰でした。

 2月にブログを開始してより、一番長い空白期間を作っててしまいました。この間に、いろいろな出来事がありました。今週は、大学院の授業として臨床入門 2コマ、学部で慢性病態学の概論 1コマなどがあり、その授業をする時間もさることながら、やはり授業をするにはそれなりに準備の時間が必要です。通常、1コマ90分の授業をするには最低その5倍は時間をかけて準備するものです。しかも、今年度は医療看護学部での初めての授業でもあり、余計に大変です。  また、看護医療学部教員の全体会議という会議が湘南藤沢のキャンパスであり、これも初めての体験でした。詳しく書くことは控えますが、退学の規定に関して、私とは教育に対する考え方が根本的に異なる教員の多いことに、驚かされると同時に落胆しました。私は、教育とは、そもそも人を育てることが目的であると考えています。ところが、教育を、「できの悪い人」や「やる気のない人」をふるい落とすものであるとの発想の人もいます。しかし、それは企業や産業での発想であり、それを教育の場に持ち込むことは、教育の敗北を意味することだろうと私は考えます。  競争原理や効率・能率優先の教育で、どうして人間的なケアをできる看護師が育てられよう。私は、その弊害が顕著である医学部で育ってくる医師を、医療の現場で補完することのできる看護師が育つことを念願して、医療看護学部に移籍してきました。それがこれでは夢は遠い。  そんなことを考えながらすごした1週間でした。  

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患者さんへの情報提供のネットワークづくり

今日、私にとって二つの大切な会があった。 一つは、患者さんへの医療情報のリテラシーを高めるためのホームページ作りの会合だ。このブログをきっかけに知り合った、ひかわさんとその仲間の人たち(石田さん、佐藤さん)に会い、話し合う機会を持つことができた。このブログがもたらした天の恵みだ。この人たちと協働作業でインターネットを利用した新しい情報提供のモデルを作り上げていく予定だ。 もう一つは、肝臓病患者さんへのよりよい情報提供と患者教育を目指す研究会の世話人会の初会合だった。岩手の加藤先生、大阪の片山先生、九州の酒井先生に発起人になっていただき、全国レベルの医療者の研究会がたちあげられる。 肝臓病で一つのモデルを作り、それを他の慢性疾患にも利用してもらいたいと考えている。 時代が要請する新しい医療情報の提供システムを目指して、ネットワーク作りがいよいよ開始となった。

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