60年目の再会

2016年1月29日、Kippes神父と食事を共にした。 キッペス神父は60年前のこの日にドイツから日本に宣教のためにこられた。紀伊水道を北にあがって上陸したのは神戸港であった。その日は雪だったそうだ。 私は60年前に紀伊水道の西、徳島に生を受けた。 同じ日に、2人は日本に上陸したわけだが、Kippes神父と私が個人的に初めてお会いしたのが、その丁度50年後だった。 Kippes神父より私に会ってお話ししたいとメールが送られ、あげられた3つの候補日の中で唯一予定の入っていなかった日が1月29日だった。日本の医療にスピリチュアルケアを普及させたいから協力をして欲しいとのお話だった。 2人が別れる間際に、Kippes神父から、今日は私にとって特別の日だったと神戸に上陸した記念日であったことを告げられたのだが、その時、私は自分の誕生日であったことを白状した。 誕生日に夕食をした経緯もあり、Kippes神父は私が独身であると思い込んでいたようだった。 その後、しばらくして、Kippes先生の本を読んでいたときに、Kippes神父が上陸したのが、1956年であり、私の誕生したその日であることを知った。 運命的な出会いを感じた。 この当時、私はまだ慶應大学医学部消化器内科の講師であったが、その後にパタパタと看護医療学部に異動することが決まり、しかも慢性病と終末期病の病態学を担当することになった。 終末期ではスピリチュアルケアを、慢性病では実存療法を大事にしよう…

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「アサギマダラのランデブー」について

「アサギマダラのランデブー」について ランデブーって何ですかと聞かれた。 どうもアメリカのアポロ宇宙船とソ連のソユーズ宇宙船が、ドッキングしたニュースを知らないらしい。 当り前か。 そういえば、アベックという言葉も耳にしなくなって久しい。 「魔法瓶をとって」などと言おうものなら目を丸くされてしまう。

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アサギマダラのランデブー

裏磐梯の夏。 グランデコのパノラマゴンドラはペット連れの乗車も許される。 ジーコとドラをつれて高原を散策する。 http://www.grandeco.com/plays/panogon_info.html 頂上駅からデコ平湿原に行く道には、沢山の蝶が華麗に舞っている。 アサギマダラと呼ばれる渡り蝶。 ここでマーキングされた蝶が沖縄や台湾まで飛んでいくのだという。 どこにそのような生命力が隠されているのか。 何を求めて飛んでいくのか。 どんな旅なのか?

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ポストジーコはドラの時代に

サッカーのワールドカップは危惧していたとおり、オーストラリアとの緒戦に敗戦してはもう決勝リーグへの勝ち目はなかった。オーストラリア戦をもう少し上手く戦っていれば、あるいはベスト16への道は開けていたかもしれないが、他の試合をみていても日本と他国の実力の差を十分に感じさせられた。 さて、ジーコの後任にはオシム監督が有力なようだ。そうなると、ストイコッビッチもコーチとして入閣する可能性が高いという記事も出てきた。http://wc2006.yahoo.co.jp/hl?c=event&a=20060625-00000086-sph-spo 何をかくそう、わが家の犬はジーコとドラである。ジーコは家内がひいきのサッカー選手ということで名づけられたが、ドラは私がもっとも好きなサッカー選手ドラガン・ストイコビッチからとってきた。 これでは4年後に、再びわが家の犬は悲しい思いをしなければいけないかもしれない。もう、そろそろ三匹目を迎えようか。すると、その名はベンゲル監督からもらって、ベンちゃんになるはずだが。それが、大きく育つと大ベンちゃんと呼ぶのだろうか。

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50の峠  

50歳になる誕生日をむかえた。 気持ちとしては人生の折り返し地点を迎えたという感じだ。 折り返しといっても、何も百歳まで生きようと考えているわけではない。 大学卒業の24歳を社会へ出た時と考え、社会に少しでも役に立てる時期を考えれば、 今が折り返し地点かなという感じだ。 一般の職業なら60歳や65歳が定年だろうが、医師ならもう少し働くことができる。 キッペス先生のように定年など考えないで活動したいと思う。 キッペス先生も日本に初めて来られてから丁度50年になる。 昨年末に心臓の手術を受けられることを言われてドイツへ帰られてから音信がなかったが、 昨日ドイツからの電話であり、お元気な声を聴くことができた。 「慢性病の患者さんの患者学(情報リテラシー)」 「日本におけるスピリチュアルケアの普及」 この二つを折り返し後の目標として 日本の医療を少しでもよい方向に向けることを目指した活動をしたい。 私には、そのような場を天が準備されていると感じられる それを天命と呼んでよいのだろうか。

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指紋認証システム

新しいパソコンには指紋認証システムがついている。 PC上の装置の上で指をなぞると指紋が現れ、登録したものと同じものかどうかを認証する。確かにやってみると指紋が現れ、うまく認証してくれる。 しかし、これはパスワードでの認証へも逃れられるように抜け道がつけられている。並列の入り口だ。ということは、セキュリティとしてはパスワードだけより落ちるわけだ。しかも、パスワードのほうが慣れていれば入力は速い。指紋認証は少し右にづれたりすると、やり直しになる。 フーン。 まだまだ、これでは本格的な実用段階とは言えないね。こんなこともできるようになりました、というデモンストレーションに過ぎない。  とはいえ、やっぱり面白い。 よし、今度は足の中指を登録してみよう,両手がなくなったときに備えて。危機管理への意識は、"今"は高い。

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Accueil Notre-Dameノートルダムもてなしの施設

ツアーの最初の活動はルルドー Accueil Notre-Dame [もてなす施設]の見学から始まった。Accueilは病院でもホスピスでもない。ルルドを訪れる世界各地からの巡礼グループの患者さんのための宿泊施設といった方がよいだろう。  所長のジャクリーンさんが出迎え、施設の内容を話してくださった。質疑応答する時間も十分にいとった後、院内を案内していただいた。  言うまでもなくルルドはカソリックの聖地であり、所長もその敬虔な信者の小児科医である。しかし、この施設は、世界のあらゆる国、あらゆる宗教の患者さんを、貧富、人種、職業、身分で差別することなく受け入れているという。私は、それでこそ、スピリチュアルな施設であるといえるだろうと考えたが、カソリックの信者さんの間にはこのことに対する不満はいのであろうか。  前ローマ法王ヨハネ パウロ2世がここに泊まられたことがある。ジャーナリストの関心は、もっぱら法王がどんな部屋に泊まられたかという低俗なものであったという。実際に法王が泊まられた部屋の中まで見せていただいた。そこは、6床のベッドが置かれている普通の大部屋であり、他の部屋に比べてドアや内装なども特別に変えた様子もない。  もう、100年以上が経過しているルルドの患者収容施設として、身分や貧富を分かたず受け入れようとしてきたことが、この病院の設計からも理解することができる。そうでなければ、新しい施設にする際に特別室を設けていたであろう。病者を差別しないという姿勢は、所長の…

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ルルドに到着

フランクフルト空港で降りると、直ぐに乗り継いで、南フランスのツールズ空港に向かった。ルルドーはそこから更に南に向かいスペインの国境近くにある。 空港には大型のバスが待っており、快適なバスツアーとなる。バスの中ではマイクを使って参加者20人の自己紹介がおこなわれた。皆さんはそれぞれに色々な思いをもって、この研修旅行に参加されている。 牧師さんやシスターの方もいらっしゃり、クリスチャンの方が多いことは確かであるが、他宗教や無宗教のかたも多数おられた。看護師や助産師の方、ボランティアとしてスピリチュアルケアに興味を持っている方、大きな病気をもち手術をおえて参加した方など、様々な背景を持った人が参加している。医師の参加は、長崎のXX病院から派遣された山口先生と私の二人だった。 更にバスに揺られて2時間余り、古い街並みに入りバスがようやく通れる程の細い道をたどって目的のホテルに着いた時は、もう21時を過ぎていた。関西空港の集合時間から計算すると、もう20時間以上が経過している。古いつくりのホテルであり、私の部屋にはコンピューターを充電するためのコンセントもなかった。電話線をコンピュータにつないでみたが、インターネットにつなぐことができない。昨年の学会でフランスボルドーとドイツハイデルベルグに来た時には簡単につながったのに。一昨年はインドでさえも苦労しなかったのにと思うと、ホテルが古い建物であることがうらめしい。 フランクフルトからの飛行機の中で軽食のサンドイッチが出ていたが、何だか…

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帰国

昨日、ルフトハンザ機によりフランクフルトから関西空港に着き、フランス・ドイツでの癒しの研修旅行より帰国した。 宿泊には、マリアフリーデンのエイズホスピスでの宿泊施設、スツッツガルトの修道院の宿泊施設、アウグスブルグの神学校の寄宿施設などを利用したため、ドイツ滞在中に殆どインターネットにアクセスができなかった。 朝の6時30分には活動が始まり、夜も9時過ぎまで研修があり、バスの中でもその時間を利用して反省会などがあり、文章もほとんど書くことができなかった。 これから、ルルドを皮切りに研修旅行記を書こうとおもうが、とりあえずは、ルルドでの写真をアップした。左の下のアルバム一覧の中の癒しの旅に入っている。写真の方も徐々にアップして行きたい。

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学生時代の仲間との集まり

昨夜、私と若林君との教授就任を祝うために、医学部スキー部の先輩と後輩が、就任パーティを開いてくれた。若林君は2年後輩で、9月より岩手医科大学に第一外科教授として赴任する。学生時代からの仲間たちだ。当事者二人の前後5年を含むOB部員に声がかけられ、20名余りが集まった。一年に50日以上を同じ宿で過ごした仲間は、集まるとまるで兄弟かのような気安さだ。 最近は、毎年このようなお祝いの集まりが開かれるが、スキー部仲間の話は、学生時代のバカ話にに華が咲く。野沢の大会では閉会式後の懇親会で大暴れをしてスキー場に出入り禁止になったり、苗場スキー場で、プリンスホテルの正面のナイターのゲレンデを真っ裸で走り回った学生がいて、ホテルよりお咎めを食らったりしたことを昨日のように思い出す。 初夏の合宿で月山に行ったとき、砂利の下り道を無謀にも飛ばして、スピンをしてしまい、コントロールがきかず、道端の大きな石に左の前輪が引っかかって止まった私の失敗談も、いつも思い出話として出てくる。 ガードレールもない山道であり、その石がもしそこになかったら、50mほど谷底へ落ちていた。岩にとめられた左の前輪とその側の後輪だけに車は支えられ、ユラユラとゆれているところを命からがら車から抜け出したのも、今では笑い話だ。顔をひきつらせながら後部座席からかろうじて最後に出てきた2年後輩の高橋君は、今や既に母校の小児科学教室の教授になってしまっている。スキー部には私の同級生が6人いたが、私は4人目の教授となった。 授業にはろ…

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オフカイ仲です。

昨夜、Galantさん、Omori-shさん、fkymhtsさんご夫妻の5人で off 会をもった。ブログで知り合ったという不思議な仲間との会であった。しかし、いざ会ってみるとまるで旧知の友人と会ったかのような不思議な感覚をもった。私が中高時代を過ごした神戸の言葉を話す人達との会であったせいかもしれない。 Galantさんは、その文章より、もっとサラリーマンっぽい人を想像していたが、思ったよりずっと若くて軽い、ノリのいい好青年であった。まだ、独身だと言う。「こんな人ほおっておいていいの、神戸の女性」といいたくなってしまう。 理科系はおくてなのですぞ。 そして、何としんぞぉのおんなの写真まで持っており、はじめてしんぞうはうわさのおんなの顔を拝見することもできたのであった。やはり、私のおんなではなかった。   しんぞうです。 Omori-shさんは、もっとふんわりとした柔らかい感じの人を想像していたが、見た目は硬派でびっくりしてしまった。しかし、話をしてみるとやはり軟派であり、私のことまで無理やり軟派に引きずりこもうとする。(そ--うい-うわけなのです、ニノチカさん) fkymhtsさんご夫妻は誰が見てもうらやむだろう美男美女の医者夫婦。育ちのよさが顔にも出ている。(いえいえ、他の二人が・・・・・ などと決して詮索しないでください。汗!) そういえば、ブログで知り合った人で、実際にあった最初の人はひかわさんである。何とこの人も、私と同じ高校の同窓生であるということを、後で知る奇遇であっ…

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小さな喜びを探して

患者Kさんは胃がんの末期状態で、消化器内科の病棟へ転院してきました。肺に転移があり、もう数週間の命という状態です。有効な治療もなく、徐々に胸水が増加し呼吸も苦しそうです。  そんな時期、Kさんから「先生に折り入って、話したいことがある。」といわれました。一体何を話したいのだろうと思いましたが、私はKさんを車椅子にのせ病棟のカンファレンス室へ向かいました。  Kさんは、一言しゃべるのさえ苦しそうです。息も絶え絶えに、ゆっくりと話しはじめました。 「私は、この病棟へ、来てから、本当に、よくしてもらった。そのお礼を、したいけれども、私には、もう何も、出来ることがない。せめて、私が、死んだ時、自分の体を、病院に、献体したい。」   末期がんの状態となり死を目前にして、患者さんから献体の申し出をうけたのは、私にとって初めての経験でした。謹んで申し出を受け、さっそく解剖学教室に連絡をとりました。 「この病棟へきて、まだ2週間もたっていないし、有効な治療もたいしてできていないのに。どうして、こんな苦しい時期に献体を申し出て下さるのですか。」 「この、病棟に、来てから、本当に、皆さんに、優しく、してもらった。特に、うれしかったのは、担当の、看護師、Aさんが、私が、お風呂に、入れないからと、ベッドで、私の汚い、足の指先を、お湯に入れて、一本一本、丁寧に、一生懸命、洗ってくれた、ことです。私は、指先を、洗って、もらいながら、本当に、幸せな、気持ちになりました。何か、皆さんに、お礼…

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今頃お花見?

昨日は、桜のお花見をしてきました。しかも、境内には残雪が。 札幌円山公園の隣、北海道神宮での風景です。 札幌ではこれからが春となるのです。 桜の後に梅が咲くとか聞きましたが、そんなことってあるのかと 不思議に思いました。 北海道の病院栄養士の研究会に招かれての講演でした。 90分間は長いですねとか言いながら、 内容を欲張りすぎて絞りきれず時間を超過する始末。 長くてすみませんでした。北海道の栄養士の皆さん。 さすがに私も懲りているため、若い女性ばっかりの前ではタヌキの金○○の話は 禁句でした。まあ、少しの余韻は残したのですが。 昨年夏から学会や講演会のたびに、その土地の代表的な神社を訪れています。 名古屋 熱田神宮、京都 下鴨神社、福岡 はこ崎宮、 三重県 伊勢神宮、北海道 北海道神宮 と 中々よいペースでお参りがすすんでいます。 ここで問題。この中で一の宮でないのはどれでしょう? それぞれの神社には鎮守の森があり、その空気に触れるだけでも すがすがしい気持ちになります。

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続 前野良沢の墓

後ろ髪を引かれながら、前野良沢先生の墓を通り過ごして、新高円寺の駅より都心へ向かった。 翌日、病院の研究室で普段余り見ることもない藤沢薬品工業が出版する月刊誌「いずみ」の1月号をパラパラとめくっていた。情報洪水の中で生きているために、このような雑誌に目を通すことなどほとんどないままにゴミ箱行きになる。表紙をあけるのも一年に一度か二度であろう。 ところが、そこで目に飛び込んできたのが、元東大教授の森岡恭彦先生の書かれた「解体新書をめぐる人々」と題する随筆であった。しかも、右のページには前野良沢先生の墓が、左のページには杉田玄白先生の墓の写真が載せられている。 森岡先生の随筆の中にも、玄白の行動力と良沢の語学力によって解体新書発刊の偉業は達成されたが、良沢と玄白は解体新書の発刊後、付き合いは少なかったことが触れられている。 それはともかくとして、二日続けて前野良沢先生の墓という文字が偶然にも飛び込んできたことは、私にとって意味のあることに違いない。そう考えた私は、翌日の日曜日、家内と二人で月高庵慶安寺へお花を持ってお墓参りをした。 「患者の生き方を」 書き始めることによって初めて知ったご先祖様であった。その恩師の前野良沢先生の物語もそれから知り、「患者の生き方」を多数買って下さって人の家の近くにたまたま良沢先生のお墓があり、偶然にもお寺の前の案内に吸い寄せられるようにいき、先生の名前の4文字をみつけ、翌日には警告するかのように雑誌のなかにその4文字が再登場した。 …

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遺伝子の乗り物 次世代からの贈りもの

新しいベルトを身に着けて 今日一日を過ごした。 このベルト、 長女に初任給があり、 贈ってもらったものだ。 もう、そんな年になったのか。 子供を見て初めて自分の年を悟る。 ここまでくればこの乗り物の任務も 7合目をすぎたと。 過日、「プレゼントに何が良い?」と尋ねられた。 ネクタイでは趣味が出るし、 あまり人からもらうべきものではない。 何か目立たないところで、しかも身につけられて、 記念に一生使えるものが良い.. とあれこれ考えた末に、「黒いベルト」と答えた。 プレゼントをもらい、いざ身に着けるとなると、 「どの長さで切ろうか。」と考え込む。 これから私の体重は。 肥満になっていくのなら、 一番余裕ある長さにしておくのが良い。 今、ピったりにすれば、 使えなくなる日が近いかもしれない。 15年先に使うために長めに残しておかねば。 いやいや、この前の検診でBMIが25.3。 肥満と判定された。 これ以上太っては、この乗り物自体が壊れてしまう。 結局、現在ぴったりの真ん中の穴にあうように 思い切って切断。 果たしてこれで何年間使えることやら。 せめて、次世代乗り物が2台とも 一人運行になるのを見とどけたいが。

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前野良沢の墓

 「患者の生き方」を多数購入し配ってくださった方がおり、お礼を申し上げるために、今年の1月私はその方のお宅を訪ねた。お宅から地下鉄新高円寺駅までの10分ほど歩く途中に、いくつかのお寺がならぶ。ある寺の玄関の前の案内板に、前野良沢という4文字があるのが、ふと目に入った。立ち止まって読んでみると、このお寺には、解体新書を翻訳した前野良沢のお墓がまつられているという。 私が「患者の生き方」を書き始めようとした時に、インターネットでの検索がきっかけで 6代前の先祖 江馬蘭斎が岐阜の大垣市で蘭学塾を開いていたことを知った。蘭斎は46歳を過ぎて蘭学を志し、杉田玄白と前野良沢の弟子となった。http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~o51340/index5matsudanotes4-1.html http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/essay/kadoreiko.html 事業家気質であった杉田玄白に対して、前野良沢は学究肌であったという。解体新書の翻訳の仕事のほとんどは前野良沢によるものであったそうだが、翻訳者として前野良沢は名前を連ねていない。まだ、翻訳が完全ではないからと出版に反対する前野良沢を、杉田玄白が押し切る形で出版し、その後玄白だけが脚光をあびることとなった。二人の間には、どのような葛藤があったことだろう。 前野良沢は学問に対する姿勢が大変厳しい人であり、弟子も多くはいなかった。杉田玄白が多くの弟子に囲まれて…

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新学年の開始

 前回の記事より丸3日ほどご無沙汰しておりすみません。  4月1日より、新しい年度が始まりました。つまり、年末と正月が来ているわけですが、とりわけ今年は、異動があり、新しい職場での仕事の開始、カリキュラムの変更部分に関する手続き、新しい職場への引越しなどを抱えています。また、今までの仕事の延長でたまった期限遅れの原稿もいくつかあり、四苦八苦している状態です。  特に、明日は日本の宗教界の教団に付属する教学の研究所の集まりで、生命倫理を討議する会の第一回目があり、そこでの講演を依頼され準備中です。仏教各宗派や神道、キリスト教などが集まる宗教協力の始まりという歴史的な会でもあります。これをきっかけに、主教の各教団がその差の部分に目を向けるのではなく、共通する部分を認識し、社会にもはたらきかけていくきっかけになれば素晴らしいことと思っています。  明日には、その会についての報告をする予定です。

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キッペス先生、こんにちは

加藤先生。メールありがとうございました。お会いできるとうれしいです。 今月末、東京に行く予定があり、もし先生のご都合がよろしければ下記の日時の いづれかにぜひお願いします。 ① 1月29日(土)午後6時~ ② 29日(土)午前中~11時30分頃まで(四谷での会議) ③ 28日(金)午後6時~ (ホテルXXでの宿泊) 切符の手配などしますので、早めにご連絡いただければ助かります. 2005年1月4日、久留米市の臨床パストラルケア教育研修センターをベースに活動される神父さま キッペス先生より、突然、日にちを指定して会いたいとのメールをいただいた。(http://www.pastoralcare-jp.net/pastoral/japanese/jmenu2004.htm) 昨年10月に東京大学の島薗先生が主催される研究会でお会いし(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/shiseigaku/ja/gyouji/gyouji_k041030.htm)、紹介され、その後一度メールのやり取りをしたばかりであった。私もキッペス先生には一度個人的にお会いし、話をうかがいたいと思っていたのため、迷うこともなくイエスとのメールを返した。②と③は既に他の予定が入っており、必然的に①の1月29日午後6時にお会いすることとなった。  1月29日、新宿伊勢丹会館の「あえん」で夕食を一緒にしながら、キッペス先生よりスピリチュアルケアについて色々な話を聞かせていただいた。周囲の…

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